ご無沙汰しております。
1年以上前、自分は人生を掛けた戦い、などと嘯いて大衆の面前で殴り合いをした結果、判定で敗れ、そしてそのまま廃業しました。
人生を掛けた勝負に失敗したのだから、死ねばよいのだけれども、自分は生まれつき大変に心が弱く、死に切れず、まだまだ生きていこうと決断しました。
したがって、そのような半端者は昔話にもあるように、退廃、退路し輪楽の淵に沈んで、浮上できないことは必定です。
また、そういうものは、やはり、物の本にもあるように、廃れていくので、世間、知人、友人、また親類までにも、たまに、会話などの流れで、ああ、へーへー、そーういえばそんなやつおったかしらん?どう思う??あーあーあー、おったおったおった、アホでボケで蛆虫みたいなやつやったわぁ、あ、そ~言えば阪神タイガースはかったかしら?、などと、一瞬、思い出される程度の片隅の記憶にしか残っていないに違いないです。
しかしながら、なんともありがたいことでしょうか、世間には自分の現在の有様を気にかけてくださる方も、幾人かおられます。なんて言うと、またまたぁ、そんな物好きな人いないでしょう、どうせ幻覚剤でも服用した結果の幻でしょう?通報しますよ。なんて言われる方がおられると思います。
しかし、残念ながら、自分は幻覚剤も服用したことはないし、また、尋常な精神を保っているつもりなので述べたことは事実に違いないです。
言うと、LINEといった、スマートフォンアプリや年賀状の郵便葉書、また、電話などで、連絡をくださるといった、心優しいかたが少数、捉え方によっては多数おられます。
なんていうと、そんなことは普通のことで、社交辞令の一環ですよ、なんて冷麵を食べながら冷笑する方がおられるかと思いますが、言いたいのはそこではない。問題は、久方ぶりにご連絡を頂く方の、言葉の内容にはほぼ100%お元気ですか?っといった意味の内容の言葉があることです。
これは、至って普通の人間のコミュニケーションのうちかと思われますが、自分の勘違いか、はたまた被害妄想か、偏屈なのか、その言葉の裏腹には、結構神妙な感じで、あなたのようなものは精神や身体に複数の異常をきたし、また、貧苦に喘いでロクな人生は送っていないことが大方で、ということを念頭において一応、ま、念のため尋ねますが、お元気でしょうか?正直に応答えてくださいっと言った意味合いが感ぜられるからです。
しかし、嘘かと思われる方もおられるかもわかりませんが、僕は結構元気でやっています。健康診断に行くと、昔阿呆のように鍛えたりしたので心臓が肥大し脈拍が40程しかないという不全意外はオールAで、また、精神のほうもほぼ快調で、たまに、暗闇で手打ちうどんを打ちたくなるくらいです。


そういったことを踏まえ、あぁ、自分は自分を気に掛けてくださるかたにいらぬ心配をおかけしているなあ、悪いことをしているなあ、したがって、こんな者は死後裁きに合うに違いない、アーメン、などと慨嘆しました。
しかし、それを払拭する方法をふと思いつき、一言で多くの方に自分の有様を発言したく思い、ブログなどという、浅ましいWEBサービスを利用するという経緯に至った次第です。


昔から日本国民は、元気で年が明けれたことの喜びを、また、おめでたいといった事の表現をするために、謹賀新年と言いました。

なので、自分も言ってみようと思う。

今年も愛と勇気とガッツとファイトで頑張ります。

謹賀新年





 
2015年8月23日に、最後の試合を行ってからはや1年が過ぎました。

今じゃあ、ボクシングから離れて、スーツを着て、大きなビルで一日中、まともに働いている。
家に帰ったら、ボクシングの練習ではなく、プログラムやデーターベースやLinuxについての勉強なんかをしている。

1年前と現在を比べると、我ながら天晴すぎて涙が溢れる。





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1年前の自分ってのは、今以上にさらに、きわめて未熟な人間で、欠点も多く、本当にダメダメな人間。

今でもそうだけど、社会の最底辺を這いずりまわっているし、ちょっと言葉を口走れば愚にもつかないことばかり言う、頓馬そのものの性質で鈍臭くアホでもできる事がまともにできない、女にはモテない、パンチはメッチャメチャに被弾するしボクシングの動きもぎこちない、すきま風の吹くあばらやに住んでいる。

っていう体たらくなんだけど、この時の自分を振り返ったら、最高にかっこ良い。
目の前の夢や今を生きるためにを自分を破壊し、まあ、将来、行く末は哀れやろうなと人生を破壊の方向に進んで行く様は美しく感じる。
バリバリにイケてなくて、因果な奴なんだけど、眼の奥や心のなかに、形容できないようなとてつもないものを持っいてる。

今のように、将来を生きるために、世間並み人並みの生活をしようと努力するのはとても大切なことだけど、人間が生きようとする願望欲求はとても醜く思う。

この時の自分が持ってたものはもう戻らないし、破壊の人生に進んでいくほど豪胆な心も持ってない。


もうボクシングはできない身体になった。
だけど、人として、男としてこの時の自分を超えたい!!









