D.GRAY-MANの趣味ブログ

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ココチよさって私らしく暮らすこと ~読書と音楽と映画と・・・Plain Living and High Thinking~

本日は、お越しくださり、ありがとうございます。

自分の得た知識・経験・体験・スキルなどを興味の趣くまま提供する趣味ブログです。

自分の好き嫌い・得手不得手・趣味に、少しでも共感頂けて、つながっていけることを楽しみに待っています、ね(^^)

【自己紹介】
https://profile.ameba.jp/me

【趣味ブログの標語】
「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」by タモリ

【関連サイト】
<ノート>
固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。
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<インスタグラム>
「日日是好日-暮らしの歳時記フォトアルバム」
「写真と言葉はひとつ」と題して、お気に入りの写真に言葉を添えて、投稿しています(^^)
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<ブクログ>
大人の本棚「こどもごころ」(只今、本&映画&音楽&ゲーム等セレクト中♪)
一冊の本からは、人生と同じように無数の道筋が次なる本に向かって伸びています。
その道のひとつ、または複数を選択して未知の本と巡り会える、そんな自分の好きな本(に音楽と映画をプラス)を、好きなだけ置いた、理想の本棚&“素の自分”に戻れる大人のための秘密基地♪
https://booklog.jp/users/trafalgar

人生ではどっちにしようか迷うときって必ず出てきますよね。

迷うときは、どちらも正解というか、どちらにもメリットがあり、デメリットがあり、どちらにも不安があり、などと、似たり寄ったりで、困っちゃいますよね。

たとえばキャリア。

転職したい。

でも今の安定した生活も捨てがたい。

転職できるかどうかわからないし・・・・・・夢があって、それを追いかけていってもいいのかな。

それで食べていけるんだろうか?

それとも、今の仕事をやはり続けていくほうが確実なんだろうか?

なんていうのは、本当に多くの方が迷うところ。

ここに、年齢なんか考え始めると、もっと迷ったり。

ほかにも恋愛でも、彼と別れるほうがいいのかどうか迷ったり。

私たちが普通、何か良いことや嬉しいことがあって、「生きている甲斐がある」、「生きていてよかった」と思えることも、それは一時的なことで、私の感覚では、茶碗のように、ふとしたことで、壊れてしまうようなことが多いような気がします。

私たち人間の普段の生活と言うものは、普通に過ごすことができる時には気にもかけませんが、実際は、微妙なバランスの上に成り立っています。

細い紐の上を綱渡りしているようなもので、だれかが理解してくれているとか、愛され、大切にされていることがわかるとか、だれかを愛しているとか、未来に対して意志や希望を持っているとか、そういうものを支えにして、人生という綱の上をわったています。

そして、本当にふとしたことで、そのバランスがくずれてしまう時、私たちは、苦しみや悲しみを感じ、不幸のどん底に落ちてしまうように思えるのです。

そして、私自身の経験では、バランスうまくとって、さらに、「生きている喜び」、「生きがい」を感じる時よりも、綱から落ちかけたり、あるいは落ちてしまって、悲しみや悩みを抱えている時のほうが多いように思われます。

作家の林芙美子は、自分の人生を振り返って、「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」という有名な言葉を残しましたが、私も、人生は「苦しきことのみ多かりき」のように思えます。

人は自分が幸せな時にはそれに気付かず、病気や苦難に耐えている時に、やっと幸せに気付きます。

アメリカの詩人ホイットマンは「寒さに震えた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」と詠っています。

思想家の内村鑑三は、「幸不幸について「永生の希望なくして、最も幸福なる生涯もあわれむべき生涯なり。永生の希望ありて、最も不幸なる生涯もうらやむべき生涯なり。生涯の幸不幸はこの希望の有無によりて定まる」と説きました。

大切にすることは、簡単そうで、本当は難しいことですね。

私自身も、毎日の生活の中で、本当にいろいろなことが重なるから、考えさせられていますね。

なぜ、私たちは、生きていてよかったと思えるようなこと、生きる意味や生きがいを見い出だせなくなってしまったのでしょうか。

多かれ少なかれ、実は心の奥そこで、「つまらない」と感じているのことはないですか?

