D.GRAY-MANの趣味ブログ

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ココチよさって私らしく暮らすこと ~読書と音楽と映画と・・・Plain Living and High Thinking~

本日は、お越しくださり、ありがとうございます。

自分の得た知識・経験・体験・スキルなどを興味の趣くまま提供する趣味ブログです。

自分の好き嫌い・得手不得手・趣味に、少しでも共感頂けて、つながっていけることを楽しみに待っています、ね(^^)

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【趣味ブログの標語】
「真剣にやれよ!仕事じゃねぇんだぞ!」by タモリ

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固定観念や社会の物差しに捉われることなく、まずは自分(being)、それから自分のやるべきこと(doing)を考えて、発想の転換や内面的・本質的な成長を促していくテーマを決めて書いていこうかなって考えています。
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<インスタグラム>
「日日是好日-暮らしの歳時記フォトアルバム」
「写真と言葉はひとつ」と題して、お気に入りの写真に言葉を添えて、投稿しています(^^)
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<ブクログ>
大人の本棚「こどもごころ」(只今、本&映画&音楽&ゲーム等セレクト中♪)
一冊の本からは、人生と同じように無数の道筋が次なる本に向かって伸びています。
その道のひとつ、または複数を選択して未知の本と巡り会える、そんな自分の好きな本(に音楽と映画をプラス)を、好きなだけ置いた、理想の本棚&“素の自分”に戻れる大人のための秘密基地♪
https://booklog.jp/users/trafalgar

人間関係では(恋愛関係でも)、相手が~してくれないってつい思ってしまうときってありますね。

たとえば、私を理解してくれない、わかってくれない、優しくない、とか。

ほかにも、私とは合わない、とかそもそも言ってもどうせわからないだろうから、言っても無駄、とか。

こういうとき、人間関係って疲れる!面倒だ!と思いますが、これがなければ、結局私たち自身も生きていけないのが現実。

誰とも付き合わずに生きていくことなんて結局は無理ですから、疲れる、面倒だ、と思ってもあまりそこで疲れないように考える、見ていく方法、上手に付き合っていく方法を身につけたほうが、得策です。

あなたは、人間関係って面倒だ、疲れる!と思ったときにどうしていますか?

例えば、アシックス創業者である鬼塚喜八郎は、「人間関係の第一の基本は相手の立場に立って話を聞くこと。」と言っています。

相手の話を聞くことと、それをそのまま受け入れることは違います。

その違いを自分でコントロールできれば、聞く力も向上するはず。

そのためにも、悪い方向へ考えるときりがないし、落ち込みはじめるとこれがまた、良くない思考パターンへと引きずり込まれてしまうので、相手の立場に立って話が聞けるように、余裕が持てるようになりたいものです。

ここではちょっと視点を変えてみてみます。

とくに、相手が~してくれないと思うようなとき、または、相手がこうしてくれたら・・・・・・と思うようなときは逆に自分に問いかけてみましょう。

じゃあ、私は相手に何を提供するつもりなんだろう?

私は相手に、何をしてあげるつもりなんだろう?って。

相手が親しければ親しいほど、求めるものはたくさんでてきます。

でも、逆に私が相手にしてあげられることや提供できることって、意外に考えてないことが多くないでしょうか。

相手にして欲しいと思うことは、こちらもできることのはず。

それを本当に自分もやっているかな、と振り返ってみると、実はやっていないことがけっこうある。

こちらがそうなら、相手も同じかも・・・・・・

この点に関して、思想家のジョセフ・マーフィーは、「人間関係で悩んでいる人は、他人との折り合いの悪さで悩んでいるのではありません。自分との折り合いの悪さで悩んでいるのです。」と指摘しています。

人間関係は独りでは作れませんから、どんな関係であっても、お互いあっての化学反応。

本当にイライラ頭にきているのは相手に対してなのか、それともうまく対応できない自分自身に対してなのか考えてみることが大切です。

相手が変わることだけを期待するのではなく、自分がどうなれるかを考えて、自分の素直な気持ちが表せるように、伝えられるように練習していくことも必要ですよね。

つまり、うまくいっていない人間関係だと自分で思うなら多少なりとも、自分もそのうまくいっていないことに貢献しているのです。

また、絶対私は悪くない、と思うこともありますが悪い・悪くない、というよりも、組み合わせで結果として、こじれる人間関係というか、うまくいかないとき、というのは出てきますよね。

