高い所は苦手です。 | basser-t-0407さんのブログ

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こんばんは。


本日関東は大荒れ。気温が高めなのが腰にありがたい者です。


昨日は都内に住む長女の家(ってか集合住宅の中のちっちゃな専有部分だから部屋)を、オイラとカミさん&三女が訪れ、そこへ近くに住む次女も合流して一家全員集合となりました。いやー、人口密度が高かった、ってヤバいがな(笑)。

皆、部屋の中でもマスク外さず、飲み物はペットボトルのまま。食事は残念ながらなし。


夕方、往きとは違う路線で帰ろうと、駅まで隅田川っぺりを散歩、浅草へ。

川岸から、スカイツリー&アサヒビールのウ◯コオブジェ。「ビールの泡」がモチーフってどっかで聞いて刷り込まれてたんだけど、本当は「情熱の炎」とやらなんだそうな。

まぁオイラからすりゃどっから見ても「黄金」でしかないのでどうでもいいや。

揚げまんじゅう屋の入口、なんつったら怒られるかw。

「喉元過ぎれば…」でしょう、びっくりするほどの人出。加担しちゃってる我が身がいささか後ろめたい。でも、通院以外で都内へ出たのは半年振りでしたのでお許し下せぇお代官さま〜。


帰途、最後の乗り換え駅で発車待ちの電車の席に座ってると、6時過ぎ、車内を歩いてる人もいないのに電車が揺れる。「地震⁈」と思ってたらグラグラッ!スマホでニュースを見れば宮城で震度5強。まさか…。電車は8分遅れで発車。とりあえずオイラとカミさんは無事に帰宅しました。

今回の地震、震源は宮城沖。「津波注意報」が発せられたが19:30解除。陸からの距離が小さく、60kmという深さによってとのこと。よかった!

…先月の福島といい、歪みのエネルギーはあの付近に蓄積している。

「忘れるなよ」「忘れるんじゃねえぞ」と日本列島が、東北地方が警告している気がする。

でもなぁ、この国、ほんっとにスカポンタンだからなぁ。悲しいかなオイラも構成員だけど。


2年前、「栗城史多の追悼番組」を見た。ザラついたものが胸に残った。で、映画「エベレスト」を観た。恐ろしくなった。「山ってなんだろう、登山ってなんだろう」とそれからずっと引っかかったままになっている。

年明けに映画「アイガー北壁」を録画して観た。ますます山と、氷壁を攀じる登山家が怖くなった。


そんなこんなな中。ベストセラーのノンフィクションを読んだ。「デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場」。

売り出したばかりの頃の栗城史多に関わった北海道のテレビマンが書いた、「栗城史多の『真実』」。副題から辛辣。遺族や関係者にとってはキッツい事実も遠慮なく記されている。

この本に対する評価もさまざま。「死者に鞭打つのか」と言う人もあるようだ。でも、栗城史多という「登山家」がやったことを正確に伝えることは正しいし、必要なことだと思う。


栗城史多が、かくあるべき登山家(山屋)のアンチテーゼだとしたら、本当の登山家ってどんななんだろう、と佐瀬稔の著作を続けて読んでいる。

「残された山靴」、「狼は帰らず アルピニスト森田勝の生と死」、「ヒマラヤを駆け抜けた男 山田昇の青春譜」。ここまで読んだ。

「長谷川恒男 虚空の登攀者」はこれから。


「残された山靴」は短編集で、森田勝、長谷川恒男を含む8人(+α)の登山家を取り上げている。

1960年代から90年代、谷川岳で腕を磨き、やがてヨーロッパアルプスや大陸最高峰、ヒマラヤの8000メートル峰へと攀じる対象を求めていく登山家の、その山屋たる所以と山屋ゆえの死が、(オイラにとっては)これでもかー、これでもかーと描かれる。

そして一流の山屋たちは、生と死が常に隣り合わせで、生還はただ幸運であるに過ぎないような場所で邂逅し、関わり合い、それぞれを互いに認め合うものであるようだ。


「狼は帰らず」、「ヒマラヤを駆け抜けた男」を読んでも、あちこちで登場人物がカブる。そもそも「選ばれし一流の者」しか挑戦を許されない世界なのだから、同じ時代を生きている一流同士が接触するのは当然か。

そしてこの登山家(山屋)たちの生涯を、全く山を知らないオイラが活字でトレースしたとき、「冒険の共有」を標榜した「登山家」とのあまりの隔たりに愕然としてしまうのであった。


山で吹かれた人たちの死は、痛ましい。間違いなく悲劇である。

ただ、山をどう捉え、どう山に挑んだのかにより、性質の異なった悲劇となってしまうのも事実のようである。


そんなふうに思ってしまったオイラは、ますます山と登山家が恐ろしくなったのであった。