人は時に弱く、時に強く、そして全ての気持ちは儚いって、感じることはないですか?

で、どちらが正しいのか、ということになると、周りが何をどう言おうと、何をアドバイスしようと本人にしか判断できないのです。

どっちも正しいとしたら、どちらを選ぶか。

結局は、何を基準に選ぶか、自分の中のプライオリティ(優先順位)ですね。

なので、自分にとって何が今大事なのか、を普段から意識できていると、選択するよりどころが出てきます。

ただし、状況によってその軸も揺らいだり、プライオリティも変化するでしょうから、柔軟性を持って臨機応変でいいのです。

本当の答えは、自分でしか出せないし、周りがなんと言おうとも、自分でこれでいいと思う決断で十分。

でなければ、痛みや後悔の素になることもあります。

よくあるのが、とくに転職を考えるときなど、今の仕事を辞めるのは、「逃げだと思われるかな?」と迷ってしまうこと。

それが本当に逃げかどうか、心の奥底では知っているのですが仮にそれが「逃げ」だからと言って、それをとくに恥じることもないと私は考えます。

もし周りに逃げだと思われるのがイヤで、それが何よりも大事なら、逃げない道をとれば良いのです。

逆にそう思われてでも何でも、とにかくこの場を離れることが私にとっては大事だ、と思えるならそれで立派な選択です。

そもそも、周りが思う逃げと、自分が考える逃げと定義が違うことだってあるし。

自分の中では言い方はいくらでも変えられます。

思い出したいのは、逃げだと言う人はいつでもいること。

何かすれば、非難する人は大体いつでもいるのです。

他人の心の事情まで、本当に知っている人は数少ないもの。

知らない人にあれこれ言われてもそれはそんなに正確な情報とはいえません。

また、本当に逃げかどうか判断するのは、自分だということ。

他人が知らなくてもいいこともたくさんあります。

正直でいることと、周りにすべてを開示することは、違っていてもいい。

逃げる選択はしないほうがいい、というのは確かにありますが、ときには逃げるが勝ち、ともいうではありませんか。

たとえここで逃げたとしても、次こそは踏ん張るんだ、と決意するきっかけになるなら、それは意味のあることにできます。

あなたが最近迷っていることは、何でしょう?

どちらも正しい選択だと仮定するなら、何を優先したいですか?

私のやることなんて、まだまだだなぁ、と思うことはありますか?

どんなことでしょう?

さらに、そう思った直後によぎる思いはどんなものですか?

落ち込みますか?

それとも、これを励みにもう少し努力してみよう、と思いますか?

このリアクションの差が、私たちのその後を決定づけるものなので、意識してみてください。

落ち込む選択をすれば、モチベーションも下がり、劣等感も強まり、自信喪失、自己嫌悪・・・・・・、さらにやるべきこともやらなくって、とマイナススパイラルへのドアを開けることに。

確かに、真実を知って一時的に惨めになるとしてもまだまだなら努力してみよう、と思う選択をするなら次のステップへの道は一段は確実に登ってしまったのと同然。

一段上がることが重要なときもあるので、これは大きいですね。

人生の10%は確かに自分に起こる出来事で決まってしまうかもしれない。

しかし、残りの90%は、それに自分がどう対応するかで決まると看破した「大学アメリカンフットボール界のレジェンド」と称される名コーチであるルー・ホルツのこの言葉に気づけるかどうかで、未来が変わってきます。

