【乱読NO.2819】「日本の憲法 第3版」長谷川正安(著)(岩波新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
戦後50年を目前にした今日、「大国」化に伴う新たな改憲論も台頭し、憲法をめぐる状況はますます厳しさを増している。
天皇、戦争放棄、議会制、基本的人権等の主要な論点に即して、規範と現実が乖離する実態を明らかにする。

[ 目次 ]
1 憲法を考える
2 天皇と国民
3 戦争と平和
4 権力の集中と分立
5 国民の権利と義務
あとがきにかえて―昭和から平成へ
付録 日本国憲法

[ 問題提起 ]
長谷川正安も他の憲法学者の多分に漏れず、護憲派です。

憲法条文と現実の乖離は現実を条文に近づけることによって解決すべきという立場をとります。

それは例えば9条の問題であり、9条2項は一切の戦力保持を禁止しているのだから自衛隊は違憲であり、無くすべきだと主張します。

それでいて、天皇について定めた憲法第一章は日本の前近代性のあらわれだと批判するのですからあまり一貫性があるとは思えませんが。

[ 結論 ]
ただ一点、長谷川正安は憲法史の発展段階という概念を強調しているのでその点にだけ一言触れておきます。

これは長谷川正安に限らず、"進歩的文化人"(左翼)が共有している認識ですが、彼らは世界は一歩一歩確実に良い方向に向かっているという進歩史観を持っています(杉原泰雄の憲法の「第三の転換期」しかり、樋口陽一の「四つの89年」しかり。)。

世の中は戦争の根絶、武力の廃棄、人民主権の方に向かっているし、そうでなくてはならないと固く信じているのです(マルクスが社会は共産主義へと向かっていると考えたのと同じです)。

しかしよく考えると、世の中がこのように進歩しているという保障はどこにもありません(共産主義の失敗を見れば明らかです。)。

私自身はと言えば、世の中は長期的に見れば進歩していると言ってもよいのではないかという気がしています。

ただし中短期的には山あり谷ありです。

そして残念なことに人間の一生は、この中短期的な時間の中にあります。

二歩下がっては三歩進むというのが人間の進歩の実態なのではないでしょうか。

このような歴史観を加藤尚武は次のようにうまく説明しています。

《歴史を大きな恐竜の背中に見立ててみればいい。われわれは、その背中のギザギザに乗っている小さなアリである。われわれが登り坂にいると思っても、もっと遠くから見れば下り坂にいるのかもしれない。》(『倫理学で歴史を読む』清流出版、31頁)

まさにこの通りで、人類は進歩的文化人たちが信じているように長期的には軍縮・軍備撤廃の方向に進んでいるのかもしれません。

しかしたとえそうであったとしても、中短期的には戦争が起こったりすることもあるでしょう。

そう考えると、中短期的な危機に備えるために自衛力を持ちつつも、長期的には軍縮を目指すという姿勢は決しておかしなことではありません。

以上のように、(1)進歩的文化人たちが固く信じて疑わない"進歩"が確実なのか不確かである点、(2)仮に進歩的文化人たちの主張する進歩が確かだとしても、中短期的には危機が訪れる可能性があるという点から、私は彼らの自衛隊違憲論には反対です。

[ コメント ]
日本国民の生命や財産を、進歩的文化人たちの妄想かもしれない信念のために危険にさらすべきではないと思います。

[ 読了した日 ]
2009年10月6日