D.GRAY-MANの趣味ブログ

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ココチよさって私らしく暮らすこと ~読書と音楽と映画と・・・Plain Living and High Thinking~

本日は、お越しくださり、ありがとうございます。

自分の得た知識・経験・体験・スキルなどを興味の趣くまま提供する趣味ブログです。

自分の好き嫌い・得手不得手・趣味に、少しでも共感頂けて、つながっていけることを楽しみに待っています、ね(^^)

【自己紹介】
https://profile.ameba.jp/me

【趣味ブログの標語】
「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」by タモリ

【関連サイト】
<ノート>
固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。
https://note.com/bax36410

<インスタグラム>
「日日是好日-暮らしの歳時記フォトアルバム」
「写真と言葉はひとつ」と題して、お気に入りの写真に言葉を添えて、投稿しています(^^)
https://www.instagram.com/bax36410/

<ブクログ>
大人の本棚「こどもごころ」(只今、本&映画&音楽&ゲーム等セレクト中♪)
一冊の本からは、人生と同じように無数の道筋が次なる本に向かって伸びています。
その道のひとつ、または複数を選択して未知の本と巡り会える、そんな自分の好きな本(に音楽と映画をプラス)を、好きなだけ置いた、理想の本棚&“素の自分”に戻れる大人のための秘密基地♪
https://booklog.jp/users/trafalgar

人生では、予期できないことってたくさん起こります。

いいことも、それほどよくないことも。

保険をかけたり、準備したり、できることはするけれどそれでも防ぎようがないこともありますね。

でも、サプライズって楽しいもの。

そもそも人生でどんなことが起こるのか、ずーーとわかっていたら面白くないかもしれないし、うれしさも半減したりするかもしれません。

何が起こるかわからないから楽しい、楽しみなのかも。

悲しいことやつらいことがあるのは、そのときはうれしくないけれど、それがあるから人の痛みがわかるようになったり、人間として成長できたりもします。

それに、悲しいことがゼロなんて人もまずいないから考えてみれば公平なのかもしれません。

自分だけが・・・・・・と思ってしまうと悲劇になります。

人生は何があるかわからないのは、皆さん自身も実感しているはず。

たとえば、5年前、10年前をたどってみてください。

今のようになっているなんて、想像していましたか?

もちろん、こうなると思い描いていて、その通りになっている方もたくさんいいますが、同時に多くの方は、想像もできないところにきたなあ、とびっくりして感慨深いところもあるでしょう。

年賀状で結婚しました、子供が生まれました、なんてお知らせを受けると、1年って人生を変えるなあと思います。

1年はあっという間だけれど、1年でぜんぜん違う立場や場所、人生の立ち位置になっていたりします。

たとえ今がどうだろうと、1年後にはもしかしたらとってもハッピーなことになっているだろう、と期待したいと思わせてくれます。

期待はずれに終わることがあっても、目標が達成できなくても大丈夫。

だって、人生どうなるかなんて、わからないんですから。

達成できなかった目標は少々手を入れたてもいいし、もういいやと思うなら、別な目標にしてもいいし、そのあたりには私たちの自由もあります。

それから、人生には運が左右するところも否定できないけれど結局運を自分のものにできるかできないかも、普段の考え方や姿勢次第・・・・・・と感じませんか?

あのときが分かれ道だった、なんていうのも後からわかったりもしますし、運がよかったと思ってもよく考えてみると、そのための努力や積み重ねもあった、と思えるはずです。

You don't just luck into things as much as you would like to think you do.

You build step by step,whether it is friendships or opportunities.

幸運とは、友情でもチャンスでも、自分で少しずつ積み上げていくものだという格言もあります。

アメリカの元大統領夫人のバーバラ・ブッシュさんの言葉ですね。

人生何があるかわからない、とは言え、私たち自身の毎日の考えていること、発している言葉、行動が明日を作っていくと思うと、今一日一日を大事にしたい。

そのために、今日は、明日は何を考えよう、何をしよう?と自分に問いかけてみてください。

最後に、人生に関する先輩たちの言葉に耳を傾けてみますか、ね(^^)

「人生はつくるものだ。必然の姿などというものはない。」坂口安吾(作家)

「苦味のない人生なんて、きっとつまらない人生だからね。」忌野清志郎(ミュージシャン)

「人生を変えたい人は考え方を変えなさい。」ジョセフ・マーフィー(思想家)

「私たちの人生は、神の手にゆだねられているのではなく、料理する人間にゆだねられている。」林語堂(言語学者)

「失敗は、充実した人生を得るために支払う手数料の一部。」ソフィア・ローレン(女優)

「何が人生の幸せか、それはその人の考え方次第である。」ジョン・ドライデン(詩人)