ここで、プラスのリアクションをするために心に留めておきたいことは何でしょう。

キャリアでも趣味でも何でも、上を目指す、なにか道を極めてみるなら、どんなときでも常に上には上がいること。

どんな師匠にも、師匠はいます。

それに、誰だって最初は初心者。

最初からなんでもすべてできた人なんていないのですから。

上がいるのは、私たち自身のさらなる可能性を示してくれているということで、本当はラッキーなのでしょう。

そのラッキーに感謝して、今の自分の位置を確認できたことに感謝してみれば、まだまだだな、と思う経験も、いいものです。

同時に下を見れば下もきりがありません。

このときは、私も昔はそうだった、と自分のやってきた道を振り返って、自分を認める絶好のチャンスにしたらいいのです。

思えば遠くに来たもんだ、じゃないですが、そんな風にも思えますよね。

それから、どんなときも「私もまだまだ」と思うのは自分の中の向上心のサインだと考えてみましょう。

もしかして、そう思わなくなったら、成長も止まってしまうかも。

この気持ちを大事にしたらまだまだ、と一瞬思うのも意味のあることにできます。

後は、慣れと経験と、回数をこなす積み重ね。

いま変化することを躊躇していたら、この先新たなことも始まらない。

いままで当たり前だったことが、これから先もそうだとは限らないから、変化することは必然的なことで、環境に合わせて考え方も変えてみることがポイントです。

努力や根気、という言葉、昔の私はあまり好きじゃありませんでしたが、好きであるなしに関わらず、そうしたものが必要なときもあるのだと今は実感します。

ただ、努力も根気も楽しいことや自分がやりたいことなら長続きもするし、努力だとか根気だなどと思わずにできるので苦にならないし、なんともなくなります。

そういう努力や根気にすればいいのです。

そして、ときにはただ時間がかかるときもある、と気持ちの準備をしておきましょう。

準備をしておくだけでずいぶん違います。

人はついすぐ一足飛びに行きたいですけれど、そしてそうできるときもありますけれど、そうじゃないときのほうが多い(かも?)です。

ときには、ひとつひとつ順番を丁寧に踏まないと、前に進めないときもある。

または今回り道することでいずれ近道になる日もやってくるでしょう。

自分を主張できることは大事なんですが、ときにそれがきっかけで事態や人間関係をこじれるときがあります。

まあ、こじれて壊れるべきときもあるのですけれどそんなときどうするかで悩むことってけっこう出てきますね。

たとえば、主張してももうどうにもならないとき。

どんなに自分が正しいと思って理不尽に感じても、もう何もできないとき。

主張してその場は満足できても、その後が自分にとってメリットがないとき。

あまりに主張しすぎると自分勝手だと言われたり、変な誤解を受けやすくなるというデメリットがあって、それが困るときなど。

言われても誤解されても良いなら別ですが・・・・・・

こんなときは、私は私は、という主張にフォーカスするのではなく、自分の気持ちを伝えてみようとフォーカスをシフトさせることで意外に(主張も含めて)十分なこともあります。

たとえば、お互いに誤解してしまってすれ違いがあったとしたら、今回は誤解があって残念に思った、というような感じ。

何が違うかというと、結果的に自分がどう感じているかだけを伝えることで、とりあえずはこちらの感情を伝える作業は終わるので、自分の話をするという意味では主張と変わらない。

