【乱読NO.1730】「日本の数学」小倉金之助(著)(岩波新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
古代から現代にいたるまでのわが日本の数学はどんなものであったか。
また、なぜそうなったのか。
本書は、この課題に対する答案である。
和算は、わが国の学問の中でも最もよく日本人の独創性を発揮したものの一つである。
世界科学史上に輝く和算や明治期の数学を、本人の性格や社会文化との関連のもとに解明する。

[ 目次 ]


[ 問題提起 ]
江戸時代については、永い間、その停滞の側面ばかりが強調されて居たきらいが有る。

江戸時代に、そうした側面が有った事は事実である。

しかし、江戸時代は、決して、そんな停滞ばかりの時代ではなかった事に、日本人は気が付くべきである。

江戸時代は、多くの思想家や科学者を生んだ時代であった。

その中で、比較的良く知られて居るのは、『解体新書』を和訳した医師たちであろう。

しかし、彼らの仕事は、確かに尊敬すべき物ではあったものの、その労力の多くは翻訳に費やされており、独創的とは言ひ難い。

むしろ、宝暦13年(1763年)に、日食を予言、的中させた麻田剛立(あさだごうりゅう)等の天文学者や、本書で紹介される、円周や面積の求積で業績を残した安島直円などの和算家達の方が、すっと独創的であったと、私は、思って居る。

本書は、その江戸時代の和算を中心に、日本の数学史を概観した啓蒙書である。

内容は、和算家達の計算等に深入りはして居ないが、非常に分かり易い。

日本数学史の入門書として、絶好の好著である。

--入門書ではあるが、関孝和の業績をニュートンやライプニッツの微積分学と同等か、或いはそれ以上の物であったかの様に見なす一部の日本人見方を戒めて居る点など、貴重な解説が多い。

ただし、和算とヨーロッパの数学の関係については、書かれた時代(1964年改版発行)を反映して、記述が不十分である。この問題については、平山諦(ひらやまあきら)氏の『和算の誕生』(1993年)を併せて読まれる事をお勧めする。

[ 結論 ]
日本の数学は、まず最初は、中国の数学を受け入れまして、一方では、これを消化しながら、他方では、わが国の当時の事情に適するように、作りかえて、普及をしたのでした。

その中に、間もなく、中国の天元術(ある一つの問題を解くために、一つの未知数を有する代数方程式を立てること、並びにその方程式を解く方法を研究する)を改造しまして、点ざん(筆算による代数)という記号的な代数を、発明するようになった。

この新しい代数、わが独自の代数の力によりまして、日本の数学は、中国の数学以上に、はるかに進展することが、出来たのであります。

殊に円理の如きは、その一つでありまして、幕末の円理は、西洋における18世紀前半の微積分と、ある意味では、くらべることが出来るかと思われます。

しかしながら、封建鎖国時代の日本におきましては、和算は、「無用の用」として、「芸に遊ぶもの」として、特殊な進歩をとげたのですけれども、不幸にして、産業技術や自然科学の方面に、深い交渉を持つ学問の姿としては、ほとんど発達し得なかったのであります。

それで明治維新になりますと、わが国策のために、断然和算をすてまして、西洋数学を徹底的に採用する方針を、とったのでした。

それで、色々な点で、ずいぶん無理をしながらも、わが国運の隆盛、わが社会の進歩に伴いまして、ついに今日見るように、世界の数学界におきましても、多く恥を取らないというところまで、到達したのであります。

いいかえますと、わが日本の数学は、明治維新に際しまして、封建社会にふさわしい、封建的な和讃を殺すことによって、現代に生き、世界的となることが、出来たのであります。

しかしながら、そのためには、何と申しましても、まず国民大衆の科学的水準を高めまして、もっと科学的な地盤を、作らなければなりません。

それには、国民大衆が、もっと科学的に物を考え、もっと数理的に事を処理するように、進まなければ、いけないと思います。

[ コメント ]
国民大衆の日常生活から出発しまして、科学的精神を開発し、数学的教養を取り入れることが、大切だと考えます。

実は、こうあってこそ、国力というものも、本当に健全に増進するのだと思います。

またこういう環境が作られてこそ、今日のような競争の激しい世界の学界におきまして、数学的天才を生むことも、できるのだと思います。

私には、科学的精神、数理的教養を欠いた国民の中から、数学の天才を生むことも、また真に実力ある国家を建設することも、期待することが出来ないであります。

[ 読了した日 ]
2009年2月21日