だから、どちらに非があって責められるべき、どちらが変わるべき、という話は建設的ではないし、それをやり始めると、ドロ沼です。

だってお互いにそう思っているでしょうから・・・・・・

どう考えたらもっと自分が楽になれるか、自分の何を変えたら、もっと自分が楽になれるか、と視点を変えてみると、意外にお互いの化学反応にも変化が出てきます。

人間関係は、確かにいつもフェアというわけではありませんが、できる限りフェアに行きたいもの。

相手に求めるものがあるなら、自分にも相手に求められているものがあるはず。

そう考えて、自分がこの人間関係に提供できるものって、何だろう?と考えてみてはいかが?

「人と出会ったおかげで、自分とも出会えた。」谷川俊太郎(詩人)

自分の過去の経験や人間関係だけでは、気づけないものもあります。

視野が広がり、視点が変われば、今までにないものも見えてくるのだと想うから、いろんな人との出会いで、視野を広げてみては如何でしょうか?

そして、難しく考えすぎないこと。

相手がどう思っているか、勘ぐりすぎて疲れてしまったら勿体ないですよ。

生涯教育家であるロバート・コンクリンも「人間関係を築くのも壊すのも、あなた自身だということです。よい関係を築くには、自己の世界を出て「謙虚さ」という架け橋を渡り、相手を重視することから始めなくてはなりません。」と言っていて、順調に進み自分に中心に考え始めると、そこに大きな落とし穴が待っているものです。

だからこそ、謙虚さと感謝の気持ちは、どんな時でもどんな人に対しても持ち続けてみてください、ね。

また、謙虚さがなくなってきたと感じたら、それは危険信号なのだと察知してみて、ね。

何かあればいつでも話してね、と普段から言っておくのもオープンでフェアな関係を保つコツかもしれません。

いろいろ試しながらそれぞれの関係に合うものを見つけてください。

大事なのは、自分にとって何が幸せなのか、どうすればドキドキできるのかを、しっかり理解しておくことです。

あなたは幸せを受け取れる人ですか?

どういうことかというと、何か良いことがあったり誰かが何か親切にしてくれたりするときに素直に、「どうもありがとう」と感謝して受け入れられるかどうか、です。

うまく行き過ぎて怖くなって、怖気づいたりせっかくのチャンスを見逃してしまったり、なんてことはないでしょうか。

あまり良いことがありすぎると、どこかで転びそうだから、適当にヤなことがあると返って安心、なんていう人も、いますね。

さらに私はまだまだ幸せになるには早いとかまだ頑張っていないから、とか、いろいろ理由をつけてラッキーや幸せを否定してしまったりする人もいます。

人それぞれ価値観は違うし、何が満足感につながるかも違っていますから、自分にとって何が大事なのか、満足感はどうすれば得られるのかを考えてみてください。

一般論や人の話ではなく、自分がどうすれば幸福感を持てるのかを考えて、そして、幸せを受け取れる人になるのって、人生では大切なスキルです。

よく、人に尽くすというような意味で、give give giveの後で、ようやく何か受け取れる、というようなことが言われますが、私は個人的にそれはナンセンスだとも感じます。

受け取っているからこそ、giveができるのです。

ないものはあげられないですから。

もちろん、giveの精神は大事。

仕事でも人間関係でも投資でも、こちらが入れ込むから、戻ってくるところはあります。

ただ、だからと言って、入れ込まないと戻ってこないわけでもないと思いませんか?

