この世界のすべては一定 | Zatolog

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つれづれなるまゝに、日暮らし、硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。

日々感じたことを、忘れずに、共有し、共感し、共生したい。

最近、身の回りに悲しい出来事が多かったのですが、
頓に心に浮かぶのが、「おもしろい」ってなんだろうなあということです。

昔、フジテレビのキャッチコピーで「おもしろくなけりゃテレビじゃない」というのがありました。
すごく腑に落ちる、いいコピーだと思います。
バラエティの雄といわれたフジテレビだからこそ出せるコピーです。
もしかすると、自ら退路を断つという決意の表れだったのかも知れません。
ただ、今、テレビってつまらなくないですか?

誰か一人、ちょっと才能がありそうな人が現れると、
その人におんぶにだっこで、才能を枯渇させるまで露出し、干涸らびたら捨てる。
そんなサイクルが構築されている気がしてならないのです。
(才能がありそうな人というのがミソ。
 本当に才能がある人というのは、才能あふれる人を指すので、枯渇しません)

先日お亡くなりになった、フジテレビのプロデューサーの横澤さんは、
ご自身はそれほど面白い方ではなかったそうです。
『たけし・さんまを育てた』などと報道されていますが、
実際は現場のディレクターたちとの二人三脚で番組を作り、
今の地位を築き上げた芸人さんたちです。
そんな中、横澤さんは時として冷徹なダメ出しをしていらっしゃったそうです。

「おもしろい」の裏側には、必ず「苦しい」があるんだと思います。

この世界で誰かが悲しんでいる裏側には、爆笑している人がいるはずです。
今、おいらが幸せな生活を営んでいる反面、辛くて切ない生き方をしている方がいらっしゃるのかもしれません。
この世界のすべての感情は表裏一体であり、その総数には定数がある。
正負の数は常に一定で、世界は大きな天秤の上で、常に釣り合いがとれている。
おいらはそんな風に考えています。

宮沢賢治は、「世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」と言っていました。
だから、「世界が全体不幸にならないうちは、個人の不幸はあり得ない」とも言えます。

やっぱり笑って生きていた方が健康的だとは思いますが、
つらいことも甘んじて受け入れる余裕を持っていたいと思います。
余裕があってこそ、笑うこともできると思うのです。