かわいそうだとか申し訳ないだとかを 手放してみる


前回の投稿からめちゃくちゃ時間が経ってしまいました。


食事も移動も排泄も1人では何一つできない、自由に動くことはもちろん、自由に話すことも難しい重度脳性麻痺の息子がなぜ、

「障害ある自分のこと嫌いじゃないんですか?」と小学生の男の子の質問に「自分のこと 気に入っています」と答えたのか。


母親である私の考えとして少し触れてゆきたいと思います。


かわいそうってなんなん?


「障害があること=かわいそう」


とは、どこから来てるのかを考えてみました。


障害があると、何かができないから?人と同じことができないから?助けが必要だから?


だからかわいそうなんですかね。


だけど、何かができないってことは、ダメなことじゃないですよね。


だってそもそも私たちみんな完璧なんですか?って話じゃないですか。


私たち完璧じゃないから、人と繋がれてるんですよね。


完璧って多分、孤独ですよ笑


完璧じゃないから、誰かの力を借りることができるわけだし、完璧じゃないから誰かの力になれるわけですよね。


みんなそれぞれできないことがあるから、それを得意とする人と繋がることができるわけだし、自分の得意とするものがあれば誰かのお役に立てる。とどのつまりその究極の形がいわば「ビジネス」じゃないですか。


つまり、人と違うことこそが平等なわけです。


人と違うことは何もかわいそうなことではなく、むしろ誇るべきことなんです。


申し訳ないとか、ほんま辞めよう。


わが子に障害があるって分かった時、

どれくらいの人がそう思うかはそれぞれだと思うのですが、多かれ少なかれ


「健康に産んであげられなくて申し訳ない」


って思うママって多いんじゃないかと思うんですよね。


私自身、めちゃくちゃそう思っていたかってゆうと、


「彼を障害者として育てない。1人の人間として育てる」と決めていたので、そんな「申し訳ない思考」に囚われていないと思っていたのですが、


彼が保育園の運動会のリレーのシーン。

あのママ友にドヤされた時(詳しくは書籍「ピンヒールで車椅子を押す/すばる舎」よりご覧ください)自分の中にそんな思い込みがあったことに初めて気がついたわけです。


​7月7日発売

「ピンヒールで車椅子を押す」

すばる舎

そもそも、自分の親に「申し訳ない」とか、「ごめんなさい」とか思われているって、どうなのよと。


それ、嬉しい?


私やったら嫌やなぁ。

謝られてもって感じやし、なんか悲しいやん。

逆になんかごめんって気になる。


それよりも、

「あなたってめちゃくちゃかっこいいよねぇ!」

「え、そんなこともできるの?天才か」


とかの方がなんか嬉しいやんか。


・人と違うあなたってめちゃくちゃかっこいいやん。

・あなたにしかできないことで人を幸せにできるってすごくない?

・あなたもしかして、世の中を変えるキーパーソンなんじゃないの?知らんけど。


位の方が私は好きやなぁ。


わが子をかわいそうにするのもしないのも、私たち親の考え方次第。


選べるのであれば私は、彼を「かわいそうな子」にしない。かっこいい子にするで!!


そう決めて子育てしてきたのでした。


次回②「子ども扱いしない」


に続きます。