ときに、何かがラッキーにも転がり込んでくることだってあります。

そんなとき、転がり込んでくるものを感謝して受け取れるかどうか、です。

幸せな考え方をする人は、必ず幸せになれるのは、起きた事実は変えられないけれど、それに対する見方は、考え方次第で変えられることを知っているから。

そして、自分で考え方を変えていけば、環境ではなく自分次第で将来は変わることに気づいているからです。

感謝して受け取れたら、次にそれを入れ込む材料にできるから、良いサイクルを作りだすきっかけにすることもできます。

受け取ることと、外へ出していくgive とは、収支のバランスが取れているほうが、良い。

もちろん、一時的に受け取るばかりのときもあり、逆に一時的に giveが集中することもあるでしょう。

でも、時間が経ってみると意外にバランスって取れるようになります。

山あり谷ありとはまさにそうだし、ラッキーもあればときにアンラッキーもあります。

チャレンジがやってくるのはときに大変ですがこれがあるから成長もできるので、チャレンジも自分が受け取れる幸せのひとつかも、と思ってみるのもいいですね。

こうして、自分のところに転がり込んでくるものを受け取って感謝して、よく使うことが、次にまたやってくる幸せを受け取れるようになるコツでもあります。

もしあなたが自分のところにやってくる幸せを受け取れないとしたら、いったいそれは何か、考えたことはありますか?

自分が幸せになってはいけない、なんていう思い込みがあったり。

幸せになるには、コレとコレとコレをやっておかないと、なんていう制約を作っているとか?

または、そもそも自分が幸せになれると心の奥底では信じていないとか?

もしそうなら、これって大変。

change your mind! です。

「鳥は幸せだからさえずるのではない。さえずるから幸せなのだ。」ウィリアム・ジェームズ(哲学者)

自分が望むことや都合の良いことが、いつ起きるかは分からないけど、不確かなことに期待するより、行動することで期待できることを創り出すことなら、できるかなって、そう思えませんか?

自らが何らかの行動をすることで、気持ちを変化させていくだけ。

どんなに元気になれるコツや前向きになるための考え方やアドバイスがあったとしても、本人がそうなれると信じていないとしたら、何を言っても残念ながら、何も変わらない。

自分が幸せになれるかどうかの部分をもし信じていないとしたら、それはどんな幸せがやってきても、信じられない、と否定してしまうでしょう。

もしそうなら、幸せになれるはずがないと思う理由が何か、リストアップしてみましょう。

また、今自分が幸せじゃないと思うなら、自分の知らないところで自分が幸せになれると信じていない可能性もあります。

その場合は、もし幸せになれないと仮定したらいったいそのワケは何か、想像の域でいいので考えてみましょう。

そこに、自分が幸せを受け取らない隠れた理由が見つかるかもしれません。

思想家であるデニス・ウェイトリーも「最も重要なことは、幸せになると決めることです。そして、それは、日々の練習から得られる心の持ち方、習慣であって、結果でも見返りでもないことを知りなさい。」と言っていましたよ。

こうなりたいという自分の将来像を、いつもイメージし続けて、そのイメージを持ち続ければ、心の持ち方や習慣も変わってくるはずです。

自分から変えていかなければ、ただ待っているだけでは何も変わらない。

どんな人も幸せを受け取ってもいいし、また幸せを受け取って、周りにそれをふりまけるような人でありたい。

共有すれば、幸せもまた広がります。

自分が怠け者だと思っている方は、どれくらいいるでしょう。

では、怠け者の定義とは一体何でしょう?

何をしない(またはする)と、怠けものに入るのでしょう。

この定義というか「怠けもの」になる基準が、人によって全然違うのです。

完全に主観的なもの。

劇作家であるベン・ジョンソンが「怠けていると退屈してくる。それは結局、他人が忙しく仕事をしているために、仲間がいなくなるからである。」と語っており、忙しい、退屈、時間が早く感じる、遅く感じるなど、いまの時間に対する感じ方は状態によって違ってくることも参考になります。

時間の流れをどのように感じているのか、そこを自分の充実度の目安にして、望ましい時間の感じ方ができるよう、行動も変化させてみてください。

人から怠けものだと思われたくなくて、無理に肩に力をいれて、無駄にがむしゃらになるのもなんだか違う気がします。

それから、あなたの周りに対しての怠けものの基準とは?

人に対して、「この人はただ怠けている」と思うことは、どれくらいの頻度であるでしょうか?

