最近、「理由は?」「根拠は?」「ちゃんと説明して」
そう言われる場面が、やたら増えた気がする。
昔は、正直なところ理不尽の塊だった。
理由なんて聞けなかったし、納得も求められなかった。
「そういうもんだ」で進んでいた。
その環境に慣れてしまったのが、親世代なんだと思う。
説明を求めすぎる社会に、少し疲れる
今は真逆だ。
説明できないものは、最初から疑われる。
- 理由は?
- 根拠は?
- ちゃんと説明して
一見、正しそうに見える。
でもその結果、説明できない感覚や違和感が、置き去りにされている気もする。
論破文化も一度通った。
今はもう、勝ち負け以前に疲れている人の方が多い。
部活は「世代のズレ」が一番露骨に出る場所
このズレが、面白いほどはっきり出るのが部活だ。
理不尽に慣れた世代と、
説明を前提に育った世代。
どちらが正しいか、ではない。
OSが違うだけだ。
ここで言う「スポーツ毒親」とは
ここで言う毒親は、口出しする親のことではない。
理不尽を疑わず、子どもを差し出す親
- 努力すれば何とかなる
- 多少の痛みは必要
- 昔はもっときつかった
そうやって、努力と根性を外から押し付ける。
体が悲鳴を上げていても、
「ここで休んだら負け」という空気を優先する。
実際に起きた「結果の差」
| 判断 | プロセス | 結果 |
|---|---|---|
| 無理をさせない | 捻挫したら3日は休ませる 何を言われても引かない |
公式戦すべて出場 |
| 努力根性を優先 | 痛みを我慢させる 休ませない |
疲労骨折・大きなケガ 大事な試合に出られない |
努力の量の差じゃない。
才能の差でもない。
判断の差だと思っている。
コーチは「説明しすぎても」壊す
もう一つ、現場で感じたことがある。
コーチは説明しなさすぎてもダメだが、説明しすぎてもダメだ。
説明が多すぎると、
選手は考えなくなる。
- 言われてない
- 聞いてない
- 正解を待つ
コーチングのつもりが、
いつの間にかティーチングになっていく。
しかもそれが、コーチ自身の自己満足に寄りやすい。
極端が一番壊す
無理をさせすぎる親。
守りすぎる親。
説明しないコーチ。
説明しすぎるコーチ。
どれも、極端だ。
努力も、根性も、説明も、
本来は成立する範囲がある。
その線を越えた瞬間、
「育てる」は「壊す」に変わる。
じゃあ、その線は誰が引くのか。
親なのか。
コーチなのか。
それとも、本人なのか。
……その答えは、まだ分からない。