でも、不思議なことに少しやわらかい伝わり方になります。

あくまでも自分の話なので、相手を批判する、責めるというところがなくなるからでしょうか。

このときに、誰かのせいで、相手のせいで、というようなことを言ってしまうとせっかくの努力もまた違うように受け取られてしまいます。

なので、中心は事態がどうあっても、誰のせいだろうと「結果的に私はこう感じているのを知ってもらいたい」という姿勢を持つこと。

それでも、誰かに自分の思っている正直な気持ちを伝えるのは、それなりの工夫や勇気もいります。

たとえば、相手に対して何かしこりがあるとき、上下関係があったり、仕事関係、お金がからんだりすると、また大変です。

こちらの気持ちを伝えることで、相手の気を害してしまわないか、または仕事をもらえなくなってしまわないか、とか。

または、本当は相手が悪いと思うんだけど、そう言ってしまっては終わりだからどう伝えるか、など。

嫌われたらどうしよう、こんな風に受け取られたらどうしよう、とムクムクと自分の中で想像は膨らんでいきます。

どう自分の気持ちを伝えたら自分が満足できて相手にあまり失礼にならないか、ときに本当に悩ましいです。

かと言って、自分の気持ちを伝えずにいるのも苦しいものですよね。

我慢ばかりしていてもどこかにひずみがきます。

ひとつには、自分の気持ちを伝えてもいい、と自分で思ってみること。

それに、言葉にしてみないと伝わらないことも多いのです。

もし何かぎくしゃくしている、というようなときには相手も同じように感じているはず。

自分の気持ちを伝えると同時に、相手の気持ちも聞いてみる姿勢で向き合ったら、意外にスムーズかも。

こんなとき英語では、相手に自分の感情や気分、体調、そして意見を簡単に伝えたいときに使える便利な動詞”feel”の使って、以下の様な構文で自分の気持をスムーズに伝えることができるようになります。

・感情や体調を伝える I feel + 形容詞.「~に感じる」

・気分を伝える I feel like -ing.「~したい気分です」

・感覚を伝える I feel like + 文.「~のような気がする」

・控えめに考えを伝える I feel + 文. 「~だと思う。」

つまり、私はこんな風に感じている、というように主語を自分にすることで、誰を非難するのでも責めるのでもなく、自分の感じていることだけを伝えてみる、というものです。

同じ内容でも伝え方が違えば、実際に相手がどれだけ理解するかにも差が出てしまうので、誰もが分かるように、前述の構文も参考にして、単純明快に表現できるように練習してみてください。

自己満足ではなく、相手がどれだけ満足できるかを考えて伝えていくことが大切ですね。

たとえば、あなたがこう言ったから私は傷ついた、という言い方よりは、「私は今傷ついている」というほうが、相手にはよりわかりやすいから、どうすれば相手が理解しやすいかを考えて、わかりやすい伝え方をしてみる。

使え方でも、目的と手段を間違えないで、相手が分からなければ意味はないから、自分中心の発想ではなく、相手の立場と目線に立った伝え方に変えていきましょう!

ただ・・・・・・あなたが・・・・・・と言われたら相手は責められていると感じて、攻撃的になったり、また防御・反撃体制に入ったりします。

すると、聞く耳を持たなくなったり、聞こえているのに聞いていない、という状態になったりします。

こうなると自分の気持ちを伝えるのは大変です。

主語はあくまで自分に、フォーカスは自分の気持ちに、と持っていくようにしてみてください。

このあたりはスキルなので、練習しながら身につけていってください。

何度もやってみるのが一番。

ときには失敗するかもしれませんが、その価値は必ずあります。

私たちは話している時は何も学んでいなくて、質問をしているときに物事を学ぶ点に注意して、自分なりの方法を見つけてください。

誰かに助けてもらうのもいいですし、誰かに練習台になってもらうのもいいでしょう。

また、自分の気持ちを正直に共有できるだけの人間関係がしっかりしていると楽なので、その準備もこめて周りとは普段から良い関係を保つようにしてみるのもよさそうですね。

なんか、気持ちが乗らない日ってあります。

そのために、ホントはやろうと思っていたことがなんだかイマイチできない日。

私もそう。

みなさんにも、こんな風になんか乗らない日はあるはず。

まあ、この世の終わりではなし。

こんな日、どうしていますか?

