2010年3月号
チョキこんにちはコラミストσ(^_^)Qさんデス(正確にはコラムニストにひひ)     

札幌の音楽系コミュニティ雑誌

「オーディエンス」旧S・V・V(札幌ビレッジボイス)←検索

バットルズQさんの日記-DSCF9077.jpg

札幌や北海道のコンサート情報やジャズバーや・ライブハウス・カフェ・バー等々の情報

基本は・ジャズ寄り・の雑誌なんですが

そこに何故か私に・白羽の矢・がσ(^_^;)
コラム連載(計6回)を、依頼されたワケですパー

バットルズQさんの日記-DSCF9067.jpg

バックナンバー↓
コラム第一話・自己紹介~↓クリック💻️ 


コラム第二話~80年代ススキノ・ナイトクラブ物語~↓クリック💻️ 




今回は第三話(●o●)/

↓↓↓↓
アラフォーろっくんろーらぁコラム第3話

~ジャズメンでもベテランでも若手でもなくて\(__)すみません~

~80'薄野バンドマン物語「初めて歌ったR&R」~

深川市の田舎から~札幌へ上京したQ少年は、

ナイトクラブの厨房のニイサンとなり、薄野の怖さを知り(^^;薄野バンドマンの諸先輩達と出会う
【↑前号・参照】


世の中はバブル景気なりつつ、一方「サントレビアン」「舞麒麟」大型店が次々と閉店、薄野ナイトクラブが超下火

薄野バンドマン暗黒時代の

1986年!ススキノにケントスがオープンする!となった!

もともとGS残党チームが六本木に開店

そして、バブルとオーディーズブームが、同時にやって来て(笑)

どんどん全国チェーンを延びて居た会社だった、

薄野では、ナイトクラブが、どんどん下火になるなか
バンドマンの下馬評は
「薄野で今時オーディーズ?無理無理!(* ̄O ̄)ノ」ってな噂を裏切り、

バブルな時代にノリ、大繁盛店となった!、

更に「函館ケントス」も開店した

一方・少年Qは「バンドをヤルには昼働かないとダメかなぁ」…と、
昼仕事とバンドを両方探してた…

ある日!札幌ケントスの・日曜日バンドのベース・を募集してた、

「なるほど!バンドと仕事をイッキに見付けた(^ー^)v」

…とは言ってもレギュラーじゃなく、トラバンド(エキストラバンドの略)だ、収入はそーとー少ないが、

19歳少年Qは、夜のバンドマンの道に飛び込んでしまった(^^;


しかも中学生の以来のリーゼントに!<(`⌒´)>
バットルズQさんの日記-P3799141.jpg
【札幌ケントス↑Qサン19才?(笑)】

とある帯広の店が「ケントスバンドを呼びたい」となり、我々が木・金・土・毎週出演…、マンション泊まり込みだ

あと札幌&函館ケントス出演

毎週・帯広→札幌→函館という1週間…ツアーと言えばカッコいいが、


完璧「どさ回りバンド」だ(^^;、

そして慣れてくると歌も唄う…

初めて歌ったオーディーズは「恋の片道切符」(60')だったかなぁ「ohキャロル」のB面、日本でしか売れてない曲らしいですね、


面白いのは、薄野ナイトクラブじゃ「時間潰し曲」だった(^^;【前号参照】曲が、
このチームは超真面目に取り組む事だ、


あとは「悲しき雨音(63)'」かなぁ、

ロックンローラーなメンバーが嫌いそうな曲を・下っパ・のボクに押し付けられてた感は、あったが(^^;

今でも定番ポップスは嫌いじゃない(^-^)

初めて歌ったR&Rは「カンサス・シティ」だね

ウイルバートハリソンのR&B(59')を→リトルリチャード、がカバー→ビートルズ→キャロル(日本)

ビートルズバージョンは
子供の頃から聴いていた(^^馴染みが、あったが

まさか仕事で、唄う事になるとは(^^)面白い再会だ


少年Qは、ベースを・弾きながらオールディース゛を唄う・魅力引き込まれていく


ケントス以外にも「ビートポップス」「最後の20セント」等、ライブハウスが開店

薄野にも小さなオールディース゛ブームが、やって来た瞬間だ


おっかさん…薄野もマダマダ捨てたモンやオマヘンで(T-T)V


続く→  次号「若きバンマス編」


第3話 初仕事 ~ケントス編
https://ameblo.jp/batles/entry-10479901727.html

第4話   若きバンマスの苦労編
https://ameblo.jp/batles/entry-10505358857.html

第5話  地方どさ回りバンド編 え?大物歌手と?
https://ameblo.jp/batles/entry-10590889317.html




ビートルズライブハウス 『BxATLES~バットルズ』  
札幌市中央区南6条西3丁目秋水(シュウスイ)ビル5F 
💻️HP↓クリック!