松山から新穂高の駐車場までは、ちょうど10時間の道のりだった。
駐車場に着いたのは午後4時30分。
それから出発の準備をして、午後5時頃駐車場を出発した。
歩き始めて間もなくあたりは薄暗くなったが、登山道を別れて錫杖沢に入るあたりまではなんとかヘッドランプなしで歩けた。
この日の宿である錫杖岩屋に着いたのは午後6時半だった。
空には重たそうな雲が流れていて、星は見えなかった。
翌朝6時半に岩屋を出発。
踏み跡を辿り、7時に前衛壁の基部に到着。
この日の狙いは、「黄道光(5.11c)」。
「黄道光」は、2002年に大岩夫妻によって拓かれた、前衛壁左寄りの顕著なフェース(北沢フェース)をオールフリーで抜けるルートである。
スタイルとしてはクラック(ナチプロ)とフェース(ボルト)のミックスで、スポーツクライミング的な要素の強いルートである。
まずは「左方カンテ」と同じ取り付きから、「左方カンテ」を1ピッチ登り、そこから「黄道光」に別れる。
「黄道光」を登った人の記録の多くは、左方カンテの1ピッチ目(Ⅲ級)はロープレスで登っているので、自分もそのつもりだったが、下降用ロープを含めてロープ2本とギア全てを身につけた状態では、とても安全に登れるとは思えず、おとなしくビレイをとって行くことにした。
また、記録の多くは「左方カンテ」を20mほど登ったあたりに「黄道光」のボルトラインがあるとされているが、実際は40mほど(「左方カンテ」1ピッチ分丁度)登ったところだった。
「黄道光」1ピッチ目(5.11a)。
見た目からして、結構悪そう。
そもそも僕にとってソロでのオンサイト最高グレードである。
またルート直下に松の木があって、ソロではロープが引っかかりそうな予感がプンプンする。
しかし、続くピッチは、5.11c、11b/cと、ここでつまづくようでは話にならないので、気合いを入れて取り付く。
序盤は松の木にロープが絡まないように気を使いながら落ち着いてこなす。
中盤、フィンガーチップのレイバックがかなり堪える。
なんとなこなし小テラスに出たところで、かなり背中の右側の筋が痛い。
もうワンポイント、ボルダー的なムーブがあって、かなり迷ったがスタンスを見つけて突破。(ちょっと声が出ました。)
続くスラブは慎重に登り、1P目終了点のアンカーを過ぎて、草付をトラバースし、サンシャインクラック取り付きのテラスまでロープを伸ばしピッチを切った。
取り付きに戻ると、左方カンテを登ってくる男女のパーチィーがいた。
男性クライマーは、パートナーの女性クライマーにえらくきつい言葉で当たっていた。
あんな悪態つきながら登るくらいなら、ソロで登ったらええのにと思う。
2ピッチ目、北沢フェースを左上する見事なクラック(サンシャインクラック)から扇岩テラスまで55mを一気に登るピッチだ(5.11c)。
取り付きから見える小ハングは、そこまででも20mくらいあるように見えるが、トポにはすごく下の方に書かれていて、あの上にまだ40mくらい続くのか…と覚悟して登りだす。
「出だしはトリッキー。」と色々な記録にあるので、どんなトリックがあるのかと思ったが、リーチのせいかそれほどトリッキー感はなかった。
しかし、そこから小ハングまでの左上クラックがなかなか厳しく、テーピングを巻かなかったことを後悔した。
余裕がなかったので、プロテクションを多めにとってしまった。
小ハングを越えてからサンシャインクラックは、要所要所にレストポイントがあり、次のレストポイントを目指して「次はあそこまで」と言い聞かせながら、序盤に使い過ぎたプロテクションを節約すべく、ランナウトしていった。
カムが尽きかけたところでクラックが終わり、ボルトが見えた。
ボルトが出できてもボルト間隔は遠いので、落ちたくない。
小テラスで少し休んでから最後の10m。
確か途中にボルトが1本あった気がする。
最善のラインどりはどれなのか少し迷いながらも無事トップアウトした。
3ピッチ目、階段状のフェースから垂直のフェースに走るクラックを辿り、コーナーからハングを越える50m(5.11b/c)。
このピッチはタフだった。
出だしは階段状で易しいが、スッキリしたフェースになってから、ボルトがなくなり急に心細くなる。