「人生を見つけるためには、人生を浪費しなければならない。」アン・モロー・リンドバーグ(女性飛行家)

「これから何年、何十年生きても、おそらく人生というものなどわかりっこないに違いない。ただ、そうした解らない人生というものの終局点に立ったとき、人生を肯定する立場に立っていたい。」井上靖(作家)

「失敗のある人生は長く、失敗のない人生は短い。」畑村洋太郎(工学者)

「人生の意味とは、自分がやりたいと思うことをすること。」パウロ・コエーリョ(作詞家)

「人生二度なしという真理ほど、われわれ人間をして人生の深刻さに目覚めさせる真理は、ほかに絶無と申してよいでしょう。」森信三(教育者)

「オレはよく人に、貴方の人生で一番大切な事、あるいは一番大事な物はなんですか?と聞く!それがその人を知りたいと思った時に一番シンプルな質問に思えるからだ。」南部虎弾(コメディアン)

「成功だけしたいわけじゃないの。人生を楽しみたいだけ。」ジュリー・ブラウン(写真家)

「人生の意義は、あなたが人生から逃れることでなく、人生に何を与えるかなのです。これがわかれば人生は豊かになります。」キング牧師(公民権活動家)

「人生って短すぎます。少し賢くなったと思ったら、もう年取っているんだから。」フジ子・ヘミング(ピアニスト)

日常生活のなかで夢を追いかけている友人が自信を失くしているとき、何と声をかけるでしょうか。

このような場面では、多くのネイティブがNever say never.(諦めちゃだめだよ)と言うはずです。

「Never say never. 」は、その場面に応じてさまざまな意訳をすることができます。

絶対ないとは言えない、最後までわからない、可能性がある、諦めてはいけない、これら全てに応援の思いが込められているのです。

そう、絶対に、という言葉に縛られることはありませんか。

英語では、絶対にネバーなんていわないこと、ということでNever say never といいますが、ホントこれ、そう。

たとえば、何かやって、もう二度とこんなことしない、とか、二度と間違えない、とか、つい、絶対!とか二度と、と心に誓ったりしますよね。

多くの場合、反省を込めた意味もあるので、それはそれでいいんだけれど、その「絶対」とか、「二度と」という言葉で自分を呪縛しないように心積もりをしておいてください。

私が見る限り(自分自身や友人知人、さらに家族や同僚など。)、二度とと言いつつやっぱり繰り返してしまうことってけっこうあります。

本人が二度と、と言ったのを覚えていないならまあそれも問題なときもありますが、「二度と」と誓ったのに私って心が弱い、意志が弱い、ダメだなどと自己批判につなげて落ち込むパターンを本当によく見かけます。

大抵の場合、人間は同じことを3回くらいは繰り返します。

本当はしたくないけど、同じ間違いも3回くらいやる。

その証拠に、ああまたやっちゃった・・・・・・という経験はどの人にもあることでしょう。

一発でOKということのほうが少ない。

2度あることは3度ある、などとも言いますよね。

そのくらいしないと覚えない、気づかない、ということなのでしょうか。

実際、身の周りで起きている出来事から何か学ぶとき、大抵の場合同じようなことがすでに3回くらいは起きているとも言います。

ときに、never say never と言って、自分をあまり縛らないことです。

そういえば私も昔、もちろん意図したことではなかったけれど何か自分の中で失敗したと思ったことがあり、もうこんなことは絶対二度としない、と別の友人と話したことがあります。

そうしたら「まあそんなこと言わないで。たいていもう一回二回くらいはやるから、心がけはいいけど、そのときのために、絶対に!なんて言ってあまり自分を縛らないでおくほうがいいわよ。」といわれたことがあります。

確かにそうかもしれない、と当時思ったものです。

Never say never はいろいろな可能性にも目を向けさせてくれるものでもあります。

たとえば、こんなことは絶対できない、と思っていても案外できてしまったり。

この人とは絶対関わりたくない、なんて思っていたのに、時が経ってみると、ぜんぜん違う関係になっていたり。

否定してみるよりも、肯定して物事を見つめてみるのに思い出したいフレーズです。

肯定といえば、never say never は否定文のときだけにあてはまるもので、肯定文には当てはまりません。

だから、絶対こうしたい!こうなりたい!というときは遠慮なく「絶対」を使ってもいいですね。

万一できなかったときのことを考える暇もなくてもいいですし。

そうなったらそうなったときに考えればいいのですから。

二度と~しない!と頭をよぎったらNever say never をちょっと思い出して今思ったことを肯定文に変えられるように工夫してみるのもいいですよ。

フォーカスすることが現実になるので二度と・・・と思っていると、それがまさに二度起きる可能性もありますから。

絵本作家である小泉吉宏さんは、

「じたばたしたり苦しんだりした時は、実はチャンスなんだ。

自分になにが起きているかをしっかり観察すると見えてくるものがあるみたいだ」

と言っていました、ね。

冷静さを失ってしまうと、見えるはずのものも見えなくなってしまうから、今、いま自分がどんな状況にいるのか、冷静に客観的になって考えてみて、ピンチの裏には必ずチャンスがあるのだから、冷静に見つめなおしてみたいけど、なかなか、そんなに上手く行かないのが現実・・・・・・

