冤罪はあってはなりません…が | basser-t-0407さんのブログ

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おはようございます。


今年は大掃除も年賀状書きも既に済ませ、余裕を持って新年を迎えられそうな者です。


こないだ年が明けたばかりと思っていたのに、「んがっ」という間に(by  こまわりくん)あと1日である。いや〜歳のせいか時の経つのが加速度的に速くなっている。

過ごしてきた時間を分母とする単位時間の値は小さくなる一方なのだから、当然と言われれば仰せごもっともなんだけど。


この20年、江戸川乱歩と横溝正史以外ほとんど小説は読まず、本といえばノンフィクションばかりを手にしてきたオイラ。

といっても決して大した読書量ではなくお恥ずかしいし、世の中から相当遅れて知ったり読んだりしたものも多い(汗)。


オイラ、「足利事件」(小林篤/講談社文庫)を最近読んだ。このルポは2001年刊行された単行本「幼稚園バス運転手は幼女を殺したか」に加筆改題し、犯人とされ服役していた人物の無期懲役刑の執行が停止、釈放され、再審決定を受けた2009年に文庫化されたものである。相当遅れてこの本を知ったオイラ、つくづく情弱である。


足利事件に関する書籍は、清水潔の「殺人犯はそこにいる」を刊行当時単行本で読み、文庫版も買っていた(同じ著者の「桶川ストーカー事件ー遺言ー」も読んだ)。このルポで清水潔は、足利事件は、北関東で起こった他の同様の事件を含む同一犯による「連続幼女誘拐殺人事件」のうちのひとつであるとし、かつ、自身は真犯人を特定した、とまで書いている。著者が得た情報により犯人を追い詰めようとしたまさにその時、東日本大震災が起き、警察組織がその犯人を追求するどころではなくなってしまったのだ、とも。

…清水潔による続報となるルポは、ない。どうなっちまったんだ?


小林篤の著作についてAmazonのレビューを見ると「清水潔の著作より前に足利事件の冤罪を暴いていた」という書き込みがある。たしかに、綿密な取材により緻密に積み上げられた事実から、犯人とされた幼稚園バス運転手は無実であると思わざるを得ない(既に単行本の刊行時において)。しかも著者は、捜査線上に浮かんだ複数の人物にも当たり、その中に真犯人らしき者を特定した、と。

ここで引っかかってくるのが、実は小林篤と清水潔は、足利事件について、あるときまで共同で取材していたという事実である。どうやら真犯人にも小林篤が先に辿り着いていたようなのだが、清水潔が「俺は真犯人を知っている」と発言し出して、袂を分かったそうなのである。その後清水潔は日テレのバックアップのもと足利事件の冤罪を訴えるキャンペーンを張り、「見事に」菅家利和に付き添っての釈放まで中継してのける。そう、「見事に」である。

かつての「桶川ストーカー事件」は、清水潔の追求によって事件の全容が明かされ、被害者に関するネガティブな印象がある程度は回復された。その仕事は素晴らしかったと思う。

でも、「足利事件」についてはどうなんだろう。テレビの力を利用し冤罪を晴らすことに貢献したのは確かだけど、あまりにも自身が表に出てきてはいまいか。そしてルポにあるように、著者の唱える「同一犯による連続事件説」にとって菅家利和が犯人であっては都合が悪いというのも、冤罪主張の理由としてある程度は本当だろうが、(菅家利和の人となりから冤罪を確信した)小林篤のアプローチとは方向性が違うことをアピールしたかったのではないか、という気もする。

この辺り、「下山事件」に係るルポの出版で、森達也と柴田哲孝と諸永裕司の間に起きたゴタゴタを思い出させる。あちらは三つ巴だったし、題材そのものがオンタイムではない戦後の古い事件ではあるけれど。


なんでこの辺りにオイラが拘泥しているのかというと、この清水潔の「殺人犯はそこにいる」において、(小林篤のルポとの差異としてなのか)引き合いに出した「飯塚事件」を冤罪事件と断定し、司法当局を「告発」しているからである。

