今、週2回のペースで特養に入っている奥さんに面会に行っている。今日奥さんは面会室で僕の顔を見て、いつもより泣いた。「泣かなくていいよ。泣かなくていいよ」と僕はなだめた。「なぜ泣くの?」と問うと「うれしいから」と小声で答える。

 

でもやはり傾眠傾向は強い。すぐに下を向いてうとうとしてしまう。「お母さん!顔を上げて。まっすぐ僕を見て」と何度も声をかける。声をかけるといったんは顔を上げる。でもすぐに下を向いてしまう。「お母さん!顔を上げて!1万円やるから」というと下を向いたまま首を横にふる。「1万円じゃいやか。じゃあ百万円やる」というと「やらんやろ。口だけじいちゃん」と返す。「わかっとるね」と僕がいう間もなくまた寝てしまう。

 

「おーい。そこに愛はあるんか」と呼びかけると、うとうとしながら「ある」と答える。起きてるわずかな時間にりんご2切れ、小指ほどのチョコ1つ、百円玉ほどの大きさのお雛様の顔をしたクラッカー1つ、食べてもらう。口元に持っていくと素直に口に入れてくれる。でも続けてはいらないという。僕に気を使って最低限の量だけ食べたみたい。食べたくなかったら無理して食べなくていいんだよ。

 

帰りに介護士さんが車いすを押して玄関先まで来てくれたが、奥さんは眠ったままだった。

「ご主人が来た時には、表情が明るくなるんです。普段は口もあまり聞かず、そうですね、悟ったような表情をされてるんですよ」と介護士さんから聞く。奥さんはもう家では暮らせないという自分の境遇を受け入れている。特養に入る前にはあれほど「いや!」と言って抵抗していたのに。彼女は論理的な思考をしてあきらめざるを得なかったのだ。悲しみとあきらめの境地が介護士さんには「悟ったような表情」に見えた。彼女の心がどうやってそこまでにたどりたどりついたかを考えると、僕は切なくなる。