【乱読NO.1735】「インドの数学 ゼロの発明」林隆夫(著)(中公新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
本書は古代から十六世紀まで時代に沿って数学の発展を辿りながら、インド文明を照射する。
またインド数字、ホロスコープ占星術、チェス、和算など幾つかのトピックで数学の文化交流を探る。

[ 目次 ]
第1章 数表記法とゼロの発明
第2章 シュルバスートラ(祭壇の数学)
第3章 社会と数学
第4章 ジャイナ教徒の数学
第5章 アールヤバタの数学
第6章 インド数学の基本的枠組みの成立
第7章 その後の発展
第8章 文化交流と数学

[ 問題提起 ]
「本書でとりあげるのは、紀元前二千年紀の半ば以降にインド亜大陸にやってきたアーリア人を中心とするサンスクリット文化圏の数学の歴史である」。

本書が射程とする話題は何も副題の「ゼロの発明」に留まらない。

原典や研究論文に対する堅実なアプローチによる裏づけのもと、概ね15世紀までの「インドの数学」の展開の過程を記述するとともに、他の地域における数学体系との交流や伝播についても論じる。

扱われる範囲は数学およびその周辺諸科学に限らず、政治や祭祀などにも達し、いわばインド文化史としての顔も併せ持つ。

門外漢にとっては極めて高い水準で書かれた一冊、一読でその内容を把握するのは困難であるように思われる。

しかしながら本書は、「数学の歴史でこれまで比較的陽の当たることが少なかった場面を照らすと同時に、我々の想像を絶する多様さと豊かさを持つインド文明を相対的に理解するための一助」としては十分に過ぎる一冊。

知の嗜みとして非常に楽しめるものには違いない。

[ 結論 ]
「ゼロとは何か」といふ問題は、 算盤で考へると、明確になる。

算盤は、通常は計算の速さを、競ふ道具であるが、數そのものを考へる上でも役立つ道具である。

私は、算盤で、二種類のゼロを表現できる事に、氣づいたが、ゼロに對應する、名稱が、分らなかった。

これは、もしかして、昔の人も發見してゐるかも知れないと考へて、古代數學の文獻をさがしいて、この本に出会った。

ゼロの名稱が、何種類もある事も知った。

この中で、私の發見したものと、同じ性質を持つ言葉は、プールナ(purna)=充滿である。

この本は、プールナといふ言葉を載せた、日本で、最初の本だと思う。

電腦網で調べると、ゼロとプールナは、インドでは、極く普通の概念である事が分る。

不思議な事に、ヨーロッパのサイエンスは、ゼロ、プールナ、いち(單位)に關しての研究が、無い。

[ コメント ]
日本のサイエンスは、表面上は、ヨーロッパのサイエンスと同じであるが、禪宗の「無」の問題に、インドのサイエンスがある。

現在は、ヨーロッパのサイエンスが主流のやうであるが、本當は、非常に特殊なものかも知れないのである。

この本が再版されて、読者が増える事を希望する。

[ 読了した日 ]
2009年2月21日