【乱読NO.677】「松田聖子と中森明菜」中川右介(著)(幻冬舎新書) | D.GRAY-MANの趣味ブログ

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[ 内容 ]
アイドルを自覚して演じ、虚構の世界を謳歌する松田聖子。
生身の人間として、唯一無二のアーティストとしてすべてをさらす中森明菜。
相反する思想と戦略をもった二人の歌姫は、八〇年代消費社会で圧倒的な支持を得た。
商業主義をシビアに貫くレコード会社や芸能プロ、辛気臭い日本歌謡界の転覆を謀る作詞家や作曲家…背後で蠢く野望と欲望をかいくぐり、二人はいかに生き延びたのか?
歌番組の全盛時代を駆け抜けたアイドル歌手の、闘争と革命のドラマ。

[ 目次 ]
第1章 夜明け前―一九七二年‐七九年
第2章 遅れてきたアイドル―一九八〇年
第3章 忍び寄る真のライバル―一九八一年
第4章 阻まれた独走―一九八二年
第5章 激突―一九八三年
第6章 前衛と孤独―一九八四年
第7章 宴のあと―一九八五年

[ 問題提起 ]
〈モーツァルトとベートーヴェンのことを書くように、平塚らいてうと伊藤野枝のことを書くように、松田聖子と中森明菜のことを書く〉

冒頭の宣言でぴんと来て、「参考文献」にいきなり飛んだら、『よい子の歌謡曲』に『週刊本』。

やっぱりなぁ、である。

ちなみに前者はアイドル評論の投稿誌、後者は週刊ベースのペーパーバック。

いずれも80年代のマニアックな読み物だ。

読み終えた後もくすくす笑いが止まらない。

とりわけ1960~72年くらいの間に生まれた人は、私の読後感を共有して下さるはず。

時代が、あの頃の自分(たち)が、出来れば裏庭に埋めっぱなしにしておきたい恥ずかしさもセットで、「還って」きまっせぃーー!!

「ソニーはこの子でポスト百恵を狙うらしいよ」

「うそぉ、こんな顔で??」

1980年春。

デビュー曲「裸足の季節」のジャケ写を前に、私を含む某ラジオ局の新入りディレクターはあ然とした。

だが、山口百恵のアンチテーゼとして登場した「ぶりっ子」は、またたく間にヒットチャートを駆け上がって行く。

[ 結論 ]
著者は、松田聖子と、そして彼女のライバルとなる中森明菜の〈革命と闘争のドラマ〉を追いつつ、エイティーズ邦楽シーンの検証を試みる。

とりもなおさずそれは、テレビのベストテン番組や賞獲りレースが歌手のステイタスを決め、視聴者の多くが「紅白」で歌われる曲を口ずさめる時代であった。

「ダンシング・オールナイト」と「哀愁でいと」が聖子の「青い珊瑚礁」と同年のヒットであったとか、82年デビューの明菜の同期生は?と問われたら、小泉今日子に堀ちえみに早見優……くらいの歌手名ならすんなり出る、とかいったことだ。

徹底してアイドルという虚構に生きる聖子の「無意識」に対して、そのつもりがなくとも自分自身を歌っていると受け止められ、つい、不幸の匂いをまき散らせてしまう明菜の「自意識」。

著者は、そんなふうに〈相反する思想と戦略を持った二人の歌姫〉のバトルの構図を、80年代ヒットチャートの推移を軸に展開する。

「半年過ぎても手を握ってくれない」彼、だけどそんな「あなたの生き方が好き」と歌われた「赤いスイートピー」を」はじめとする歌詞分析は、本書でもっとも冴えている部分。

なかでも松本隆作詞の聖子ワールドに、著者は最大の関心を寄せているようだ。

「思わせぶりな記号が散りばめられた」という点における、松本隆&聖子の歌詞世界と村上春樹作品との類似性。

「天国のキッス」で繰り広げられる全面的な自己肯定(&陶酔)。

松本隆と聖子によって、日本の歌謡曲が「自虐的」から「ドライで軽い」世界へと変革したこと――。

〈松本隆&松田聖子の歌詞をめぐっては、ごく一部のマニアのあいだでは、さまざまな論争が展開された〉

語っても語っても止まらぬ想いの迸り。

そう、80年代とは、オーディエンスが「語り」始めた時代であった。

「筒美京平研究」「明菜と来生(えつこ・たかお)姉弟との出会いは、百恵における阿木・宇崎コンビ同様、吉と出るのか、否か?」……。

「よい子の歌謡曲」にはその種の投稿が溢れていたし、キョンキョンはいわゆる新人類連中がポストモダンを「論じ」るのに格好の対象となった。

70年代の洋楽に浸り、耳の肥えた男の子たちが、アイドルやその楽曲について小難しく「語る」ようになったのだ。

新人類よりちょい上世代の私も、「ラテンの明るさと哀愁が絶妙にブレンドしたトシちゃんのノリ」などと、「よい子の歌謡曲」に投稿した過去を有する(没ったが)。

1960年生まれで、オタク第一世代を自認する著者(現在「クラシックジャーナル」編集長)はおそらく、20年来溜めに溜め込んだ「語り」を、本書で一挙に吐きだしたのだろう。くすくす笑いが止まらぬ読後感とは、まさにここ――男ってホント、理屈づけが好きなんだから――って、褒めてるんですよ、ちゃんと。

もっとも、当時から30年近く経ったいまだからこそ、見えてくることもある。

「気が弱いけれどもそんなあなたの生き方が好き」という「赤いスイートピー」の歌詞を、自分を傷つけまいとして女の子にアプローチしない・できない「気弱な」男の子たちは、告白できなくてもいいのだという意味に誤解したと、著者は振り返る。

〈そして「あなたの生き方が好き」と言ってくれる女性が現れるのを待った。だが、そんな女性は現れない。これが晩婚化につながり、あるいは結婚しない男女を増やし、少子化の遠因となった〉

こうした記述を、こじつけじゃん?と一笑するのは簡単である。

けれども、元マニアックな音楽少年として、そう分析したい著者の気持ちはわかる。

当時、世間から身を潜め、ひっそりと、けれども濃厚にジャニ・タレの「おとなファン」をやっていた私やその周辺からも、いまにして思えば、後の晩(非)婚化、少子化との関連がほの見えた。

アイドルに対してさまざまに入れ上げ(女のアイドルファンの高年齢化も80年代半ばから徐々に始まった)、そして「語る」男の子たちの傍らには、深く濃くアニメやコミックに時間とお金と「語り」を注ぎ込む若者も、80年代の前半、すでに存在していた。

〈彼らは第一次オタク世代と呼ばれるようになり、その礎があったからこそ、こんにちのコンテンツ産業は存在する〉と、著者は結ぶ。

[ コメント ]
この本は、著者や私より若い世代が「オタクの夜明け」を知るのにも役立つテキストだ。

ところで本書を読んで以来、「あぁ~、ハダカの髪はぁ~」と白髪染めのCFで歌うHIROMI GOが気になって仕方がない。

頼むからくっついてみてくれないか聖子ちゃん。

2008年初頭に復縁宣言、お盆前に破局会見ってな「期間限定」でいいからさぁ?

[ 読了した日 ]
2008年5月1日