やることをやっていないとか、ちゃんとしていないと怠けものであるとか意志が弱いから、と簡単に片付けてしまことが多いのですが、それは違います。

そうやって片付けてしまうと、根本的な解決につながりません。

ここで気をつけたい点は、例えば、決めつけは視野を狭くし、仕事の実態を隠してしまう点。

そんな話が、仕事には山ほどあります。

だからみんな、そのいわゆる「なまけもの状態」を繰り返すのです。

わかりやすい例でいくと、うつになるのは意志が弱いから、なんていう説が、今は全く受け入れられていないことは、よく知られていますよね。

それと似ています。

意志とかとか、そんなことじゃないのです。

私は、よく突き詰めて考えてみれば、「怠けもの」はいないはず、と考えています。

「何の心配もない世界でストレスもひずみもない生活を想像するのは心楽しいことかもしれないが、これは怠け者の夢にすぎない。」ルネ・デュボス(微生物学者)

成長し目標に向かう過程を、苦しいものと考えるか、期待と可能性があると考えるかどう感じるかによって、やる気も違ってくるし、苦しいことや心配事は、自分を成長させてくれる源になっていると考えてみれば、過程と成長を楽しめるようになってきます。

「現状のままで化石のように固まっていいのなら、怠け心に調子を合わせていれば事足りる。」ヘンリー・フォード(フォード・モーター創業者)

そのスピードは個人の考え方次第だけど、すべての物事や環境が進歩していく中、何もしなければ現状維持すら難しいので、少しずつでもいいから前に進んでいきたいですよね。

常に前向きに進むことを考えていかなくては、じっとしていては後退してしまうから。

この様に、視点を変えて見てみると、やるべきことをやっていないとかやろうと思っていることがなかなかできないのは別に理由があるはずです。

こちらをしっかり掘り起こしていくと、単純な怠けだとか意志が弱いということにはなりません。

たとえば、本当に本当にやる必要があると自覚していない。

本当はやりたいと思っていない、とか。

「やらなくては」と「やりたくない」という相反する感情が一緒に存在していると、強い感情のほうが必ず勝ちます。

それからよくあるのが、自分が良い結果を手に入れる価値がある、と意識していない。

これも、自分に対する愛情のお話なので、ときにクセものです。

だいたい、これをやらなくては死ぬ!というようなものならきっとやっているはず。

また、この結果が手に入らないと私は本当に困る!と思えば、いやでもやるようになっていて、怠けるとか意志とか、関係なくなっています。

注意したいのは、何かをやっていない自分に対して、私は怠けてる・意志が弱いから、の表面的なことで片付けないこと。

もっと、その奥をじっくりのぞいてみていただきたいのです。

何かを怠けているとしたら、怠けるメリットが必ずあるはず。

ここをチェックしないといつまでもそのまま、または一時的には意志の力でなんとかなっても、もとに戻ります。

ところで、自分に怠けものというラベルを貼ると何が起こるでしょう。

大体の場合ここに悪循環があって、極端なお話、「私は怠けもので、努力していないから、まだまだ成功してはいけない、幸せになってはいけない」なんていう気持ちになったりしないでしょうか。

これが自分を制限する足かせとなり、さらに何もしなくなる、という悪循環。

だって、成功してはいけないなら、何も行動しないのが近道ですし。

怠けものだからということで、何もしないいい訳にもしているのかもしれません。

また何もしていない自分に対して罪悪感なども出てきそうだし、自信喪失にもつながりそうです。

自分が怠けものだ、あの人は怠けものだ、と判断する前に、もう一歩踏み込んでみると、違うものも見えてきます。

あなたの「怠けている」裏には、何があるのでしょう?

どんなに能力があったとしても、選択と集中が的外れだと、最善の結果は出ないため、自分が最も力を発揮できる範囲を見極め、そこに時間とエネルギーを集中することができるかが鍵となります。

いま何を選択するのがベストかを考えて、そこに意識を集中させて、エネルギーを一点に集中することができれば、最大の力が発揮できる筈です。

あれこれ手を出してうまくいかないときには、まず現状を打破できそうな自分が打ち込める分野に集中して行動してみてください。

これなら絶対にやっていけるという自分の専門分野を持てれば、なお良いと思います。

どうしたらそんなに前向きでいられるの?と聞かれることがけっこうあります。

そうですねぇ・・・・・・

強いて言えば、神は二物を与えずと言っているけど、その裏には、神は必ず一物は与えているのではないかと、暗いことよりは楽しいことを考えてみる。

~したらどうしよう、という不安よりはこうなれたらどうよ?と可能性を見る、というトレーニングを重ねました、というところでしょうか。

私は基本的には明るく前向きの性分で、倒れるときは前のめりで!タイプでもあるかな。

それでも、もともと持っているものだけではずっとは続きません。

人生ではときにはイヤな目に遭うこともあるし、落ち込む出来事もありますから。

なかなか物事をプラスに考えられなくて悪いほうへばかり考えて、落ち込んだり自信をなくしたり、という時期がなかったわけではなくてそういうひどく落ち込んだ時期もありました。

