先日苦情に関する記事が出ていました。実はわたしの町の夏の盆踊りも近所の小学校の運動会も近隣住民による苦情によって中止に追い込まれています。近所の人達の話では特定の高齢者(男)が繰り返し警察に通報を繰り返した結果だそうです。しかも近年引っ越してきた輩で、先住民のわたし達の環境を引っ搔き回している体なのです。

法的には個人宅から出る音を取り締まる事は出来ないので通報を受けた警察官は音を出している本人の所に行って止めるようにお願いするというのが現状です。だから時々隣人同士の騒音苦情のトラブルが起こる訳です。ところが苦情の矛先が個人以外となると事は更に厄介なのです。個人の苦情によって閉鎖された公園、中止に追い込まれた夏祭り、小学校の運動会、除夜の鐘、神宮球場の応援、更には救急車のサイレンに盲人用の信号機の音(音楽)。全て個人の苦情によって半強制的にNGになっているのです。盲人用の信号機の音は視覚障害者にとっては大変重要なツールですが、“ウルサイから止めろ!”という近隣住民の度重なる通報によって消音処理され、結果障害者の方が事故に遭って亡くなるという痛ましい事案が発生したとのこと。ここまで来るとこういう自分勝手な苦情をマトモに対応するべきか?と大いに疑問なのです。

ある町内会の夏祭りが1人の男性の苦情によって中止に。町内会のメンバーがその男性と交渉に行った所、「俺は祭りが嫌いだから!」という理由だったそうです。わたしが学生の頃神宮球場で起こった苦情騒動も大学応援団を見ると戦争を思い出して虫唾が走る、という近隣男性による通報が原因でした。

110番通報を受けた警察官は必ず対処しなければならず、これが繰り返されると訴えられた側は更なるトラブルを懸念して結局は止めよう、という事になります。昨年末の除夜の鐘も騒音苦情によって中止に追い込まれたお寺は多かった事でしょう。

何でもかんでも警察や役所に通報して訴えれば思い通りになると思っている不満を抱えた層が嫌がらせや憂さ晴らしを目的にしている事案も増えているとのこと。

そろそろマトモに取り合うべきか精査するときに来ているのではないかと思います。