AIと親父とバスケのブログ -83ページ目

AIと親父とバスケのブログ

ブログの説明を入力します。

18歳まで、岐阜で育った。
高校を卒業するまでだから、人生の最初の区切りまでは、確かに岐阜にいた。

岐阜と言っても、岐阜市じゃない。
大垣寄りの方で、中心でもなければ、観光地という感じでもない場所。

今は県外に住んでいて、そっちの方がもう長い。
だから「地元は岐阜だよ」と言いながら、
正直、今の岐阜がどうなっているのかは、よく分からない。


地元なのに、もう言葉が出てこない

岐阜弁も、もうしゃべれない。
というより、出てこない。

「自転車をけった」とか、
「デラ〜」とか、
意味は分かるけど、自然には使えない。

忘れたというより、
使わなくなった言葉が、奥に引っ込んだ感じがする。


同窓会と、戻らなかった線

同窓会には、一回も行ったことがない。
だから、みんなどうなっているのかも分からない。

何年か前に、高校のグループLINEができて、
「同窓会しようや」みたいな動きがあった。

でも、俺は行けなかった。
結局どうなったのかも、よく分からないまま。

そのLINEの中で、
誰かが金銭トラブルに遭ったらしい、という話が出てきて、
正直、少し悲しくなった。

たぶん、この同窓会は、もう二度と開かれないんだろうなと思った。

それから、
「みんなに会いたい」という気持ちも、だんだん薄れてきた。


それでも、行きたい場所はある

人には会いたいと思わなくなったけど、
昔よく行っていた美味しいお店には、少し行ってみたい気がする。

幸い、岐阜には妹がいる。
行こうと思えば、行ける距離にはいる。

戻るわけでもなく、
切るわけでもなく、
ただ触れるくらいの距離。


海に憧れていた頃の話

岐阜は海がない県だった。
だから、昔は海に対する憧れが強かった。

社会科見学なんかで海を見たときは、
本当にテンションが上がった。

一方で、琵琶湖を見ると、正直テンションは下がった。
身近だけど、海じゃない。
きれいとも思えなかった。

今は海の近くに住んでいる。
行こうと思えば、いつでも行ける距離にある。

それでも、
あの頃の「海だ!」というテンションは、もう戻らない。


地元はある。
記憶もある。
でも、戻る場所ではない気がしている。

それでも、
昔の味や、言葉の断片や、
あの頃の憧れだけは、まだ体の中に残っている。

人は、どこまでを「地元」って呼ぶんだろう。
戻らなくなった場所は、
それでも地元でいていいんだろうか。