【乱読NO.2467】「岡潔 数学の詩人」高瀬正仁(著)(岩波新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
岡潔(一九〇一‐七八)は日本が生んだ世界的な数学者であり、心洗われるエッセイ集『春宵十話』の著者としてもよく知られる。
独創的な構想を生み、相次ぐ大発見に結実した人生と学問を、遺された研究ノートに追う。
二〇世紀の数学に屹立する雄大なスケールの数学者の、秋霜烈日の生涯を描く。

[ 目次 ]
1 お日さまの光
2 留学と模索の日々
3 問題群の造型
4 情緒の世界
5 響き合う数学の心
6 晩年の思索

[ 問題提起 ]
岡潔は初め物理学科に身を置いたが、岡潔流の直観によって、数学科に去った。

この岡潔の考えは鋭い。

物理学者の一人として彼の思いは厳しく我が心を刺す。

岡潔博士は「多変数解析函数論」の論文という未だに難解な詩集を出されたのであり、これを岡潔博士の情緒の表現である事は、博士自らお書きになった著書がなければ多くの人々には理解されなかったであろう。

この新書の著者高瀬正仁氏の“はしがき”に引用されている博士の言葉「人の中心は情緒である。

[ 結論 ]
情緒には民族の違いによっていろいろな色調のものがある。

たとえば春の野にさまざまな色どりの草花があるようなものである。

・・・数学とはどういうものかというと、自らの情緒を外に表現することによって作り出す学問芸術のひとつであって、知性の文字板に、欧米人が数学と呼んでいる形式に表現するものである。」とある。

成程、自然の女神のベールを覗くのに懸命な物理学とはまったく異なる、そこでは数学は言語である。

物理学者は多くは現実主義者である。

例外は少ない天才のみだろう。

が、岡潔博士のおっしゃるような自らの情緒の発現とは違うと思う。

また、まえがきの著者による最後の言葉「今日の数学は自然科学の領域内に局限されて諒解される傾向が見られるが、岡潔の数学研究の姿形はこれにきびしく対峙し、ガウスやリーマンの系譜を継ぐ「忘れられたロマンチシズム」の香りがする。

情緒を表現して数学が生まれるというアイデアは、数学という不思議な学問の生成の秘密の核心に触れている。

時代の風は数学から離れようとしているが、岡潔の学問と人生を回想する本書の小さな試みが、数学の再生のよすがとなるよう、心から期待したいと思う。」には深い意味がある。

この本は皆さまに読んでいただきたいが、この本の全てを解る必要はないのです。

数学科で解析学を学んだ者でも「多変数解析函数論」は理解不可能でしょう。

それに関する文章が多いのは岡博士の研究を述べるための本ですから当たり前ですが、その部分を読み飛ばして岡潔の途轍もない世界的大数学者の“超上等な情緒”を知るための入門書としてお読みになり、それから、一般の読者向きの「春宵十話」等の本をお読みになれば、良いと思います。

[ コメント ]
最後に、レビューアーの好きな言葉を載せることお許しください。

『科学:夢の情緒が美しい羽根を拡げて、軽々と空に舞い上がったあとから、一匹の虫が懸命に塔を建てて跡を追う。それはまるで菌だ。相対的な力の配分でのび上がり、その上に証明された床をつくる。それからまた対立する柱を構築してその上に床をつくる。情緒の羽根を眺める眼を持たないものにも、このバベルの塔はよく見える。』(辻まこと、虫類図譜より)以上。

複素角運動量平面が多変数解析函数で、そこでの極と分岐カットのリーマン面、葉での相互の運動を研究するために、岡潔博士の論文に無謀な挑戦して当然ダウン。

もう35年以上も昔の懐かしきレビューアーの想い出です。

この本、難しいけど、我慢しても読む価値ある新書です。

[ 読了した日 ]
2009年5月6日