これからだって、あるかもしれませんよね・・・・・・

そうしたアップダウンの時期を通してわかったことは、楽観的に考えて前向きでいることと、悲観的に考えて後ろ向きでいることと、かかるエネルギーは実は全く一緒だということ。

これって、ちょっとした大発見!?。

後ろ向きでいて疲れてエネルギーを消耗するのと、前向きでいるために、意識をいつもと違うところに使ってエネルギーを使うのと、結局使う量はあんまり変化はありません。

でも、疲れ方は全然違ってくる。

同じ使うなら疲れないほうにしたら、自分がトクした気分になれる、という具合。

なら、どっちにエネルギーを使おうか?というチョイスが出来るようになるのです。

すると、自分のムードや気分に普段から意識を向けるようにすると、そんな少しのことが大きな違いを作ってくれます。

幸せになるのと、惨めで不幸せでいるのも同じメカニズム。

アンハッピーで惨めでい続けるのは本当にしんどいし、体力も精神力も大消耗します。

自分で思うとおりにするための努力も、もっとハッピーになるために考え方や見方を変えてみたりするのも、確かにエネルギーはかかるけれど、どっちが疲れるかといえば、明白。

だから、もちろん元来の性分は明るく前向きだけれど後天的にそうなるよう学んだ部分も大きいはず。

例えば、明日に先延ばしすることは、時間だけでなく、エネルギーも分散することになって、疲れも増してくるので、すぐに取り掛かれば、その分エネルギーも集中できて、次にも早く進める様になって、疲れも低減可能です。

今日一日できることが何かを考えて、そこに全力で取り組む方が健全ってことです、ね。

そう、私ができるなら、誰でもできます。

そもそも悲観することも後天的に学んだもの。

周りに誰か心配性や悲観主義がいると、それはどうしても移りますから。

そこへ、私たちには心配してくれる親がいたり、友達がいたり先生がいたり。

そこには愛情と良かれと思う気持ちがあるのですが、かくして人は心配する、悲観して考えることを学ぶようになります。

大多数が心配、悲観しているときに自分だけが心配せず、楽観するのはときに勇気もいるし、これでいいのかなと迷うことも出てきますよね。

そのあたりの判断はときとして微妙ではありますがハッピーでいる・いないについてのチョイスは自分だけのもの。

そのチョイスだけは放棄せず、いつでも自分のものと意識してみましょう。

この選択なら、いつでも自分で出来るし、周りに影響される部分はあっても、それでも「私はハッピーでいるんだ」と考えるようにするならいつでもハッピーでいられます。

もし周りで起こることにあまりに振り回されたらそれは、周りが振り回すことを許してしまっていることに気づく良いチャンスです。

どんなことが起きても、それに対してどう考えるかどうリアクションをするかのチョイスは私たちに残っている、ともう一度思い返してみましょう。

私にはどうしようもない、と思えるようなことも起きますが、それでも、落ち込み続けるのかどうか自分で選択できるところが良いのです。

落ち込んだときは、落ち込み続けるエネルギーを考えて、それをどう使ったら、より効率よく使えるか振り返ってみましょう。

それだけでずいぶん変わってきますよ。

努力が絶対に成功を約束するわけではないし、努力してもしてもなんだかちっとも報われず、私っていったい何やってるんだろう・・・・・・?と自分を疑うときはありませんか。

こんなことやっても意味ない、とか私のやることなんて誰も気づかないし誰にも感謝されない、と思ったり。

思う通りの結果がなかなか出ないときも、こんなのやっても無駄かも、なんて思い始めてしまうこともあるかもしれません。

そういうとき、努力できることは、周囲の人々や、コミュニティの価値観を含む、環境の産物でもある点に注意して、現状がどうあろうとも、それでもいずれは私がやっていることは何かの形で報われることになっているはずだ!と強く思い込むようにしてみましょう。

