今日奥さんの若いときの同じ職場の友達が二人会いにきてくれた。もともと奥さんは身内以外には会いたくないと拒否してきた。でも今度二人の面会に来たいという声を伝えると、初めて「うん」と言ってくれた。僕は奥さんがどんなリアクションになるのかちょっと心配だった。

 

奥さんは二人の顔を見て、涙をみせたが、落ち着いていた。同じ職場の仲間だったので、二人はしきりに当時の話をしてくれた。友達の一人は、奥さんから「職場の慰安会に行きたくなければ行かなくていいのよ」と言われてハッとしたそうだ。そういう考え方もあるのかと。その人は職場の行事には必ず参加しなければならない、慰安会は行かなければならないというように思い込んでいたそうだ。奥さんはプライベートな時間まで会社に拘束される義務はないという考えの人だった。

 

あの高度成長で職場の一体感を求められた時代に、そんな考えだと顰蹙(ひんしゅく)を買ったにちがいない。扱いにくい人間と思われたかもしれない。でも奥さんは同調圧力に負ける人ではない。それで押し通しても、そのキャラクターで、上司から可愛がられたそうだ。

 

奥さんは発語はそれほどしなかったが、二人の思い出話にときどき笑顔をみせていた。懐かしい友達に会って気持ちが和んだようだ。よかったね、お母さん。いい友達がいて。

 

 

日本映画専門チャンネルで「雲の上団五郎一座」が放送された。僕は小学生の時に同じタイトルの舞台中継をテレビで見て、笑い転げた記憶がある。特に、三木のり平、八波むと志がお富さんの玄冶店(げんやだな)のシーンを演じるときに、のり平さんの動きに腹を抱えた。のり平さんが後年森光子の「放浪記」ほかの舞台演出で数々の賞をもらう大先生になるとは思わなかった。ほかに、由利徹、南敏明、森川信など喜劇人が多数出演している。今考えると当時は喜劇人の層が厚かった。今コントや漫才の芸人はものすごく多いが、喜劇役者と呼べるような人はそんなにいない気がする。