【乱読NO.2745】「零の発見」吉田洋一(著)(岩波新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
インドにおけるゼロの発見は、人類文化史上に巨大な一歩をしるしたものといえる。
その事実および背景から説き起こし、エジプト、ギリシァ、ローマなどにおける数を書き表わすためのさまざまな工夫、ソロバンや計算尺の意義にもふれながら、数字と計算法の発達の跡をきわめて平明に語った、数の世界への楽しい道案内書。

[ 目次 ]
零の発見―アラビア数字の由来
直線を切る―連続の問題

[ 問題提起 ]
数学関係の文庫や新書というと、たいていは数学が苦手な人に興味を持ってもらおうとの目的で書かれるのではないかと思う。

たとえば知的パズルみたいなものとか、あるいは有名な数学者のエピソード集といった読み物の形になっているものなどは、確かに手に取りやすい。

本書も、おそらくはそういう趣旨で書かれたものだ。

初版はしがきにも「こころよい午睡の伴侶に」とある。

しかしさすがに戦中の本、軽いと言ってもわたしのように数学がまるでダメな人間にはかなり歯ごたえがある。

[ 結論 ]
本書は「零の発見」と「直線を切る」の二章からなる。

「零の発見」のほうでは、記数法と数論・算術の発展の歴史が語られている。

現代、我々は普通に0,1,2,3……という数字を、紙に書いたり計算したりするのに使う。

しかしこの形に行き着くまでには、世界各地でさまざまな方法が採用されていた。

この、1から9までの9種類の数字と「0」を加えた十種類であらゆる数を表現できるというのがどんなにすごいことか、改めて思い知らされる。

特に、インドで生まれ、イスラムを経てヨーロッパに入ったとされている、数でない数「0」の存在は偉大だ。

この、十種類の数字(アラビア数字)を用いた、大小比較が一目瞭然で筆算もできる位取り表記法が成立する前の世界では、今からするととんでもなく不便な方法で数字を書いたり計算したりしていた。

たとえば古代エジプトではそれぞれの数字が象形文字だったし、古代ローマでは230万を表わすために「10万」という記号を23回書かなければならなかった。

算術にしても、こうした文字で筆算をしたら大変なことになる。

ヨーロッパにソロバンは古くから存在したが、現代日本で目にするかもしれないあのソロバンとは違い、いずれも時間や手間がかかり効率の悪いものだった。

ちなみに今ではどこのご家庭にも電卓があるものと思うが、本書が書かれた時代はソロバンだった。

わたしは小さい頃ソロバンを習っていたのでこの時代の人間でもなじみがあるけれど、そうでない同世代以降の人の場合は、せいぜい小学校低学年あたりで一回か二回ソロバンを使う授業が設けられ、そこで1桁か2桁の計算をやってみる程度だと思う。

そんなわけで、本書ではソロバンの知識を前提にした記述があるが、当時の感覚で日本のソロバンは日常生活に必要などんな計算にも不自由しない(分数計算はできないが、加減乗除、小数や負の数の計算もできる)合理的な道具であったのだ、と思って読み進めばいいと思う。

確かに、慣れると計算は電卓や筆算よりソロバンのほうがラクだし早い。

かえってわたしなどは学校で筆算を習うより先にソロバンのほうを覚えたので、暗算するときにも頭の中に自動的にソロバンが出てきてしまい、ソロバンを習わなかった人が暗算するときにはあの筆算を思い浮かべるのだと聞いて、すごいなあと思った記憶がある。

また、筆算の普及と紙の改良・流通との関係性を指摘しているのは面白いと思った。

「直線を切る」のほうでは、現在我々を苦しめる(!)あの数々のややこしい定理や公式が数学界で導き出されてきた背景を追っていく。

現在我々が数学と聞いて思い浮かべるあの世界のルーツが哲学であるということは割と知られるところだが、数学の成績のあまりにひどかった身としては名前を聞くだけで思わず平伏してしまいそうな数学の祖・ピタゴラスも、彼とその一派の内幕を垣間見ると、意外と親しみを感じられる……というか、同情の念を禁じ得なくなる。

正の整数は、おそらく数の中でも最も特殊で、数的にも数全体のうちのごくごくわずかを占めるにすぎない。

その特殊なものを用いた、さらに特殊なケースをもって、図形や音楽から、神秘性を感じるような芸術的で美しく完璧な法則を見いだし、星座と数とを同じようなものとみなして、天体とのハーモニーを感じて魂の浄化へと打ち込んだ純情。

それが、後代平方根(正方形の対角線の長さ。二乗すると√の中の数になる)と呼ばれる、あの整数で表現できない数の存在の発見によって、根底から揺さぶりをかけられる。

平方根が「アロゴン(口にしえざるもの)」という名を与えられ、外部にもらしてはならない極秘事項にされたというのが、当事者たちの狼狽を物語っており、何とも痛々しい。

そしてゼノンの「アキレスはカメに追いつけない」「飛んでいる矢は静止している」などの有名な四つの逆理に対し、ピタゴラス派は彼らの理論で反撃する術をもたなかった。

点と線分についての考えを定めるという難問が、以降人々の課題となる。

また、哲学的な追求心ゆえに「円の面積と等しい正方形を定木とコンパスだけで作図する」ことを目指して数々の理論を打ち出しては覆され、を飽くことなく繰り返す、数学者たちのその執着にも似た情熱!(結局これはムリだということがわかってしまう)

点と直線の問題にしても、円と正方形の問題にしても、ネックになってくるのはいつも数の「連続性」の問題だった。

哲学的な答えは別として、数学的に説明をつけるために、数学者たちは長い時間をかけて整数、分数、小数、正負、循環小数、無限小数、有理数、無理数、実数、と数の分類や守備範囲を押し広げていった(虚数については本書では触れていない)。

その過程で、我々が頭を悩ませた、あの定理やら数式やらが生み出されていったのだ。

数学界の現在の研究状況を把握していないので、本書の内容が情報的にどれだけ通用するのかはわからないが、大枠としてそう変化ないものと思う。

[ コメント ]
版を重ねる間に多少加筆がなされているらしく、コンピュータの二進法の話が入っている。

我々は生活の中で、10で1桁上がる十進法か、時計の60ごとに秒、分、時と1つ上の単位に上がっていく六十進法を用いる。

コンピュータの世界には基本的に0か1、ハイかイイエ、オンかオフしかなく、数は0、1、 10、11、100……と表現されていく。

十進法の4が二進法では100になる。

人智を超える神秘的なものを感じたとき、「不思議」の一言で納得して丸ごと受け容れることができる寛大さも、ひとつの能力だと思う。

だが、心ひかれたものを解明しより理解したいと願うひたむきさも、すばらしいものだと思う。

[ 読了した日 ]
2009年9月12日