そう信じるのに根拠があるとかないとか、どうでもいいのです。

目に見えるものしか信じないのも変だし、もしかして本当に確かなことは目に見えないことのほうが多いと思いませんか。

まだ形になっていないのは、そのタイミングがやってきていないだけ、と思うだけでいいんです。

ひとつには、そう思っていないと自分がしんどいこと。

自分のやっていることが無駄なんて思っていたら、しんどいのは当たり前。

人は自分のやることに意味があると思いたいもの。

それに、やっても無駄だなんて思いながらやっていると手抜きになりがちだし、結果もついてこなくなっちゃうから、意味があるはず、いずれ報われるはずだと思って努力すれば、もう少し頑張ってみようと思えるしその継続することが、結果につながります。

「いつ結果が出るか」がわかっていると楽なんですが人生ではそれがなんともわからないのがミソ。

「とにかく行動量を増やせ」といった、効率の悪い努力は、疲弊するだけだから、その点には注意しながらも、わからない状態を受け入れて、逆にその期間を楽しもう、と気分を変えていくほうが気楽です。

努力がちっとも報われなくて、自分がやっていることに意味がなかなか見い出せないときは、すべてのことには必ず何か意味があることももう一度思い出しましょう。

過去を振り返ってみる。

過去、何かうまくいかなかったことも今現在に何か意味のあるものとしてつながっているはず。

長期的な視点で目標を考え、行動しなければ、目先のことに一喜一憂してしまいますよね。

意味のあるものにしたのは、他でもない自分自身ですからこれからもそうしていけないわけがないのです。

地道に続けていることは、大きな変化はなくでも、確実な積み重ねになっているから、結果はすぐにはでないという前提で、何を地道に続けていくか考えてみる。

とすれば、何か今うまくいかないとか、しんどい思いをしていることも、種を明かせば何か意味が隠れているはず。

わずかの違いかもしれませんが、その違いが大きな結果の違いを生み出していることを・・・・・・

また、大体それが何なのかはすぐにはわからないことが多いですが、派手なことや大きなことではなく、わずかの違いを大事にしていき、いまよりも少しでもいいから、何か違う努力をしてみることで、いずれは努力が報われるのと同じに見えるようになります。

作家の横山秀夫も言っていましたが、「少なくとも努力をしないで夢を見てはいけない。」のかなって、そう感じます。

いつかがいつか、とか、なぜ今こういう状態なのか、というところにフォーカスが奪われがちですが、そこにフォーカスを置いたままにしておくと疲れますね。

また、どんなに夢見ていても、それに見合うものがなければ、永久に叶うことはなくて、空想の世界で終わらないように、具体的に行動に移していき、なりたいと思う分、努力と犠牲を覚悟して、実行してみる。

いつかはわからないし、なぜって言われても答えがすぐ出てくるならそもそも今悩んだりしていないはずだし。

努力が報われないなあ、つらいなあと思うときは、この際、報われないとかつらいとか考えるよりも、なんとかなるだろうから今は今できることにフォーカスしよう、と思うようにしてみてください。

何かを変えていく力のポイントはいつでも今現在だし、今ここに集中することで、ストレスも減ります。

大体ストレスは、未来のことや過去にとらわれていることから来るものですから、今を楽しむことにフォーカスする、目の前にあることに集中していればあまり他のことを心配したり考えたりする暇もありません。

そして、自分が折れないためにも大事なのは「必ず報われるはずだ」と強く信じて念じながらやれることを今ひとつずつやればいい、と思うこと。

レーシングドライバーである片山右京も「勝利の要因に才能や素質は確かにあるけど、九十九パーセントは意志と努力だと思う。じゃないと、夢もへったくれもないじゃないですか。」って言ってたし、生まれ持ったものを人と比較しても、それ自体は変わるものではないから、ひとつずつ、でいけば難しくありません。

いずれ努力が報われる日を楽しみにしていれば、いずれ、「Things will fall into place sooner or later.」ですよ、ね。

人に比べて足りない、劣っているなら、その分いまから努力する。

何を絶対に達成したいのか、そのために全力で何をするのかを考えてみてください。

今から何を努力して築いていきますか?