よく見ると右にクラックが走っており(真正面ではないのではじめはクラックに気づかなかった。)、やや悪いトラバースでクラックに移っていく。
クラックは、フィンガー~シンハンドが少しの間続き、結構悪い。
ハング下のコーナーに入ると再びボルトが出でくるが、このコーナーもかかりが甘く結構悪い。
コーナーの最後は、自分でもどう登ったか覚えていないが、なんとか抜けることができた。
ここから小ハングを越えて右にトラバースだが、ハングから上はボルトが比較的近い間隔で打たれているので、精神的には易しい。
ハング越えは、大きなホールドを辿っていけるが、そこからのトラバースで顕著なホールドがなくなる。
やや苦し紛れにかなり小さなエッジを引いて、マッチしようと試みるが、次の瞬間、エッジが壊れ、抵抗なく体が宙に舞った。
あっという間もなく、ハングの下にぶら下がっていた。
久しぶりのソロでの不意落ちだった。
終了点まであと4mくらいのところだった。
「黄道光」は、一応ここまでで終了のルートだ。
続くピッチは「北沢デラックス」のものだが、せっかくなのでトップアウトするため登ろうと思っていた。
続くピッチも5.11bと手強い。
実際、少し登り始めたが、確かに見た目ほど易しくはなく、また、このころから急に風が強まり出し、天気が荒れてきそうな雰囲気だったので、やめて降りることにした。
下降のためだけにここまで担ぎ上げてきたシングルロープを出して、懸垂下降を開始。
下降用に持ってきたロープが新品だったせいもあり、下降時にロープが幾度となくこんがらがり、地上に戻るまで1時間ほどかかった。
地上に戻った時には、ほとんど敗退した気分だった。
その後、明日登る予定の「注文の多い料理店」の取り付きを確認してから、岩屋に戻った。
「注文…」には、4P目くらいを登っているパーティーがいた。
岩屋に戻って間もなく、雨が降り出した。
風は強くなるばかりで、木の葉が空高く舞っていた。
雨はそれほど強くはなかったが、風が強かったので岩屋の内部まで雨が吹き込んできた。
「注文…」を登っていたパーティーが少し心配だったが、1時間ほどするとアプローチを引き返す声が聞こえたので安心した。
天気予報によると翌日は晴れだったので、この荒天は長引かないだろうと踏んでいたが、やはり2時間もすると雨と風は止み、闇夜に濃い霧が立ち込めた。
その霧もしばらくすると薄くなり、遠くに新穂高ロープウェイの明かりが見えたかと思うと、空の一部に星が顔を出したりもした。
めまぐるしく変化する状況を、岩屋からただじっと眺めた。
翌朝、前衛壁を朝日が照らした。
今日は良い天気になりそうだと思ったのもつかの間、岩屋を出発する前にはもう曇ってしまい、前衛壁より上は薄くガスっていた。
昨晩の雨で岩の状態が悪いかもしれないと思ったが、とりあえず「注文」の取り付きへ向かった。
取り付き付近は階段状のため、さすがに少しは湿っていたが、壁は大体乾いているようにも見えた。
そうこうしているうちに、別のパーティーが到着した。
彼らも「注文」を登られるようで、「先に行ってもらっても良いですよ。」というと、「まだちょっと準備しますんで、先にどうぞ。」と。
午前8時ころ、登攀開始。
まず1~2Pを継続して登る。
3~4Pも継続できそうだったが、カムが足りない感じがしたのでピッチを切ることにした。
3・4Pは、やや幅広なコーナークラックが続いていて、所々にハングがあり登りごたえのある素晴らしいピッチだった。
後続のパーティーも、僕とほぼ同じ速さで登ってくるため、各終了点の撤収作業に少し焦る。
他パーティーと交錯するようなルートに登ることは少ないので、こういうのは慣れていない。
5P目は、スラブに走るダブルクラックを登ってから、草付と岩稜を行ったり来たりし
ながら大テラスまで。
ここから先は、「左方カンテ」と合流し、Ⅲ~Ⅳ級を50mほどだが、出だしだけちょっと難しかった。
最後は前衛壁上部の台地にトップアウトした。
昨日が、敗退ムードでの下降となってしまっていたので、とりあえずトップアウトしておきたかった。
同ルートを懸垂下降して取り付きに戻った。
今回も下降用に60mをもう一本持って上がったが、60m1本でも下降可能なことが分かった。
岩屋に戻り、デポしておいたキャンプセットを回収して山を降りた。