「ものごとを美しくするのも醜くするのも、すべて人間の気持ちのもちかた次第で、ものごとそれ自体は事実にすぎない。」田辺聖子(小説家)

気持ちが不安定で否定的になってしまっていたら、全てが悪循環になってしまうので、いま起きていることを、前向きにとらえられるように、考え方の練習をしておいた方が良いのだけれど、そんなに固く考えないこと。

そのためにも、いまどんな考え方になっているかで、心の健康状態をチェックしてみる感じで、私がお勧めしたいのは、とくにやらなくても困るのではないならこの際、乗らない気分を認めて受け入れ、それもよしとしてみること。

ちょっと休んでみること。

または何か全然違うことをやってみること。

しかも、罪悪感を感じずに、です。

ここが一番大事。

「人は必ずしも無理に幸福を求めることはしなくてもよい。わざわいを受けることが無ければ、それが幸福なのである。」佐藤一斎(儒学者)

乗らない気分を受け入れても、それが罪悪感になったら、つまらないし、気が重たくなります。

また無理にやろうとして、事故になったりケガしたりしても困ります。

致命傷になるような大きなダメージがなければ、それだけもありがたいって思えるだけでも良いと思います。

失われたものよりも、あるものの中から、将来の希望を見出して、今あるものに感謝して、そこから何かを見つけ、成長していければ、なお良いと思うけど、今日は一日休みをもらったのだ、くらいに思ってみると、少し気分は変わってきます。

本当にやるべきこと、本当にやらねば困ることならどこかのタイミングでやるようになります。

やらずに過ぎていくのは、やらないでも済んでしまうからです。

ということは、やるべきことをやっていないときにはやらずに済んでしまう理由をもう一度見つめてみるのもいいでしょう。

そして、本当にやるべき理由、できたらいいな、ではなく、これを私はやろうと思う理由、やりたい理由をもう一度クリアにしてみるのもいいでしょう。

そうやって考えてみると、もしかしたら、やるべきことだけれどやりたくないことなのかも。

それをどうやって自分のメリットとできるか、考えなおしてみるのもいいのです。

人は、自分のやることが究極的に自分にとってプラスにならないと、腰が上がらないもの。

たとえ、それが他の人のためであっても、その人のためで自分がハッピーになれる、など何か自分にメリットがあるはず。

自分にとって何が何でも必要で、どうにも否定できないほどメリットがある、という風に見られるようになるにはどう考えたらいいのか、考えてみる良い機会になります。

ものはいつでも考えよう、見方次第でどうにでも色の見え方は換わってくるものです。

「否定的な考えが頭をもたげてきたら、意識して肯定的な感情と取り替えることを試みなさい。」ジョセフ・マーフィー(思想家)

否定的なことでも、その見方次第で肯定的な言葉に置換えることができるから、物事を一つの視点だけでなく、いろんな角度から見れるようになるためにも、否定的な言葉を、肯定的な言葉に変化させる訓練をしていくことも必要です。

ところで、私のように書かないことが特別誰かの迷惑にならないのとは違い、たとえば私が仕事しないと仲間が困るような場合は、どうしましょう。

仲間だからそれをサポートしてくれる人たちならいいけれど、そうでない場合は?

こんなときは、自分にとって今大事なことは何か、をもう一度考えることができます。

無理しないことが大事なのか。

もしかしたら周りには一時的に迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、それでも自分にとって今は休んでみるのがいい、と判断するのか。

または、今は自分がちょっと無理をしても周りに迷惑をかけないことが大事?

状況によって、自分の状態によって答えは違ってきますがもしかしたら、勇気を出して自分の気持ちを優先してみるのもいいかもしれません。

自分の道を選ぶのは自分であり、歩くのも自分です。

最終的には自分で決めなければ、良くも悪くもいつか後悔することになるから、将来後悔しないように、いま自分がベストだと信じる決断をしてみてください。

自分のことを決めるのは世界中に自分一人しかいないのだから・・・・・・

間違っても、後悔が残ったとしても、自分が決めた事実が、やがて力になってきます。

チャレンジしなかったら、成功するかどうかさえ分からないから、何事もチャレンジしてみると、自分の世界や可能性って広がりますね。

可能性が広がるのは楽しいですから、ぜひ何かにチャレンジしようと思う気持ちを常にココロのどこかにおいておきたいものです。

どうなるかを心配してみても、頭の中で堂々巡りをするだけだし、考えられる可能性のあること全てを試してみる意気込みで、ね。

まず全力を出してやってみてから、その先を考えてみた方が、あらたな展開がありそうに感じませんか?

