志苔館(しのりたて) | ルアーマンのブログ

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自分で釣った魚でやる一杯は最高!

12月20日、函館旅の2日目は、函館駅からバスで出発。

 

40分弱で、志海苔(しのり)バス停に着。

 

バス停近くの志苔館(しのりたて)を攻めます。

地名は函館市志海苔町、「しのり」は志海苔と書くのに、

城郭名の「しのりたて」は志苔館と、海の文字が無くなるんです。なぜだろう?笑

(志海苔館と表記する場合もあるらしいが)

 

志苔館 は室町時代に小林氏が築城。

鎌倉時代末の1306年に上野国(群馬県)の小林重弘が蝦夷へ渡り、その後に築城。

室町時代には孫の小林良景、小林良定、小林良治らが城主を務める。

 

1456年、物品売買のトラブルが原因でアイヌ民族との間で戦いに発展。(コシャマインの戦い)

1457年、小林良景らが討死し、志苔館は一旦落城。

1458年、武田信広の反撃で、アイヌのコシャマイン父子が討死。志苔館を奪還。

1514年、アイヌの反撃で小林良定が討死。

この後、小林良治の代に松前の大舘に移り、志苔館は廃城。

 

函館駅は左端、志苔館は右端の函館空港の南隣。

空港からは徒歩ではなくタクシーが良いそうです。

なお、志苔館から3kmの場所にクマが出たらしいが、間には空港や民家があるので、館までやってくる心配は無さそう。

 

バス停は海のすぐそば。

 

志海苔川に沿って進む。

奥の白い水平線のようなものは函館空港。

 

右の上り坂へ。 滑るよ~

 

人工的な地形になってきました。

 

こちらは神聖は場所なので立ち入り禁止。

 

和人殉難御霊・阿伊努(アイヌ)悵魂御霊 慰霊碑

戦いで亡くなった人の慰霊碑。

犬の足跡がありました。

 

正面に見えるのは、

 

志苔館跡の碑

 

解説パネル

 

土塁に囲まれた広い曲輪と、曲輪西側の空堀があります。

 

曲輪へ行く前にスタンプ設置場所に戻って、

この東屋にスタンプがあります。

 

志海館は 続日本100名城 の1つ

 

東屋の近くから土塁を上る。

 

 

土塁の向こうには空堀にかかる木橋

 

雪が無い時期にはこんな感じ

 

木橋がかかる空堀は深さがある。これは木橋の北側(空港側)。

奥の白い平地は函館空港。

 

木橋の南側(海側)

 

 

木橋を渡ると、

 

先にはもう1つの空堀。

こちらは浅めで、木橋ではなく土橋。

 

曲輪に出ました。

 

曲輪の南側

曲輪全周が土塁で囲まれている。

 

雪が無い時期にはこんな感じ

 

 

この石の列は、

 

柵があった跡を記したもの。

 

建物跡を記す石も。

 

石碑が2本あるが、解説の石板が雪で埋もれていて、何だかわかりません。

 

石碑の文字も読めない。笑

 

曲輪の北東隅にも建物跡?

 

その一角には井戸跡

 

土塁が低くなった場所から海を見ると、

 

小さな漁港

 

函館山

 

19時間前にはあそこにいたんだ。

 

志苔館跡の碑から曲輪の北側へ回り込む。

 

土塁の外側は空堀で囲まれており、さらにその外側には復元された?柵。

平安時代~室町時代には城郭を柵や塀で囲む事例が多かった。

もしかしたら私有地と志苔館の境界の柵かもしれないけど。

 

バス停まで戻る。

志苔館がある場所は結構小高い土地。

中央に何やらオバケみたいなのがいますね。

 

海には多くのカモメ

 

車は多いが、歩く人はゼロ。

バスを待つ10数分が永遠のように感じる。

 

昼前なのに太陽が低い! 寒いはずです。

 

おお、バスが来た! 救世主のようでした。

 

志苔館はシンプルな構造で見どころは多くないですが、

よく整備されているようで、緑が映える時期に再び訪れてみたい城郭でした。