登呂遺跡 | ルアーマンのブログ

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10月17日、静岡へGO!

小田原手前でよく見えていた富士山だが、富士市あたりでは手前に雲がかかってしまって見えないことも多い。でもこの日は辛うじて頭を出してくれていた。

南風が当たると山の南側に雲が発生するからでしょうか。

 

静岡駅へ着。この日は南口からスタート。

 

バスですぐの 登呂遺跡 へ。

遠足などで来た記憶が。50数年ぶりの訪問です。

 

復元住居たちだお出迎え

 

手前が北

バスで来ると、図の一番下に着きます。

バス停に近い側に復元住居が多く、中央の土呂博物館より南には水田ばかり。

 

弥生時代にタイムスリップ

 

復元住居

周囲が空堀のようにくぼんでいることに注目。

 

この時代の住居は一般的に竪穴式住居と呼ばれ、地面に縦に浅い穴を掘るもの。

 

でも登呂遺跡は少々異なり、厳密には竪穴状平地建物。まず土を盛って周囲よりも高くして、その中央に縦に穴を掘っている。ここの土地は湿地なのでいきなり縦に穴を掘ると水が湧いてくる。このためまず最初に土を盛るのです。

 

入口が開いていれば自由に出入り可能

 

窪みは 囲炉裏の跡

 

茅葺きの屋根は定期的にふき替えているそうです。

 

 

別の住居へ。

 

囲炉裏には木で組んだ土器を乗せる五徳のような枠が。

 

この屋根は、あれ、硬いぞ。

茅葺きのように見えるが、実は石(セメント?)で できていました。

後でスタッフに聞いてみたら、この住居だけは火を使って調理の実演を行うことがあるそうです。

火を使うので、燃えないように石造りだそうで。

 

住居を復元していない跡地もあります。

 

住居の間には 水はけのための溝も。

 

高床倉庫(高床式倉庫)

 

高床倉庫の柱には・・・

小学校で習ったなぁ。

ねずみ返しです。

 

四角い空堀と曲輪、ではなく、ここも倉庫があった跡なのでしょうか。

 

大きな建物も。

 

祭殿です。

 

 

 

水田の周囲には水路

 

水田では稲刈りが始まっていました。

子供たちが弥生時代の方法で田植え、稲刈り、米炊きなどの体験を行うイベントもあるらしい。

 

水路のそばにいたアメリカザリガニ(通称:まっかちん)

近づくとハサミを広げて威嚇してきた。目がいいんですね。

久々に挟まれてみようかと思ったが・・・ 止めておきました。

 

登呂博物館  2階以上は有料

こんな立派な博物館は記憶に無いと思ったら、2010年に古い博物館を引き継いでオープンしたものでした。

 

 

登呂遺跡は発見されて80周年

 

出土した土器の展示

 

当時の暮らし

 

矢板:田んぼや水路の縁が崩れないよう固定するもの

田下駄:田んぼで足が埋まらないためのもの

鍬と鋤:ご存知 農耕器具

 

屋上から北方向の復元住居たちを。

田んぼアートで「80周年」などと描かれています。

 

 

北東方向には富士山

 

クレーンの根元に見えている星印はプラモデルで有名なタミヤ本社と、タミヤスペクトラムホール(見学可能)

 

博物館の北西側には旧復元住居があります。

現在の復元住居とは屋根の構造が異なり、円錐形の屋根の上に、もう1つ三角屋根を乗せたような形状。

 

現在の復元住居。円錐形の屋根と上の三角屋根が一体化している。

 

さて、弥生時代から現代に戻りますか。。。