↓以前に書いたブログです。
乳母の茶屋を後にすると、明木市の街道を進んで行きます。
石州赤瓦葺きの屋並みが美しく情緒ある町並みを歩いて行くと、程無くして左に曲がり数百m歩くと
一升谷になります。
一升谷の由来は、谷を登り始める時に豆を食べ始めると、谷を越える頃には丁度、一升食べ終えていると言う言い伝えだそうです。
ここからは一気に山の中を進むコースになりますが、下茶屋の浴(川)を過ぎると、約400年もの間あらゆる風雪に耐えた敷き詰められた石畳が美しく歴史的価値が高い道が続きます。
石畳に入ると、直ぐに町田梅之進自刃の地があります。
町田梅之進は西南戦争の際、九州にいる西郷隆盛軍に合流しようと企てますが、それを警察に密告され投獄されます。その後、町田を救い出した町田軍と県庁軍が佐々並で相対しますが、町田はそこから追われて一升谷で銃弾をこめかみに受け自刃したのがこの場所だそうです。
そこからも暫く石畳が続きますが、敷き詰められた石畳を当時の志士達が歩んだかと思うと、その情熱が伝わって来て胸が熱くなる思いです。
一升谷は10合目が頂上で、346mになります。
急な登りでは有りませんが、萩側からでは難所と言えます。
雨の石畳は滑りやすく注意がいりますが、歩く旅の本や熊野古道歩きで会得した歩き方で歩くと滑らずに済みました。
登りの際であれば、上向きの石に足を乗せると良いです。下向きの石に足を乗せると、ズルっと滑ってしまいます。(言葉でな説明が難しい)
10合目を過ぎると一升谷も終わりを迎えるのですが、まだまだ登りは続き、次は釿切です。釿切から中ノ峠までは石畳や御駕籠建場跡・庚申塚・一里塚など見所も続き退屈することは有りません。
中ノ峠を過ぎたら根引までは一般道を通る事になるので注意が必要です。
それにしても、道路を歩いている際に直ぐ横を車が走って行くのは正直鬱陶しいですね。
普段は自分も気付きませんが、エンジン音とタイヤの音は思ったより大きいです。
根引から再び往還道に入ると、雰囲気の良い道が有ります。(下の写真)
この日は丁度この手前で萩往還を歩いているグループに会いました。ガイドさんらしき方を先頭に7〜8名で歩いていらっしゃいました。皆さん疲れが見える様子でしたが、何処から歩いていらっしゃったのかなあ?先頭のガイドさんが何やら不機嫌そうだったので話しかけそびれました。
そこから直ぐに落合の石橋があります。
説明板の文字が消えかかっていて良くは分かりませんが、当時から残っている国登録文化財です。
実際に歩いてみると、今もしっかりしていて凄いと思いました。
そこから千持峠を超えると、徐々に下って佐々並市に入ります。
佐々並市は明木市と同じく宿場町で、今でも当時の面影が残る情緒ある町並みです。
中でも、萩往還おもてなし茶屋(旧小林家住宅)では親切な案内人の方がいらっしゃいますので、立ち寄ってみると良いでしょう。
私は去年の夏に訪れた際に飲み物を購入したのですが、氷も分けて頂いてとても助かりました。
この付近には道の駅や小さなマーケット、トイレもあるので休憩にもってこいです。
この日は私も萩往還ふれあい塾で14時30分から15時まで、萩で購入したおにぎりやかまぼこを食べながら休憩を取りました。
次に続く