足利事件は、当時の不確実なDNA型鑑定をただひとつの拠りどころとして起訴、無期懲役を確定させた。他に証拠はなかったのである。だからこそ、そこが覆されればシロである。しかも、菅家利和は「DNA鑑定をやり直してくれれば自分が犯人でないことが分かるはず」と主張し続けていたのである。


さて、実はここまではマクラだったりするのである。フォロワーさんでも嫌になって既に読むのをやめているはずである(笑)。


今年の春、NHKBSで飯塚事件に関するスペシャル番組がオンエアされていたらしいことを、秋、飯塚事件をググって知った(事件について過去何度もググってはいるが)。その番組も「シロ(冤罪)説」を採るものだったらしいことも。

日テレで清水潔が飯塚事件についてずっと冤罪キャンペーンを張っていることは知っていた。しかしNHKまでが久間三千年をシロとする立場からルポを製作するとは、オイラにはかなり意外なことだった。

情弱なオイラ、番組に気付かず見逃したことがとても残念だった。そんなところへ数日前、驚くべき情報が。このスペシャルが今年度文化庁芸術祭のTVドキュメンタリー部門で大賞を獲ったというのである。「えぇっ、マジか?」である。

そして28日の夜、テレビを点けっ放しで寝落ちしていたオイラは、日が変わった深夜2時前に目覚める。そのままになっていたチャンネル、NHK総合ではスペシャル「未解決事件」シリーズのファイル3を再放送してた。胸が悪くなるような事件である。何か他にないかと番組表を開くと「?!」、Eテレの2時からの枠に「正義の行方〜飯塚事件30年後の迷宮〜」が!まさかまさかの件の番組である。2時を2分ほど回っていたが録画開始。

冴えてしまった目で、そのまま3部構成の最後まで見続けた。流すんならもっと番宣しときやがれ!と自分勝手に憤りながら。


で、見終えた感想はといえば、正直うぅーむ、である。視点も、裁判への疑問の提示の仕方も、清水潔と変わらないのである。言ってみれば再審請求をした(もう一度するべく準備中らしい)弁護団(弁護士)の主張をトレースするだけで、新しい事実や証言が現れるわけでなく、また、事件の判決文に記された被告にとって不都合な事実は悉くスルーされていて、取り上げた上での反証がされるわけでもない。

あたかも足利事件の冤罪を来したのと同じ方式による当時のDNA型鑑定の結果により刑が確定し、久間三千年は死刑執行されたかのように謳うが、それは事実と違う。

足利事件の後、「冤罪による死刑執行ではないか」と途切れることなくずっと話題になっているため、御多分に洩れずオイラも飯塚事件の判決文は読んだ(Wikipediaの「飯塚事件」に判決文を公開したサイトへのリンクが掲示されており、誰でも読める)。判決においてDNA型鑑定の結果を証拠として重視していないのである。それ以外の証拠を精査し積み上げることにより犯行事実を認定し刑を下しているのである。読んで思うのは、「これは冤罪ではない」。


番組ではスルーしたが公判において認定されていた事実を挙げてみる。


事件当時の被告のアリバイについて、被告と妻の証言がコロコロ変遷している。

・被告の車のシートから、血痕と尿失禁の痕跡が発見されているが、それについても被告及び妻の証言が一貫していない(今回の番組中で被告の妻は、被告がシートを車体から外して水洗いまでしたことについて、「完璧にきれいにしておき警察が証拠をでっち上げる工作をしたときに分かるようにするための被告の対抗策」だったと述べていたが、ならばなぜ手許に置かず車を手放したのか理由がまったく分からない)。

・被告は当初、レイプなどできない理由として自己の性器の出血を伴う病気を主張していたが、被害者の体内から犯人の血液が発見されると「病気は治っていた」と主張を翻した。しかし病気のための薬品は特異なものであり、薬局の店員は常連客である被告が事件前後にも薬を購入していることを憶えていた。

