若い時、奥さんの言葉は僕の脳にずんずん響いた。、

「女であっるってことは、たいがい重荷を背負ってるんだよ」

「恋人に会えないことに耐えている世の女性には、頭を下げて完敗です。(私は耐えられない)」

「私が寂しがってる事実を忘れたら、本気で発狂する自信があるよ」

「私が死んじゃうまでは、あなたには存在してもらわないといやだからね」

「会っていない時でも、私の手を握っててくれる?」

「今まで出会った人たちの中であなたの手が一番好き」

「「あなたに会ってるときは、自分が女であってよかったと実感できるのよ」

あるとき、僕が「人間は何のために生きるのかな」と言ったら、奥さんは即座に「死ぬためよ」と答えた。僕は怖くて、奥さんにその真意を深堀できなかった。でもなんだか潔い答えだなと感心した。

 

結婚のときに頼まれ仲人をお願いに会社の先輩を訪ねた時に、僕の奥さんになるべき人のすっとんきょうな発言に(普通の生真面目な人にはそう思えたであろう)、先輩の奥さまはあきれたようだ。良妻賢母を良しとする伝統的な価値観の奥さまには、うちの奥さんの発言はあまりにも刺激が強すぎた(?)。奥さまは奥さんになるべき人の目の前で、僕に「ほんとにこの人でいいの?」と何回も念を押した。それを奥さんは面白がって、後年何度も笑いのネタにしていた。

 

人生の答え合わせをする時期になって、今僕はあの奥さまに「僕の選択はまちがってなかったでしょ」と言える。

 

今奥さんは介護認定5で特別養護老人ホームで暮らしている。若い時に忙しすぎて寂しい思いをさせた罪滅ぼしを今している。そして奥さんの命ある限り僕が存在し続けることで奥さんに恩返ししたい。