そこで、あなたが最近チャレンジしていることはどんなことでしょう。

また、これからどんなことにチャレンジしたいですか?

そういえば、そもそも何事もチャレンジするほう?

それとも、つい安定・安全策をとるほうですか?

安定・安全もいいけれど、ずっと続くとそれもなんだか居心地が悪くなってしまうのは、新たなことをしようという気持ちと行動がなくなると、その時から衰退していく自分を感じているから。

経験が増えてくると、これまでの経験の範囲内だけで仕事をしようとし始めてしまいがちなので、今までの経験の範囲を超えた、新たなチャレンジをして成長していかないと・・・・・

チャレンジする内容は人それぞれ違うけど、チャレンジ精神は持ち続けていたいよ、ね!

これって不思議。

でも、ホントはこれはむしろ自然。

私たちには安定も必要だけれど、変化も必要です。

同じものへの安心と、違うものの新鮮さのバランスがきっとよいのでしょう。

だから、ずっと同じ状態が続けば変化へのムズムズが大きくなってきます。

それに安定したままだと、変化はなかなか訪れない。

そんなときに、とくに何か変化や刺激が欲しい、なんて思うときは何かにチャレンジするのも良いオプションかもしれません。

怖いと思っていることをやってみるのもいいし、できるわけがない、と思っていることをあえてやってみるのもいいです。

そういえば、エレノア・ルーズベルトのこんな格言達があります。

「自分にはできないかも知れないという恐れに真正面から立ち向かうたびに、あなたは強さと自信と経験を勝ち取るのです。だから、できないと思うことに挑戦してごらんなさい。」

「立ち止まって、恐怖と正面から対決するたびに、人には力と勇気と自信がついてくる。そして、「この恐ろしいことが切り抜けられたのだから、次にどんなことが来ても大丈夫だ」と言えるようになる。」

「目の前の恐怖に真っ向から立ち向かう経験をするたび、あなたは強さと勇気と自信を身につけることができるのです。」

今とは違う新たな展開を望むなら、今までとは違ったことに挑戦する必要があるので、問題から目をそむけずに、少しずつでも解決していく方向に努力していけばその経験は大きな自信に変わっていくはずです。

また、目の前の恐怖や不安から目を背けないでチャレンジして、そこを乗り越えればどれだけ成長できるのか、どれだけ自信がつくのかプラスになることに目を向けて経験すれば必ず大きく成長できると思います。

何にチャレンジするにしても、そしてたとえ失敗したり間違ったりしたとしても、必ず何か新しい発見があり、出会いがあり、学んだり気づいたり、します。

不安な気持ちはあるかもしれないが、勇気を出してチャレンジすることで世界も可能性も広がり、今ある不安と恐れは、挑戦すれば、自信と強さに変わることになります。

経験しなければ、自信は手にできないのだと、そのことに気づいて、前の壁を、一つずつ乗り越えることで、自信を積み上げていく過程で、案外知らない自分もいたりして、その発見も面白いし、ね。

やってみたら意外とできちゃって、私って案外やるかも、と思った経験のある方は多いはず。

覚えておきたいのは、チャレンジ精神がたくさんないとダメってわけではないこと。

ほんの少しでいいのです。

あ、そういえばこれ、やってみようかな、で十分。

物事はそんな小さなきっかけで始まります。

だとしたら、あ、じゃあ今まで無理だと思っていたこと、今までずっとやってみたかったこと、やってみようかな、と考えてみては?

もし出来たら・・・・・・?と考えたらわくわくします。

こうした刺激が人間の脳にも精神にも、結果的には良いはず。

何より新しいことというのはなんだか楽しいものです。

あなたも、何か新しいチャレンジ、いつもよりほんの少し勇気を出してやってみてくださいね。