自分は19歳の頃より親不孝を極まって、人の親なら大抵が嫌がる拳闘家を志した。
拳闘は一生懸命に頑張ったけれども、銭は一向に儲からず、最終的には足首と脳に少しく障害を抱えた。

ニートに毛が生えた程度の精神薄弱な自分も、この街で夢を追って、一生懸命に好きなことを頑張った結果だ。

頑張る環境が運良くあった。

良い人に巡り会えた。

周りのとても良い方々の『湾に沈めるか、山に埋めるかのどちらが宜しいでしょうか?』といった内容の温かいアドバイスを日々頂いた甲斐あって、強く大きくなった。

そんな、若い時代を過ごした街。


大阪市住吉区。


大好きな街。


この街はボクシングをするために自分で選択した街。



引退してからも、テレビジョンでボクシングの世界戦なんかを見るなどすればとても発狂、興奮する。
もしかしたら、また、自分にも仕事を続けながら、こんなことができるかも知らん!
と、思う。
そのまま、長居公園を走りに行ったりするけれども、次の日ぃには案の定、足首が腫れてびっこを引く体たらく。
拳固で虚空を切り裂いたりしてみる。






過ぎ去った時間は戻ってこない。

何が悲しいって、これほど悲しいことは無い。

と、中原中也が云うていた。





このままボクシングジムがある、この街に住む。
僕はできぬボクシングに一生拘泥して生きて行かなければならないような気がする。


そして、炉端で野垂れ死ぬ。

ボクサーを引退し、この街に住み続けると気が狂う人が多い。


武市トレーナーのブログにマイケルという奇形の精神を持った方、についてこんなことが書いてあった。
詳細

5年くらい前、網膜剥離で引退し、活躍する後輩たちを尻目に悶々として、この街で生活を送っていたケンドーナガサキ氏。

彼もまた、衝撃な行動をしていた。


彼は仕事終わり、k波t消しさんというかたと、毎週ように鳥○族というところで飲んでいた。
そこで、ある日、k波さんに同じ話(ホルモンがなぜホルモンという名称かについて)を小一時間の間に3度されようとした結果、彼は気ぃ狂いて。
「俺、このままでいいのかな?」
と言い残し、西成区で半ホームレスしにいった。
日々、食費を削り、電車賃を削り、チャリンコで風俗に通い、ローションまみれになっていた。
かと思えば、借金返済と総合格闘家になるために名古屋に行った。

最近、大阪に戻ってきたかと思えば200パウンド超えの大きな女性を娶った。

当時自分はそんなケンドー氏を見て、基地外だと思ったが、いまはその気持がすごく理解できる。
俺、このままでいいのかな。


このまま、僕もこの街に住み続け、人に小一時間の間に3回同じ話をされることと同等の行為をされれば、性犯罪などを犯しかねない。

恐ろしい事この上ない。


自分も、今じゃあ、落ち着いて、まあ、アホの頭を打たれすぎて、国民学校5年生レベルの作業能力で大変に苦労をしますが、雇い人をしている。



気が狂って、人や仕事に迷惑をかける前にこの街を出ていこうと思った。


会長も空き時間でジムでトレーナーをせえへんか、と大変に快いお言葉をかけてくださいました。
ですが、自分はやりたいことを嫉妬心なしに人に快く教えられるほど大人じゃあない。



ボクシングは大変につらかったけども、ボクシングに全部をかけていたし、その結果、こ○きになって炉端で野垂れ死んでも良かった。
でもやっぱり辛いから試合前はこんなことはこれで最後にしようとか、試合するなんて言うんじゃあなかったとか思ったりする。
最期だから思いっきりやりきろうと毎回思った。
こんなことを思っちゃあいけないんだけれども、網膜剥離になった人を見てめちゃくちゃ羨ましく思ったこともある。
減量しながら倒れそうになりながら、また、試合で8ラウンド戦って、寝ずにそのまま顔と手をパンパンに腫らしながら、朝から日が暮れるまで湾港で肉体労働をしたりするのは激烈にしんどかった。
自律神経がぶっ飛んで歩けなくなったこともある。

自分はこの商売が好きなんですか?と何度も自分に問うてみる。

試合に勝利し、次の日ぃ、王将に行く。
餃子セットご飯大盛りに天津飯食して。
家帰ってち○ぽこすってちょっと気持ちよかったら、ほか何も要らんかった。

ほか何も要らんかった。


なんで2回いうねん。


試合が終われば毎度、辛さを忘れ、情熱が湧いてくる。














あびこの小汚い住宅街を歩くのもあと数回。



今日も蒸し暑い雨。

あびこは毎日犬の糞だらけ。

こびりついたのが溶けて、道中広がっている。


振り返って、まあ、この街は、月2,3回は来るやろうなと思った。



青春の回想は流されていくとともに、いつまでもあの情熱が心に拘泥している。

そして、新しい現実が、僕に向かってくるように思われた。



アーメン。