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馬超の気ままウォーキング・趣味の記録

歩いて歴史上の史跡や雰囲気の良い風情を楽しみながら歩くのが好きです。その土地の小さな史跡も大切で、ゆっくり時間が流れる場所が大好きです。日記のつもりで記録していますので文字が多くて読み辛いと思いますが、興味のある方は観て頂けたら幸いです。

前回の更新から随分と間隔が空いてしまいました。
日本政府同様に会社が迷走してまして、仕事がバタバタしてましたショボーン
そんな中、会社とは別の軸で自分や仕事を見つめれているのは、『お遍路』のお陰だと思います。
既に真夏遍路に向けてのスケジューリングや足慣らしにも勤しんでおりました照れ

3月23日(日)5日目
9回目区切りの最終日です。
天然温泉きららを出発したのが、6時30分。
今朝は屋島寺までの15kmの殆どが街中を歩いて行きます。
高松市内を抜けて行くルートなのですが、それでも旧遍路みちにこだわってしまい、かなり迷いながらの歩きになってしまいます。
ただでさえ、遍路シールが少ないのにねチュー

↓出発して一つの道標

この辺りは遍路シールより、遍路マップに記載がある↓の道標を頼りに歩きました。

↓琴平電鉄伏石駅でトイレ休憩

↓昨日、天然温泉きららでおばあちゃんから頂いたお菓子を食べながら休憩

住宅街は遍路シールが無いので遍路みちがわかりません。

遍路シールっぽいシールも日光で矢印が消えてます。

持っていたペンで矢印を書き込みました。

伏石町を抜けてますが、迷いに迷ってます。


この辺りでは池を頼りにしてました。

↓途中のうどん屋さんで朝飯です。

私はネギが大好きなので、たくさんかけさせて貰いました。

爆笑 面白い名前のスナック

↓春日川沿いを歩いていると、屋島が見えて来ました。

源平合戦の地らしく、橋にその様子が飾れてます。

↓遍照院

屋島の麓まで来ました。

屋島に登り始めたのですが、かなりの人が降りて来ています。

地元の皆さんや観光客がたくさんですが、何か催し物でもやってるのかなあ?

その中のご夫婦からお接待を頂戴しましたので、私もお返しでブルーベリーゼリーをお渡ししましたニコニコ

↓屋島御加治水

せっかくなので、少し分けて頂きました。

屋島寺にはこんな感じの舗装路を登って行くのですが、これまた写真では伝わらない、まあまあな角度の登りなんですよね。


↓『食わずの梨』

四国で度々目にする、お大師様の伝承。

「この梨は食べれない」と欲張りな人がお大師様に嘘をついたら、石の様に固くなってしまい本当に食べれなくなってしまったと言うお話。

人間、ケチはダメですね。

私はたまにケチになってしまうんですよねショボーン

↓食わずの梨を過ぎたら、更に角度が増し増しにチュー

遠目の観た目も台形で標高もそんなに高そうに思えない。と言う思い込みのせいで油断してたのか、屋島の登りは結構きつかったです。

そしてやっと、

↓第84番札所屋島寺に到着。

↓本堂

↓大師堂

寺院内はびっくりするくらい凄い人出でした。

どうやら寺院敷地内に水族館がある様で、皆さんそちらがお目当てな様ですねニコニコ

↓親子たぬき像

向かって左の大狸は四国狸の総大将だそうですよ!

↓何とも不思議なお不動像

墨絵の様にも見えますよね。

参拝が終わりましたので、登りとは別ルートで降りて行きます。

既に廃屋と化した旅館跡を観ながら、

八栗寺方面に降って行きます。

こちらの下りは、あまりオススメされて無かったのですが実際に降りてみて、その理由が分かりました。

急勾配且つ滑りやすいのと、突き出た石でゴロゴロしているから、脚を挫きやすいと思います。

このルートを選んだのには理由があって、源平屋島の戦いの史跡が残っているからなんです。

↓佐藤継信の墓

継信は義経家来の豪将で、敵軍の能登守教経の弓に義経が打たれようとしたその時、身代わりになって斃れました。

↓菊王丸の墓

義経の身代わりになって斃れた継信に駆け寄り、首を取ろうとした菊王丸でしたが、継信の弟、忠信の矢に斃れます。

そんな菊王丸を憐れんで、教経はこの地に墓を建て弔ったそうです。


↓義経の弓流し

機に乗じて、敵陣に攻め込む義経でしたが、脇下に挟んでいた弓を落としてしまいます。

弓の達人である義経でしたが。。。

油断大敵。

勢いがある時程、注意が必要だと言うことなんですね。

一宮寺から屋島寺までは街中を歩くので、退屈なルートですが、屋島に入ってからは様々な史跡が存在しており、楽しめました。

歩きに拘りが無ければ、屋島寺登山口までは公共交通機関で移動しても良いですね。


川を渡って、次は八栗寺へと向かいます。


続く