いい人しか出てきません。

唯一の悪役が、石橋蓮司さんですが、

本当にワンシーンしか出てこない上、

その悪事を、淡々と「こんなことされた。」と

語られるだけで、あまり嫌な感じがない。

だから、気持ちが楽な映画です。

 

 

役者さんも適材適所です。

渡辺謙さん、柄本佑さん、もうそのもの。

沢口靖子さんと高橋和也さんにはびっくりしました。

近年、沢口さん、マリコしか観てないものね。

あんな声出せるんだ。

高橋さんも、見事な「うらぶれた女形」でした。すごい。

 

 

難点は(私個人の考えですが)

謎解きが一時間たったところからはじまること。

二時間の映画なのに、半分が謎解き。

前半一時間がけっこうサスペンスなので

後半、「あらあ、そうだったのねー」となり、

少しのんびりしてしまうところがあります。

もう少し、謎解きを遅くできなかったかなあ。

 

 

でも、本当に 「よかったね。」といいたくなる話。

山口馬木也さんはかわいそうだけど。

北村一輝さんもかわいそうだけど。

あ、息子もかわいそうだけど。

しかし、冒頭の仇討ちシーン、

息子があまりにきれいで、

北村一輝さんはあまりにも悪役姿で、

そりゃあないだろおおおおお と思いました。

誰も疑わなかったのだろうか?

 

 

三月十九日  「ば」でした。

梅田を歩いたら、あっというまに歩数計が一万歩。

広すぎる都会。

市の図書館の貸し出しが、無人になった。

一年前くらいに、無人でできるように、と

機械が導入されたのだが、

ほとんどの人は有人カウンターに行くので、

これではいけないと思ったのだろう。

貸し出しはすべて機械。

それ以外の手続き(延滞とか申し込みとか)のため

少ない人数のスタッフが常駐する。

 

 

初めて使った機械はかしこかった。

数冊の本を台の上に載せるだけで

タイトルや番号をすべて読み取ってくれる。

すごいなあ・・と思いつつ、でも

会話がないことに、少し寂しさも感じる。

 

 

私たちが若い頃は、

図書館の貸し出しは、図書カードだった。

本の後ろに紙のカードが添付されていて、

そこに名前を書いて、カウンターに出す。

カードが本についていたら貸し出し可能、なければ貸し出し中。

 

カードに名前があるゆえの楽しみもあった。

だんな「ぴ」は、SFミステリー好きで

高校の図書室に新刊が入るたびに借りて、

図書カードの先頭に名前が残るのを誇りにしていたが

ある時から、現国の遠藤先生が、

同じように図書カードの先頭に名前を残すようになり

ついには競争になったそうな。

「お前、○○○先に読んだな!」

「先生こそ、△△△先に取って!」

「□□□は先に読むぞ!」

廊下ですれちがうたびに、言い合う仲になったという。

私も、自分が借りる本に、いつも名前のある同級生と

「あなたもあの本好きなの?」と、話すようになったりした。

 

 

今は、個人情報扱いされて、

そんなこともできないのだろう。

でも、せめて会話は残したいんだけどなあ。

 

 

まったく無言で出てきた図書館を振り返って、

ため息ひとつ。

 

 

 

三月十四日  「ば」でした。

なんか、いつまでも寒いですね。

 

 

専門外の吹奏楽の指導をしたことがある。二十年前。

 

 

高校の吹奏楽部の顧問の先生が、生徒に暴力、暴言を繰り返し、

外部の講師を探すことになったのだという。

(この教師は、保護者、生徒から批判を受けたのに、

校長が自分の保身のために事実を隠蔽し、

その後も授業で問題を繰り返したあげく、

処分を受けたのは数年後だった。公立高校なんて

こんなものだ)

当然部員は少ない。十数人。

専門家の先輩に師事を仰ぎ、本や講習会に頼り、

やっと軌道にのってきた二年目、

「コンクールの曲はこれにしたいです。」

生徒たちが持ってきたのが

伊藤康英作曲 ぐるりよざ 3,祭り  だった。

 

 

吹奏楽は専門外の私だが、

この曲がただものではないことはすぐわかった。

長崎の隠れキリシタンを題材に取った作品で、

長崎の祭りの音楽を主にしながら、

キリスト教の聖歌のメロディーが忍ばせてあり、

最後は、聖歌が勝つ。

技術的なことは、細かく指導はできないが、

曲の流れについては、話ができる。

こんな物語を作った。

 

 

「あなたたちは隠れキリシタンだ。

今日はお祭りに呼ばれて演奏する。

観客の中に、必ず同じ隠れキリシタンの人がいるはずだ。

この曲を通じて、自分たちもそうですよ。仲間ですよ、と

伝えたい。」

 

 

素直な高校生はすぐにのってきた。

コンクール本番までに数回ある舞台、

彼らは当然のように、

「私、真ん中の人たちに伝わるよう演奏する。」

「私は上手側の後ろの人たちに。」

「じゃ、僕は下手側だな。」と会話していた。

技術的に難しい曲なので、完璧に演奏できたとは思わない。

かしこい彼らは、そのことも知っていただろう。

だからこそ、この物語に乗ったのだ。

気持ちのそろい方、はすごかった。

結果、コンクールでは小さな賞をいただいた。

一年前まで、教師の暴力、暴言に耐えて、

それでも黙々と吹奏楽を続けていた彼らは、

その時初めて、全員が号泣した。

 

 

吹奏楽の指導を離れてずいぶんになる。

曲を聴くこともめったになくなった。

それでも、この曲がテレビやラジオで演奏されるときは、

必ず聴くようにしている。

あの時、私は泣かなかった。

でも今、この曲を聴くと、必ず泣く。

他にも思い出に残る曲はいくつかあるが

この曲は、特別。

 

 

三月十三日 「ば」でした。

まじめな女の子は、演奏後、

「あの真ん中の席のご夫婦、絶対隠れキリシタンです。

身を乗り出して聴いてくれました。」と、私に語った。

それは、あなたたちの真摯な演奏に打たれたんだよ、

と思ったが、「そうだね。」と答えた。