人生で一番大事なものを失ったときに、人は何をよすがに生きていくのか。時間がたてば悲しみが少しずつ和らいでいくかと思ったが逆にますます奥さんの不在が重くのしかかってくるようだ。父や母を見送った時ももちろん悲しかったが、奥さんを失うのはまた違った感情がある。それは同じ時代、同じ空間を共有してきて、最も僕の気持ちを理解してくれていた同志だからだ。奥さんが亡くなってつっかい棒が外れた気分だ。「喜びも悲しみも幾歳月」という映画があったが、結婚して47年、まさにそんな感じだ。

 

今日のNHKの俳句番組で「妻逝きて 後手となりたる 虫の聲」という投稿が特選に入っていた。そうか僕も後手になったのか。僕の場合は後手でよかったと思う。奥さんを見送ることができてよかった。逆だったらもともと体の弱かった奥さんが僕の面倒をを見ることはできなかったはずだ。先に奥さんを逝かしてくれたのは、神様の配剤のような気がする。

 

特養の方から、特養での行事の時の奥さんの姿を映したUSBメモリーをいただいた。ひな祭り、花見、ソーメン流し、バーベキュー

いろいろな場面での奥さんの姿が写っていた。奥さんは楽しんでいたようだ。笑顔がたくさんある。よかったね、お母さん。

 

なかなか遺品整理に手がつかない。歯ブラシにしろ、コップにしろ彼女が手に触れていたと思うと、処分する気にはなれない。あたりまえだけど、彼女のにおいが残っているものばかりだから、当分無理だな。パソコンで彼女の友達の住所録が出てきた。きっと生前お世話になった人たちだから、どこかの時点でお知らせした方がいいのか。なんだかいつまでも気持ちがおちつかない。