とてもとても辛く悲しい事を書かなければならなくなりました。20日に措置入院から解除によって帰宅した妻。帰宅時はとても明るい表情でスイーツパラダイスにケーキを食べに行きたいと語っていました。帰宅後、家族3人でピザにチキンにポテトにケーキにと妻の久しぶりの明るい笑顔に私も娘も癒されました。精神疾患になった妻を表面的には嫌悪していた娘も内面的にはとても心配していたんだと分かりました。そんな妻が翌日には体調が優れない状態になり、寝ている時間が長くなりました。処方されていた強力なインヴェガが最大容量の12mg(2錠)でしたので、21日は1錠だけ服用させました。あまりにも容量が多いので私も心配になって減薬しなければと思った程です。しかし、娘から妻が自室で独り言を言っていると聞いて翌日は処方通り2錠服用させました。来週には白内障の手術を控えていましたから、とにかく精神状態を安定させなければと感じた次第です。手術さえ終われば後は次の外来での担当医に減薬をお願いして少しづつ減らしながら体調を戻していければと思っていました。しかし、妻の苦痛は私の想像をはるかに上回るものだったようです。22日に(私の勤務日)妻が午後何処かに外出してしまい娘が慌てて近所を探し回った、ということがありました。幸い夕方にウチの庭で妻を見つけホッとしたという事でした。(この事は昨日娘から聞きました)そして23日は終始部屋で寝ている状態だった妻。食欲もあまりなくジュースやコーヒーは大量に飲んでいました。そして、昨日私が朝出かける際に、いつも妻が起きてハグをしてくれるのですが、そういう元気がなかったのか起き上がってきませんでした。仕方なく私はダイニングでコーヒーを一杯飲んで再び私達の寝室へ行って両手を広げました。妻はやっと起き上がってくれましたがハグにはならず私の手をしっかりと握ってくれました。そして“行ってらっしゃい!バイバイ!”と手を振ってくれました。これが21年間連れ添った私と妻との永遠の別れになりました。夜22:53に娘からLineで“ママが行方不明”という一報が届きました。電話してみると娘がすでに泣いていました。近隣でのサイレンを聞いてどうやら恐ろしい事を察知していたようです。会社に戻る途中で旭警察から電話がありました。私はてっきり妻が保護されているのだと一瞬安心しましたが、担当者の言葉に凍り付きました。“近隣のマンションから飛び降りた人がいます。その方は亡くなられました”その自殺者の飛び降りた現場にポーチが置いてあり妻のパスポートなどが入っていました。私は帰社後すぐに旭署に向かい現地で変わり果てた妻の遺体と対面しました。その場では涙も出てきませんでした。取り急ぎ娘を迎えに行って妻と対面させました。娘は泣き崩れ今日の午後までずっと泣いていました。私は会社や関係機関(病院や行政など)への連絡をこなし、午後からは葬儀の方と打合せをして31日に戸塚の斎場で9時からの火葬が決まりました。私達の家の1階の和室に今、妻の遺体が安置されています。全身打撲による即死状態ですので顔をかなり損傷していて痛々しい状態です。夕方、やっと一段落して娘と夕食を食べました。疲れとともに涙が止まらなくなり私もずっと泣いていました。妻に薬の事をもっと細かく説明していればとか、体調は減薬すれば改善するかもしれないと言っていればとか、今更なんの慰めにもならず、妻を救えなかった私自身への激しい自己嫌悪に今苛まれています。