正直に言います。
こんなことで争っている場合じゃない、と思いました。
でも、それは「我慢した」とか「飲み込んだ」という意味ではありません。
むしろ、本当に大事なものが何なのかを、改めて考えた結果です。
ある日、子どもがSNS上で否定的に書かれていたという話を、
本人が第三者から聞いてきました。
本人はSNSを使っていません。
自分から見に行ったわけでもありません。
それでも、
「誰が書いたか」「どんなことが書かれていたか」を
子どもが知ってしまう状況が生まれていました。
さらにややこしかったのは、
その問題が何も整理されていない段階で、
別の出来事が起きたことです。
子どもや保護者が見ている公の場で、
私が注意される場面がありました。
内容の是非よりも、
「このタイミングで」「この形で」行われたことに、
強い違和感を覚えました。
なぜなら、その場には、
SNSの件に関わった側の子どもや保護者もいたからです。
何も整理されていない中で、
被害を受けた側が、
別のことで公の場で注意される。
これを子どもたちはどう受け取るでしょうか。
「声を上げたほうが悪い」
「嫌なことをされても、我慢したほうがいい」
そんなメッセージを、
大人が無意識に伝えてしまっていないか。
それが一番怖かった。
さらに辛かったのは、
大人同士で整理されるべき話を、
自分の子どもから聞かされることでした。
「先生がこう言ってた」
「あのとき、誰かに謝ってた」
子どもが、
大人の問題の“伝言役”になってしまっている。
これは、
子どもを守るどころか、負担を背負わせていると感じました。
だから私は思いました。
これは、話し合いで分かり合う問題じゃない。
感情で折り合いをつける話でもない。
事実を整理し、
判断の基準をはっきりさせ、
同じことが起きないようにする。
それを書面として残す。
それしかない、と。
勝ち負けの話じゃない。
誰が正しいかを決めたいわけでもない。
ただ、
子どもが「大人ってこういう存在なんだ」と学んでしまう場面を、
これ以上増やしたくなかった。
争うことが目的じゃない。
でも、曖昧にしていい問題でもない。
同じような立場にいる親御さんがいたら、
一度、立ち止まって考えてみてほしいです。
いま争っているその先に、
子どもに見せたい景色はありますか?
私は、そこを一番大事にしたいと思っています。
※本記事は特定の個人・団体・学校・競技を指すものではありません。
子どもを持つ一人の親としての体験と考えを整理したものです。