函館ウォーキング①:土方歳三遭難地・碧血碑 | 馬超の気ままウォーキング・趣味の記録

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歩いて歴史上の史跡や雰囲気の良い風情を楽しみながら歩くのが好きです。その土地の小さな史跡も大切で、ゆっくり時間が流れる場所が大好きです。日記のつもりで記録していますので文字が多くて読み辛いと思いますが、興味のある方は観て頂けたら幸いです。

用事で函館に行った際に、幾つかの史跡を中心に回ってみました。
COVID-19の影響から飛行機が減便になっており1便目でも、函館に到着した時には昼前になっていました。
暗くなる18時までに出来るだけ多く回れるように函館駅からスタートします。

まずは函館駅近くにある『土方歳三最期の地』です。

函館戦争にて、新政府軍の総攻撃に榎本軍が各地で敗退する中、土方軍は善戦していた。
しかし、函館もついに新政府軍の手に落ちたのだった。函館奪還の為に悠然と斫り込んだ土方歳三であったが、ついに銃弾に斃れた地に碑が建てられています。


たまたま地元の方にお話を伺ってみると、実際の最期の地は碑側の一般道の木の埋め込み付近だそうです。
道路整備の際に現在の場所に記念碑も移されたとのことでした。
また、新政府軍の銃弾に斃れたと云われておりますが別の説もあるようなので、それは後程触れたいと思います。
いずれにせよ、ラストサムライとして魅力溢れる人物像に今も訪れる方は絶えないそうです。


そこからは一気に函館山麓を目指して参ります。
次の目的地は『碧血碑』です。
赤レンガ倉庫街を横目に進み、二十二間坂を登って行くと函館山ロープウェイ駅が見えて来ます

そこから程なくして、護国神社内にある『新政府軍の墓』が見えて来たので立ち寄ってみました。
新政府軍の墓ではありますが、幾度となく戦地となった道南に点在していた墓群もこちらに集められているそうです。


この墓群のすぐ隣に護国神社本殿がありますので、御参りさせて頂いて先に進みます。
函館山登山道を進み登山口入り口に着くと、
『函館山ふれあいセンター』が有りましたので中に入ってみました。

入り口にて、ふれあいセンター限定シマエガラマスクが販売していたので購入すると、おまけにポストカードも頂けました。

実は此方の登山口から宮の森コースを抜けて碧血碑に向かう予定だったのですが、スタッフさんから今は通行止めと教えて頂いたので、寄っておいて良かったです。
ふれあいセンターを後にして迂回していると、そこから少し降った丘に今度は何やら碑があります。
立ち寄ってみると、『青函連絡船海難者慰霊碑』でした。
青函連絡船就航からは幾多の海難事故があったようで、海難事故にあった船舶の名が刻んである碑もございました。

そこから少し降りると今度は、
『カエル池🐸』があったので寄ってみました。
小さな小さな池で、今は凍ってますが春以降にはこの池にはたくさんのカエルが居るんでしょうね。
ベンチもあるので、佇むには良い所だと思いました。

下山道路に出て函館八幡宮から碧血碑に抜けられそうですので、函館八幡宮神社内を通り抜けさせて頂くためにも本殿に御参りさせて頂きました。

日曜日ですが丁度お昼過ぎと言うこともあり、参拝者はまばらにいる程度でしたので落ち着いて参拝出来ました。
八幡宮西門から碧血碑へと続く道を登って行きます。


そして、碧血碑への入り口です。

石段を登っていると、4名の若い女性グループとすれ違いました。
挨拶をすると気持ちよく挨拶を返してくれました。土方歳三さんのファンかなあ?

一概に決め付ける訳には行きませんが、碧血碑には土方歳三ファンが多いと聴きますし、

るろうに剣心にも登場してるみたいですので、歴女??


そう言えば、空港からのタクシー運転手さんに碧血碑の事を聴くと、「碧血碑の事を話題にされるお客さんは珍しい」感心がられました。

石段を登ると、先に『柳川熊吉翁の碑』があります。 

そしてその奥に『碧血碑』がありました。

私が訪れた時には誰も居なかったので、ゆっくりと佇む事が出来ました。
碧血碑に御参りさせて頂きながら幕末最後の闘いに散って行かれた方々に瞑目していると、初春の爽やかな風が吹き抜けており、私には爽やかな参拝となりました。

ひとしきり碑の周りを拝見させて頂き、東屋から碑を眺めていると、いつまでもこの場所に居たくなったのを今でも覚えています。


ここで先出のタクシー運転手さんから伺った話を記しておきます。

函館戦争の折、この函館山辺りには新旧幕府軍共々にこの戦いで散った方々の遺体で一杯だったそうです。戦に負けた旧幕府軍は賊軍として扱われ、遺体の慰霊を禁じられ放置されていました。
この新政府軍の措置に義憤を感じた、請負業で狭客であった柳川熊吉は、実行寺の住職と共に同寺に埋葬したのでした。
その後、熊吉はその意気を新政府軍からも許されますが、この函館山に土地を購入して遺体を改装し、この地に慰霊碑を建てたのでした。


ですので、この地は旧幕府軍の墓とも呼ばれているそうですが。
土方歳三の遺体だけはどこに埋葬されているのか謎だそうです。
土方歳三の死については賛否両論あるそうで、新政府軍の銃弾を受けて自刃した説。
銃弾を受けた後、苛烈なる性格であったばかりに仲間から殺害された説。

そして、碧血碑の『碧血』の由来ですが、中国の故事の一節で、「義に殉じて流した武人の血は三年経つと碧色になる」と言う意味だそうです。


実に魅力的な由来と碑名ですね。

実にそうありたいものです。

いずれにせよ、歴史は謎も多い方が魅力的ですね。

続く