小学校の頃は、いじめに遭っていた。
母には、「恥ずかしい」と言われるのが、怖くて相談できなかった。
母は、参観日で私が先生に当てられて答えらない私を睨みつけた。
母からの否定や暴力に怯えていた。それでも母の期待に応えたかったが、
私にはそれをできる能力がなかったのだと今、振り返る。
母には、理想があり理想通りに私を仕上げたかったのだ。母は、友人関係にも口を挟み、あの子とは遊ぶなと言った。母の言うことが全てで、私の価値観は今でも母の価値観に支配されている。
私は、いじめられる体験もしたが、人をいじめたことがある。
同級生からたかりをしたり、それがバレれれば、トイレでその子を叩いたりしていた。小5ぐらいと記憶。人間関係が順調の時は、気分もよく、仲間はずれにされている子を見て心の中で笑うようなことも
あった。人が落とし入られている姿を見るのが気持ち良い感覚である。
死にたいと思ったのは、この頃で、紐で自分の首を絞めたり、手首にハサミを当てたりした。
中学に進学すると、同級生から暴力を振るわれたり通りすがりに暴言を吐かれることもあった。人間関係が良い時は、テンションも上がり、冗談を言ったり周りの人ともうまくいっている快感を得ていたが、人との距離、バランス感覚を取るのが下手でうまくいかなくなると、自分の殻に閉じこもることが多くなった。それに気づいたのは、ここ最近のことで、自覚するのにも多くの人間関係を得て、自分の思考のクセを知ってからである。
家庭でも父との関係が悪かった。生理的に父を受け入れなかった。父はおそらく、今でいう発達障害が
あるのではないかと思う。父が放つ生活音、歩く音、咳払いをする音全てが嫌で嫌で仕方なかった。父は、人の話を聞かず、こうだと押し付ける人であった。幼い頃は、お菓子など私が好きなものを与えてくれていたが、思春期前後から父を全く受け付けなくなった。
母がこういう人間のため、夫婦仲が良い姿を見たことがなかった。母は父に暴言を吐き、労わる姿を見たことがなかった。
中学2年の頃から、家を出たいと思うようになった。中学でもいじめられており、どこにも居場所がなかった、児童養護施設に入りたいと母に言った。世間体もあり、母は、山村留学を提案。私は、この家から出られるなら行きたいと思い、見学後、すぐとある県で山村留学をすることになった。