でも、後から考えると、それほど大問題ではなかったのになんであのときあんなにジタバタしたんだろう?という経験は誰にでもありますね。

自分の視野や考えの箱から抜け出せずに、その狭いところでひとりで悶々としてしまうのでしょうか。

ひとつは、渦中にいるときは、箱の中ばかり見て、周りや物事がよく見えないから。

箱の中だと、相対的に小さいことが大きく見えますよね。

でも、時間が経てば、自分が成長して見方が変化することも。落ち着いて考えれば、見方もまた変わります。

小さいことに右往左往しないためにはいったい何をどうすれば、どう考えたらいいでしょう。

一番は、根気。

とくに、自分に対しての根気。

失敗の最大の原因は、往々にして、粘りが足りないことだから、右往左往している自分にイライラしないだけの根気を持つこと。

これ、渦中にいるときは大変なチャレンジかもしれません。

結果がすぐ欲しいときも、根気を持つのは大変。

元々の見込みがあまければ、少しやっただけで、すぐにあきらめてしまうことになります。

簡単に時間をかけずに何かを達成できると、最初から考えないようにしてみることも大切ですね。

根気強く時間をかけてやるつもりで、最初から覚悟しておく!

でも、自分の精神衛生上、自分への根気(patience to yourself)がどうしても必要になってくると私はいつも思います。

とくに、物事が思うように動かないとき。

答えがなかなかでないとき。

自分にイライラするとき。

根気、根気、根気・・・・・・と意識して繰り返して思い出してください。

ここで、無理に根気で押さえ込もうとすると逆効果もあるので気をつけて。

練習としては、紙に今持っている感情を書き出してみるのもいいですよ。

たとえば自分が今なぜイライラしているのか、どんな感情があるのか。

どんな目的を持ってその感情を持ち続けるのか、など。

感情は考えているだけだと見えにくいけれど文字にしてみると整理しやすくなります。

必要であれば、壊してもいいものを壊してもいいかも。

紙なら破いても害になりません。

それから、自分を責めすぎないこと。

自分を必要以上に責めても、あまりプラスの効果は得られず、逆にマイナスの効果のほうが大きい。

マイナスの効果を生んでいることを無意識に選んでいるとしたら、自虐行為。

もしかしたら自分バッシングをすることで満足したりしていないか、チェックもしたいものです。

何かあれば、一時的には右往左往することもある。

自分だけじゃくて、みんな一緒です。

自分だけ特別にダメだとかデキナイんじゃなくて、どの人もそれぞれの課題や悩みを持って、自分なりに解決しようとしている、と思ってみてはどうでしょう。

だから、私も私なりに答えを出せばいいんだと思って肩の力を抜いて。

いずれは物事は回っていくものです。

それぞれ違う歩んできた足跡・・・・・・

答えがないから人生は面白いのだから・・・・・・

それを信じるためにも自分への根気を持って、自分を責めすぎないようにしてくださいね。

あなたのココロの中で何か、どこかで、終わっていないことってありますか?

英語では、「unfinished business(やり残した仕事)」とか、「unresolved matter(未解決の問題)」といいます。

【参考記事】

 

未解決問題、または「終わっていないビジネス」なんですが、この「ビジネス」には、出来事とか問題というような意味合いです。

要するに、未解決のまま時間が経っている、ココロの中にどこかひっかかっていること。

たとえば、子供のころ、お友達を傷つけたりいじめてしまったりして、本当はごめんねと思っていたのに、謝る機会もないままになっていて、でもココロの中でどこか引っかかり続けていること、とか。

自分がやったことだけに限らず、誰かとのすれ違いや仲たがい、別れてしまった彼との関係、そのときに背負ったココロの傷。

ああすればよかった、しなければよかった、もっと何かしてあげればよかったなどの後悔や罪悪感。

出来事そのものは終わっているし、人との付き合いなども終わっているのだけれど、自分のココロの中には残っていて、すっきり終わっていない。

まさに「unfinished」という感じ。

そうして考えてみると、大なり小なりいろいろ出てきそうです。

多くの方が持っているし、だからといって特別良くないというわけでもありません。

未解決の問題だから解決するべき、というのでもなく多くの方がそのまま抱えているのも事実。

解決するかしないかの判断は自分だけの選択でその判断をほかの人が知る必要もないので人からどう思われるか心配することもありません。

ただ、自分の中に残ったままだと、どこかで心のエネルギーがこぼれていくというか、どこかでひっかかっているから、ひとつのエナジー・バンパイアともいえます。

ちょっとやっかいなのは、自分では終わらせたつもりでいたのに、何かふとしたことがきっかけで戻ってきて、実は終わってなかったと気づくとき。

いずれにしても、「unfinished」ということで過去であること、その過去が追いかけてきていて、できるならその状態は変えたいですね。

自分の中の「unfinished business」に気づいたらあなたはどうしますか?

