勝ち負けって、こんなに難しいテーマだったんだなと、今になって思う。
娘も、長男も、バスケをやってきた。
でも2人とも、ウィンターカップまではやらず、インターハイで引退した。
強豪の「勝っている側」にいた娘の選択
娘は強豪チームのスタメンで、県で優勝し、ベスト5にも選ばれた。
周りから見れば、完全に「勝っている側」だ。
それでも娘は、ウィンターカップまでやらずに引退した。
理由ははっきりしていた。
「このコーチだと勝てない」「ここが限界」「看護大に行きたい」
バスケが嫌いになったわけじゃない。
娘は体を動かすのが好きなだけで、バスケを特別に好きだったわけではなかったらしい。
強豪の世界では、「うまい=好き」「結果=情熱」と見なされる。
でも本人の中では、そこは一致していなかった。
辞めるとき、チームから「裏切り者」扱いもされた。
「どうせ無理だろ」「落ちればいいのに」――そんな空気もあったと思う。
それでも娘は、自分の将来のゴールを選んだ。
控えだった長男の、別の勝ち方
長男は、スタメンではない。
ベンチに入れるかどうかの位置で、同じようにインターハイで引退した。
理由は、就職活動に力を入れたかったからだ。
ウィンターカップまで続ける道もあったかもしれない。
でも長男は、就職という別のレイヤーの「勝ち」を選んだ。
勝負の世界は、ほとんどが負ける
スポーツの世界は、表に出るのは「勝った1人」だけ。
でも現実は、ほとんどがどこかで負ける。
小学生で負けるのか。
中学で負けるのか。
高校で負けるのか。
大学で負けるのか。
違うのは「どこで負けるか」だけだったりする。
でも、いま私が思うのは、「どこで負けるか」より「どこで納得できるか」のほうがずっと大事だということだ。
他人は、結果でしか判断しない
娘は第一志望の看護大に受かった。
だから今は、誰も何も言わない。
でも、もし落ちていたら――
「だから辞めたからだ」「続けていれば」そんな言葉が飛んだはずだ。
他人は、結果でしか判断しない。
そこに至る思考も、覚悟も、リスクも、ほとんど見ない。
勝ち負けじゃなく、納得できたかどうか
娘は、バスケのレイヤーでは降りた。
でも、看護大という人生のレイヤーでは勝った。
長男は、ウィンターカップのレイヤーでは降りた。
でも、就職というレイヤーでは勝った。
もっと違う勝ちもあったかもしれない。
もっと最悪の選択も、きっとあった。
それでも2人は、自分で選んだゴールに立った。
親としては、正直、もう少しプレーを見たかった。
でもそれよりも、子どもが自分の人生を選んだことのほうが、ずっと重い。
勝ち負けじゃない。
自分が納得できるゴールで終われたかどうか。
いま、私が2人の子どもから教えられているのは、そこだ。