【乱読NO.3112】「巨匠の傑作パズルベスト100」伴田良輔(著)(文春新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
名作パズルに挑戦してみてください!
一部の数学者や好事家だけで楽しまれていたパズルを大衆の娯楽にしたのは、サム・ロイド(米)とH・E・デュードニー(英)の二人のパズル作家でした。
19世紀末から20世紀初頭にかけて急速に発達した新聞・雑誌は、こぞって二人のパズルを掲載し読者を熱狂させました。
数字パズル、図形パズル、魔方陣……100年前のパズルは、今解いても面白いものばかりです。
本書は、二人の巨匠の作品を中心にして、古今東西の傑作100問を掲載。
鉛筆片手に、大人も子どもも遊べる新書です。

[ 目次 ]


[ 問題提起 ]
以前、アメリカに出張したとき、「数独」と呼ばれるパズルが大流行しているのを目撃して本当に驚いたことがある。

空港ではキオスクの書籍売り場で数独が大きなスペースを占領しているし、飛行機の待ち時間を利用して、ボールペンを片手に数独とにらめっこしている人々が目につく。

主要な日刊紙では、従来あったブリッジの常設欄がとうとう数独に乗っ取られてしまったという。

「スードク」(ときには「スドク」とも発音される)という言葉が口にされるのを、わたしは何度も耳にした。

それほどまでに、数独流行の勢いは猛烈だったのだ。

何年かの周期を置いて、このように突発的に流行するもの、それがパズルである(この前の流行は、ルービック・キューブだったか?)。

数独の場合なら、使うのは数字だけなので言語の垣根はなく、多少のコツを知っていて根気さえあれば誰にでも解けるところが、またたくまに世界中に広まった原因だろうか。

解けた瞬間の快感以外におそらく意味がなさそうな、パズルを解くという無償の行為に人々が熱中する姿を見ていると、人間という生き物は頭を使うのが好きなのだなあとつくづく思えてくる。

[ 結論 ]
ここで紹介する『巨匠の傑作パズルベスト100』は、サム・ロイドとヘンリー・アーネスト・デュードニーという、十九世紀後半から二十世紀のはじめにかけて、大西洋の両岸で大衆に絶大な人気を博した天才パズル作家二人の作品を中心にして、古今東西の有名で懐しいパズルばかりをずらりと並べた本である。

もちろん、古典パズルを扱った本に類書が多いのは避けられないが、本書は新書版という制約の下で望みうる、理想的な出来になっている。

古典パズル史全体への目配りが利いていること、ロイドとデュードニーの伝記的な記述が的確でしかも読み物としておもしろいこと、ロイドがパズルのコラムを持っていた新聞のページが図版としてそのまま載っていること、など著者の目のたしかさをうかがわせる賞讃すべき点は多い。

ロイドやデュードニーのパズルが数独のような根気型のパズルと異なるのは、誰でも解けるほど簡単なものではないというところだ。

むしろその多くは、発想の転換やひらめきにめぐり会わないかぎり、ほとんど解けないだろう。

たとえば、デュードニーの最も有名なパズルの一つである、「正三角形を四つの断片に切って正方形を作れ」という問題などは、よほどの数学好きでないかぎりとうてい解けるとは思えない。

それでは、一般読者はこういうパズル本をどのように楽しめばいいか。

まず、問題になっているパズルを、自分の頭で少しでもいいから考えてみることだ。

そして、少し考えて解けなかったら、さっさと答えを見てしまってもかまわない。

そこでわたしたちは、ロイドやデュードニーといった天才たちの、常識をひっくり返す奇想に直接ふれて、なるほどそうか!ときっと感心することになる。

その意味で、本書は上質のミステリに似ている。

ミステリを読むときでも、読者は犯人を無理に当てようとせずに、名探偵の推理に耳を傾けているだけでいいのである。

ちなみに、本書にも出てくるロイドの代表的なパズルの一つで、人間が一人消失してしまう「地球を飛び出せ」を、日本のある有名なミステリの長篇小説がトリックに用いていたことを思い出しておこう。

新聞雑誌の読者たちは、こうして新しい驚きを次から次へと提供してくれるロイドやデュードニーを愛した。

つまり、当時は愛すべき天才が大衆に求められた時代なのである。

デュードニーがパズル欄の連載を続けて人気を獲得したのは、コナン・ドイルが名探偵シャーロック・ホームズのシリーズを載せていた娯楽雑誌『ストランド・マガジン』だったというのは、けっして偶然ではない。

新聞や雑誌で、身近な天才たちがもてはやされた時代というのは、なんとなくうらやましい。

いささか余談になるが、評者は中学生から高校生だった頃、学校にあった図書館にほとんど一番乗りをするようにして、早朝から通ったものだ。

その最大の理由は、当時日本で翻訳出版されたばかりの、『サム・ロイドのパズル百科』三巻本や、デュードニーの『パズルの王様』四巻本を読むためだったのである。

わたしはその後、チェス・プロブレムという芸術パズルを通してふたたびロイドと出会うことになった。

ロイドから百五十年が経過した現在のチェス・プロブレムは、はたしてどれほどロイドを超えているのか、疑問に思うことがときどきある。

つまり、ロイドが持っていた、なによりも奇想のひらめきこそが大切だという感覚を、現代のわたしたちはかなり失ってしまったのではないか。

[ コメント ]
SFではないが、それこそ「驚きの感覚」(センス・オブ・ワンダー)にあふれた本書のパズル作品群が、不思議にノスタルジアに満ちたものに見えてくるのは、実は当然のことなのかもしれない。

[ 読了した日 ]
2009年12月6日