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飯塚事件の3年2ヶ月前、被告の家に遊びに来た小学1年生の女児がその後行方不明となる事件が起きている。女児の最後の目撃者は被告である(当然嫌疑がかかった)。番組はこの事実について深く検証はしない。他方、ポリグラフにかけられた被告がこの過去の事件について問われ示した反応により割り出された場所から、行方不明女児の遺留品が発見されると、捜索開始から発見までの時間の短さと、遺留品の劣化の少なさに、「警察による証拠の捏造」を匂わせる弁護士の言を入れる。被告自身が過去の事件直後でなく年月が経ってから遺棄した可能性は考えないらしい。


飯塚事件の死体遺棄現場で目撃された特徴あるワンボックスワゴン車は、生産終了により車種の特定が容易で、当時犯行可能なエリアで登録されていた数台は全て捜査対象となり、その結果被告の車以外は犯行の可能性を潰されていた。

また、警察が被告をマークし、被告宅から出たゴミを刑事が持ち去ろうとした際に、被告は植木の剪定バサミを手に襲いかかり逮捕されてもいる。その事実も取り上げず、そこまで抵抗した理由についての検証もない。


番組のコンセプトはあくまで「飯塚事件の被告久間三千年は冤罪により死刑を執行されてしまった」なのであろう、徹底的に弁護団に寄り添う。もちろん警察関係者側へもインタビューしているが、証言の切り取り方(編集)にいささかスタッフのバイアスがかかって見える。

端的に言ってしまえば、これは偏向報道なのではないか。「飯塚事件は冤罪である」という前提ありき、としか思えない。フラットな姿勢に欠けている。

「後輪ダブルタイヤのマツダボンゴを遺棄現場付近で見た」とする目撃者の証言を、弁護団は「警察の誘導による」と決めつけ証言者を貶めているのも許されることではないだろう。目撃され慌てて身を伏せるなどという異様な行為を見せた人物の印象は強烈だろうし、直後の事件の発覚により記憶が鮮明に残っていて当然である。


この番組製作後、事件後30年も経ってから「事件当日現場付近で白い軽ワゴンに乗った女児2人を見た」とかいう老人が現れたと弁護団は言い出したそうな。その老人の記憶に、事件直後に聴取された証言よりも信憑性があるとでも言うのだろうか。

司法当局の過ちを隠蔽すべく、確定から異常に短い期間で死刑が執行されたともやたら言われているが、当時としては平均的なもので特別早くはない。順番待ちの死刑囚のため拘置所や刑務所がキャパシティオーバーであることはずっと言われ続けている。


事件から長い年月が過ぎてしまうと、人々の記憶も薄れ、直接に事件を知る人も減る。メディアが恣意的に事実を歪めて情報発信すれば、恐ろしいことも起こる気がする。

1968年から74年にかけて、千葉県松戸市から印西町も含む「首都圏」で連続婦女暴行殺人事件が起きた。

そのうちの1件で(証拠が不十分で他を立件し得なかった)逮捕起訴された小野悦男は1986年の一審で無期懲役とされたが、1991年の二審では人権派弁護士の「活躍」で逆転無罪となった。もともといわゆる懲役太郎だったのに一躍「冤罪のヒーロー」となった小野悦男は、その直後も窃盗で2年くらい込んだりした後、1996年、交際していた女性を殺害したことによりまた逮捕された。過去に嫌疑をかけられた事件の中にあったのと同様の方法で死体を遺棄したことも明らかになる。このとき、小野が無罪とされたかつての事件を担当した検事はどんな気持ちだったろう。1999年小野の無期懲役確定。

一旦シャバに出ていた頃、小野悦男は酔っ払うと「女殺っても俺は無罪になっちゃうんだからチョロいもんよ」とのたもうていたそうである。O.J.シンプソンが無罪となったとき、「ヤツらは殺人犯を無罪にしちまったぜ!」とビデオカメラの前で笑ったシーンを思い出させる。



冤罪は恐ろしい。あってはならない。当然である。

でも、その逆のことが起こり殺人者が野に放たれることも恐ろしいと単純に思うオイラなのでした。