話せない=わかってない→じゃない
私と24歳の息子は親子であり、ビジネスパートナーでもあります。彼はすっとして見えますが重度の脳性麻痺という障害があります。
脳性麻痺とは筋肉の障害です。筋肉の麻痺の為、
彼は食事も移動も排泄も1人ではできません。自由に動くことはもちろん自由に話す事もできません。
でも彼は、そんな自分を活かして専門学校や大学、一般企業で講師として活躍しています。
「最後に、私たちに伝えたいことがあればお願いします」
当時20歳の亮さんと出向いた介護支援従事者の皆様との研修の場。
最後の締めとしてコメントを求められた亮さん。亮さんは自分の声を振り絞ってこう伝えました。
「子ども扱いしないでください」
亮さんは上手く話せません。
でも、自由に話せないだけで「何も考えていない・理解していない」というのとは全く別問題だということに、意外と親も周りも気がついていません。
話せない=理解できていない→子ども(幼稚)である
亮さんのように言語障害があると、なかなかはじめから彼の言葉を聞き取るのは難しいです。
私でも、亮さんが聞きなれない言葉を口にしたら
「え、なんて?」
と、何回も聞き直します。
ちなみに何回も聞き直すことを「可哀想だ」と思う人は多いらしいですが、本人的にはわかったふりをされるほうが「悲しくなる」のだそう。
だもんで私は何と言っているのかがわかるまで、ひたすらに聞き直します。
がしかし!!
みんな優しいから、言葉か聞き取れないとなると、
「ああ、理解できないんだな。可哀想にな。」
と、思われるようでして、急に幼子に話すような話し方になったり、「できない前提」でいろんなことを本人に意見を聞くことなく、
「きっとコレがいいだろう」
「こうがいいに決まっている。
だって私はこの子のこと誰よりも分かっているのだから
と決めつけが入ってきたりします。
「話せないこの子のことを一番にわかってあげられるのは私だけ」
これ、母親にも支援者にもありがちやりがちな結構ありがちなやつです。
その背景は「わかってあげられる自分」に価値を見出してしまうこと。
母親はきついです。毎日きつい。
不安も苦しみも悲しみも虚しさも切なさも報われない今日も、何もかもキツい時があります。
この先何年この不安と向き合っていかなければならないのか、未来に希望が見出せない「今」がとにかくキツい時が。
だから私はやめました。
「この子のことをわかってあげられるのは私だけ」を手放したんです。
私だからわかることはある。でも私だからこそわからないこともある。
わからないことがあると認めた瞬間に、「無力さ」ではなく、心が自由になりました。
わからないから人の意見を聞こう。
わからないから人に頼ろう。
わからない、できないという事を認めたら、人に頼れるようになり、自分の中になかった考えや意見に触れることができて、結果的に思考が柔軟になりました。
こうでなければならない、が手放せた。
同時に「誰よりもこの子のことをわかってあげられる自分」を手放したことで、そこに自分の価値を見出さなくて済むようになり、「じゃあなんか探すか」と、子どもだけ(特にできないこと)を見ていた視点が、自分の事や他の家族の事、仕事でもやってみるか?的な社会に向くようになりました。
子どもを「子ども扱いをする」ということは、結果的に子どもの可能性も、自分の可能性も狭めていたわけです。
親子だけど、他人。
私的にはそれくらい距離感を持てた時、やっと彼という人を一人の人として尊重できるようになったなぁと思いました。
次回はこのシリーズラストとなる
③彼の可能性を彼以上に信じ切ること
です♪
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