松島トモ子さんは僕の子供時代に、超人気少女アイドルだった。ネットニュースによると、そのトモ子さんのお母さんが95歳で認知症になり、トモ子さんが介護していたが、お母さんの変貌ぶりにショックを受けたという。いつも上品だったお母さんが、ものすごい声で怒鳴り、家具を引き倒して暴れまわる。トモ子さんはストレスのあまり、体重が7キロ減り、パニック障害になった。美しかったお母さんに醜い姿をたっぷり見せてもらったとある。

 

トモ子さんの気持ちを察して余りある。認知症になったら理性のたがが外れてしまう。自分中心の感情がもろに出て、思い通りにならないと、暴発する。老いて醜い姿、つまり老醜だ。赤ちゃんは感情だけで、泣くが醜いとは思わない。理性が育つ前だからだ。でも老人は、認知症の前は論理的思考のできる、紳士・淑女の時代があって、周りの人はその姿を長く見ている。その落差で醜いとなるのだが、それを醜いというのは悲しい。

 

肉体は大人のまま赤ちゃんに帰ったと思うしかないのかな。周りの人には理不尽だが本人の思考の範囲には自分しかいないので、その範囲で筋が通っているはずだ。その筋の通っていることが受け入れられない。つまり理不尽ということになって、暴発する。こうなったら、個人の手には負えない。トモ子さんは5年半,最後まで頑張った。それはそれで素晴らしい精神力とは思うが、一般論でいえばこういうケースは施設入居で、介護される人と介護する人の両方を救う道を早めに考えた方がよいと思う。

 

うちの奥さんは幸い、軽い認知証はあるが、対話はある程度可能だし、感情も落ち着いている。それでも、ほぼ1年居宅介護して、僕は心身共に疲弊した。トモ子さんのお母さんのように暴君になっていたら、最初から施設入居にしていただろう。トモ子さんはお母さんが100歳で亡くなるまで、自宅で介護した。よくトモ子さんはつぶれずにやり遂げたものと感心する。

 

BSTBSの落語研究会という番組で春風亭一之輔の「柳田格之進」を視聴した。1時間の大ネタである。滑稽話に限らず何をやってもうまいなあ。演劇的で活舌がいい。セリフのめりはりが効いている。格調のある話だから、最後のオチがくだらないと台無しになるところだが、さすが彼はオチをつけなかった。「柳田格之進の堪忍袋の一席、お開きでございます」と締めた。格調を落とさずに済んだ。当代、随一の落語家と思う。