一人で行動を起こして終わらせることもできるし誰かと話し合いをして終わらせることもあります。

もう会うことのできない人(亡くなった人や連絡が取れなくなってしまった人など)が相手だと、直接は話し合うことができないから、自分なりに何か工夫しないと解決できないこともありますね。

傷つけられた人なら、その人も大変だったんだと思うことで、そして許すことで自分が楽になれることも。

それで楽になれないなら、まだ許せるタイミングではないかも。

もう少し時間がかかるかもしれません。

無理に許しても許すことにならないので、押し通さないこと。

もっと優しくしてあげればよかったのに、優しくできなかった、という相手なら、今からでも心の中でその相手に優しい気持ちを持つようにするとか。

その人に対して出せない手紙を書くこともいいかも。

もう会えない相手だと、その人に対してできることは限られてきますが、できることで自分を楽にしてみてください。

「unifinished business」について探って終わらせることは、自分の本当の気持ちをじっくり露出するのでときに疲れるし、居心地も悪くなります。

なので、自分に対してここではあまり厳しくせず正直な気持ちを大事にするのが一番。

いずれにしても、過去にとらわれていてはやっぱり勿体ないので、できるだけ終わらせて、クリアに前進していきたいですね。

普段、どんな選択をしているかあまり意識していませんが、あなたは最近どんな選択をしていますか?

たとえば、ハッピーになる選択、反対の選択。

前向きになる選択、そうでない選択。

元気でいるための選択、元気をなくす選択。

周りで起きる出来事は自分でコントロールできず選べないこともあります。

それは確かにそう。

自分が無意識に引き寄せていることもあるのですが・・・・・・

ただ、何かが起きて、その後どうするか、どう感じるか、の選択は常に自分でできること、忘れそうになってませんか?

それから、普段私たちがどれだけのことを無意識に選択しているか、も。

たとえば、朝起きることや会社に行くことなど当たり前すぎて、無意識すぎて、自分でそれを選んでいることさえ、もうわからなくなってます。

「自分で選ぶ」ことに確かに慣れていないことってあると改めて思いました。

とくに日本ではそう。

与えられるものに対してあまり疑問を持たないようになってる。

これは国民性なのか文化なのか、和を重んずることから来る習慣なのかわかりませんが、簡単なものでは食べ物から。

自分が欲しいもの、進みたい道、やりたいことなど、このあたりは比較的わかりやすい選択ですね。

わかりにくいのが、何か起きたときに、そのリアクションとしての自分の選択です。

何かがあると、つい、不可抗力で自分の力ではどうにもできなくて私はアンハッピーになってる、と思うことはないですか?

アンハッピーの部分に、「惨め」「不幸」「傷ついた」「悲しい」「むかつく」・・・・・・と入るものはたくさんありそうです。

確かに、直後のリアクションとしては、何も考えないのでこうした感情が出てくるのもうなずけます。

訓練次第で直後のリアクションを変えていくことも可能ですが、別に感情を無理に否定しなくてもいい。

ただし、最初のリアクションの後、ここからどうするか、「レスポンス」がポイント。

不可抗力の出来事は、誰にでも起こるし、誰だって経験します。

いつでも違いは、その後。

確かにラッキー・アンラッキーは多少はあるにしても、どう見てもとてもラッキーとは思えれない境遇にあった人がハッピーでいるのを見れば、ラッキー・アンラッキーが果たしてどれくらい重要なのか、そしてそれをどれほど重要視するかもひとつの選択。

となると、結局はここでどんな気持ちを選んで、どうなっていこうと思うのか、そしてそのために何をしていくかの選択が本当に人生の分かれ道。

自分が不幸と思うとしたら、それも選択のひとつ。

私はハッピーだと思うのもひとつ。

気持ちって重要で、ハッピーな人と自分が不幸だと思う人とでは、行動も変わってきますから結果も変わってきます。

普段の選択、毎日の小さな気持ちの選択にもう少し意識を向けて、プラスに持っていくように積み重ねてみると、きっといろいろなことが変わってきそうです。