今朝、川の土手を散歩していると、鶯の初音が聞こえた。「ホー・ホケキョ」と完成度高く鳴いているのは、どうやら1、2羽。「チャツ。チャツ」と地鳴きのもの。「ケキョ・ケキョ」とたどたどしく喉をふるわせるもの。集団としてはまだ練習段階のようだ。姿は見せない。やぶや林に隠れて声だけが聞こえてくる。春告げ鳥とはよく言ったものだ。春がすぐそこまで来ている。

 

先日のNHK俳句の兼題は「鶯」だった。その中で紹介された名句。「うぐひすの啼くや ちひさき口(くち) 明(あ)けて (蕪村)」あの小さな口から、きれいな声が出てくることへの畏敬。「鶯の身をさかさまに 初音かな(其角)」木にぶらさがってさかさまになりながら一生懸命鳴いている鶯への温かい視線。

 

投稿句にも名句があった。「鶯や 空欄多き時刻表(大阪府石井説雄さん)」僕も空欄多き時刻表のバス停にはよく行き合わせた。母をグループホームに預かってもらったときに、直近のバス停は1日2本しかバスが来なかった。空欄だらけの時刻表だった。人影さびしい山里で聞く鶯のさえずりに心をなごませる。僕にも経験がある。「鶯や 私のアデイショナルタイム(愛媛県秋本哲さん)」現役を退いた人の句だろう。余生でなくてアデイショナルタイムというのがいいね。余った時間ではなくて新たに付加された時間と考えるところがポデイテイブだ。新たに加わった時間と考えれば、より貴重さが実感できる。

 

昨年の経験からいくと、鶯は7月まで鳴き続ける。それはオスの縄張りの主張であり、求愛行動でもある。人間の耳を楽しませてくれる鶯のさえずりを聞く期間は、鶯にとっては激しい生存競争の季節でもある。それを考えると少し切ないよね。