今、ウクライナで戦っている6万人の女性兵士。彼女達の士気は高く、重傷を負っても戦線に復帰する精神的な強さを兼ね備えているようです。旧ソ連の女性兵士も強かった。その理由とは・・。

独ソ戦初期に於いて女性は志願者のみ兵役に就いていました。それも若年を理由に度々断られる事もあったようで、それでも前線で男性と対等に戦いたいと望む若い女性が多かった。彼女達と実際に対峙していたドイツ軍部隊の総司令部は女性兵士の存在を例外的なものと受け止めていました。ドイツに限らず戦争での女性の役割は専ら後方支援や衛生看護でした。直接戦闘に参加すること自体が有り得ない発想だったのです。それが次第に男性兵士と対等に女性達が平然と敵であるドイツ兵達を撃ち殺す場面が多発するにつれ、ドイツ軍最高司令部はソ連軍女性兵士を女性と見なさず排除すべき怪物と位置付けて、捉え次第射殺するように、という公式命令を発出したのです。今の時代であれば女性が武装して戦うのは当たり前。自衛官でも女性が戦闘部隊に配置されています。

今から80年以上前はそういう常識は通用しない時代でした。ドイツ軍の指揮官達はマシンガンを構えながら突進してくる若い女性兵士を脅威と感じていたようです。前線の一般兵士達の間でも当初は動揺が走り、撃ち殺す事を躊躇う場面が続出。逆に返り討ちに遭う自軍兵士が急増すると事態は激変していきました。女性兵士は捉え次第即射殺される事になり、そうした残虐な扱いを赤軍司令部は大いに利用し、女性兵士に対して降伏を禁止したのです。降伏は裏切り者となる訳です。降伏が許されない(どうせ殺される運命)彼女達は極限の戦術に打って出る事ができるようになったのです。後が無い場面ではできるだけ多くの敵を道連れに自爆する事が常態化し、ドイツ軍にとっては最も厄介な敵となっていったのです。20歳の女性狙撃兵バラムジナは捨て身の抵抗で20名以上のドイツ兵を殺害し負傷して捉えられ処刑されました。このような極めて憂鬱な戦闘が繰り返されて前線の兵士達は疲弊していったのです。この発想は大日本帝国時代の皇軍にも存在していました。ただし日本兵の場合は壮烈なる戦死が目的だったために万歳突撃のような無駄死にが多く、ソ連の女性兵士と根本的な考え方が違いました。「敵を1人でも多く殺す事こそがわたし達の望み。」というこの発想はドイツ側に気の重くなるような恐怖感を与え、赤軍当局にとっては便利な特攻兵として捨て駒のように前線に投入されていったのです。結果的に女性狙撃兵の致死率は80%以上に上り、全体では110万人の戦死者を出す事になりました。

独ソ戦初期の段階で捕虜になったソ連軍の男性兵士は100万人以上。赤軍当局は彼らを裏切者扱いにしなかった訳ですから、女性兵士への扱いが如何に酷かったかという事になる訳です。