僕が特養に着くと、奥さんが車いすを押されて、特養の敷地にある、しだれ桜を見て部屋に帰ろうとしているところだった。しだれ桜は小ぶりだが、しなった枝にしっかりと一つ一つの花をつけていた。その日はよく晴れて、風が優しく気持ちがよかった。花壇には(僕が名前を知らない)いろいろな花がにぎやかに咲いていた。

 

奥さんはBGMが流れる面会室で、果物の差し入れを「おいしい。おいしい」と言って食べてくれた。若いころの桜巡りの写真を持って行って、思い出を語り合おうと思ったが、いつどこでとったものかわからないものが多く、今一つ話題がはずまなかった。(残念!)

 

いつものように「自分の生年月日を言ってみて」と奥さんに促すと、年月は正しいが日が2日ずれている答えだ。来るたびに正しい生年月日を奥さんにインプットしているのだが、定着しない。あきらめずに続けてみよう。

 

帰りがけ奥さんは介護士さんに車いすを押してもらって、玄関先まで見送りに来てくれた。玄関先で僕が「さよなら」というと奥さんは怒った顔で「サヨナラは嫌い!」といった。僕は気が付いた。英語で言うと「Good bye」でなく「See you later」のほうがいいんだな。「Good bye」は先がない。「See you later]は先にまた会えるという希望がある。「じゃあ、また会いに来るね」と僕は言いなおした。奥さんの顔はちょっと和らいだ。

 

ニュースで見たカナダの研究者の発言はぎょっとするものだった。「AIの脅威は核兵器を超えるものかもしれない」というのだ。例えば賢いAIに、気候変動を止めるように指示したとすると、AIは先ず人間を排除することに気づくだろうという。また戦闘ロボットは自律的に人を殺す決断を下せるものになるだろうともいう。つまりはAIが人間のコントロールを奪って、暴走し始めたら人類に甚大な被害を与えるという話だ。ブラックジョークのような話だが、ありえないとも言えない気がする。