SNSで傷ついたのは、うちの子だった。
でも、実際に人前で指をさされて注意されたのは、親である私だった。
このねじれが、いまも子どもの中に残っている。
何が起きたのか
チームの生徒が、Instagramのストーリー(24時間で消える機能)で、 特定の選手を名指しして否定的な投稿をした。
それを見た第三者が、うちの子に伝えた。 本人はSNSを使っていない。
投稿は削除され、学校は内容を直接確認していない。
その後、 加害生徒は投稿を認め、 うちの子に個別に謝罪し、 保護者からも謝罪があった。
それでも終われなかった理由
投稿は、不特定多数に向けて出されたものだった。
誰が見たのか、学校も把握していない。
見た生徒たちに対して、 「あれは間違いだった」「事実ではない」という説明が必要だった。
学校は「部員全体に説明した」と言った。 でも、実際に子どもに聞くと、 「説明を聞いていない」という声が出てきた。
ここで、学校の説明と現場の認識が食い違った。
被害者が、さらに傷ついた場面
SNSトラブルの直後の練習試合で、 指導員が、 子どもと保護者が大勢見ている前で、 私を指さして注意した。
その場にいた人たちは、 SNSの被害のことを知らない。
その結果、うちの子は 「自分のせいで、お父さんが怒られている」 と感じる状況に置かれた。
被害を受けた子が、 さらに心の中で責任を背負わされる構図ができてしまった。
学校の判断
学校は、 SNS投稿の事実と、 見た生徒への説明が必要だったことは認めた。
一方で、 指導員の行動については、 「感情的ではなく、職務権限の範囲内」と判断した。
その根拠は、 不鮮明な動画と、 その場にいた保護者への聞き取りだった。
聞き取りの結論は、 「違和感はなかった」 「むしろ私の方が感情的だった」というものだった。
でも、学校自身が「動画ははっきり見えなかった」と言っている。
見えなかったのに「問題なかった」と断定している、そのズレが残った。
私が求めていること
誰が悪いかを決めたいわけじゃない。
うちの子が、あの場面をどう受け取ったのか。
それを、学校としてどう説明するのか。
それだけだった。
でも実際には、 話はSNSの被害より、 応援の仕方や保護者の態度の話にすり替えられていった。
いまの結論
正しさを争えば、 組織は自分たちを守る方向に話を組み替える。
戦えば戦うほど、 子どもが居づらくなる。
だから今は、応援に行っても、自分の子にだけ声をかける。
それが、 子どもの心を一番守る選択だと感じている。