【乱読NO.2969】「国語力トレーニング400問」NHK放送文化研究所日本語プロジェクト(著) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]


[ 目次 ]


[ 問題提起 ]
帯にある「いつも使っているのに、意外に心もとない日本語の知識」は、私にもあてはまる。

この手の本や漢字検定が若者たちにも注目されているようだが、知識だけでは意味がない。

学校や生活の中では正しい日本語が学べないような時代になってしまったが、生活の中で正しい、美しい日本語を使っていきたい。

この本を手にし、軽い気持ちでページをめくり、問題を解き始めたが、帯にある「いつも使っているのに、意外に心もとない日本語の知識」・・・まさにその通りである自分の国語力に少々落ち込む結果となってしまった。

だが、それはそれ、人知れずそっと勉強し直すとして、最近私が日本語について感じていることをこの本を読んだ感想に絡めて書かせていただきたい。

当然ながら、日本語に限らず、言葉というものは、人と人とが円滑にコミュニケーションをとるために必要不可欠なものであるということは言うまでもない。

そして、仮に、言葉が伝達手段だけのものでいいとすれば、今時の若者の少ない語彙力での会話や単一的な使い方は合理的と言えなくもない。

通じさえすればいいのであるから。

しかし、この手の本や漢字検定、国語力検定などが若者たちの間でも注目されているということは、(就職試験対策の一環でもあろうが)若者たちも自分たちの使っている日本語に、多少なりとも危機感を持ち始めているということなのであろうか。

[ 結論 ]
言葉が廃れていくということは、つまりはその国の持つ文化も廃れるということであるから、若者に限らず、きっかけは何であれ、このような本で楽しみながら自分の国語力を再確認してみることは大いに価値のあることではある。

しかし、言葉は、知識として知っていても実際に活かして使われなければ何の意味もない。

誇らしげに秘書検定○級、漢検○級ですというような若い人が、日本の文化として本来自分の側、身内に対しては遜らなければならないものにも、当たり前のように丁寧語や敬語を使ったりするのが最近非常に気になるところである。

しっかりと言葉の教育を受けているはずのアナウンサーですら・・・。

問題だとできるのに実際には正しく使えないというのはなぜなのか。

正しい日本語はただの学問になってしまったのだろうか。常々私は、生活の中で正しい、美しい日本語に触れる機会がどんどん減ってきているのにも原因があると感じている。

ある学者が、専門書ではない一般向けの本を出版する際に、原稿にあまりにも難しい漢字、表現を使い過ぎる、と編集者に修正を求められたのに対して、何でも分りやすい言葉にしてしまう最近の風潮に抗議されていた。

私もまったく同感である。

天気予報から「宵のうち」という言葉が、曖昧で分り難いということで消えてしまったということなども良い例かもしれない。

言葉は生きもの、時代とともに変わっていって当然であるということも分からないではないのだが。

読めない漢字や分からない言葉が出てきたら、自分で辞書を引き、調べて新しい言葉を覚えるという楽しみは、どうやらもはや時代遅れらしい。

[ コメント ]
このような日本語の問題集をやらなければ、学校や生活の中では、正しい日本語が学べないような時代になってしまったことが、なんとも悲しい。

[ 読了した日 ]
2009年11月9日