2021年12月28日、辻堂駅へ。
江ノ電バス、ではなく、辻堂駅北口から神奈中バスに乗車。
小糸バス停で下車し、住宅地を東へ行くと、小山が見えてきました。
大庭城(おおばじょう)です。
大庭城の遠景
城がある山の西側には小糸川。 鴨が泳いています。
山の東側にある引地川と共に、堀の役割を果たしていました。
山の南端の近くに、舟地蔵があります。
扇谷上杉氏が居城する大庭城は沼地に囲まれていた。
戦国時代初期、北条早雲の軍が大庭城を攻め落とす際、この地に住むボタ餅売りの老婆に沼地の水の抜き方を教えてもらう。水の抜き方を北条軍が知ったことを上杉方に悟られないように、老婆を殺害。
この老婆を供養するために地蔵が建てられた。
と、この解説パネルや各種サイトにも書かれている。
しか~し、
あるサイトには「当時はボタ餅を売る文化は無かった。よって老婆の話は後世に作られた話であろう。」となっている。どうやら作り話というのが正しそうです。
舟地蔵から見た城山。 平山城ですね。
写真中央あたりが城への南の入口。
城の全景。
下の紫色のポケストップが舟地蔵。
南入口
城址公園MAP
城の地形図。 右の①が主郭。
車線部分は空堀。結構見どころがありそう。
南入口から上り始めると、最初は階段状。
すぐになだらかになる。ここは空堀(横堀)の跡です。
主郭と、その南側の郭を囲む空堀です。
①の主郭の手前まで来ると、右側には、
主郭と、その南側の郭とを隔てる空堀が。
①の主郭(曲輪)に出ました。
大庭城址の石碑があります。 でも、何と書いてるのかわからん。
主郭の北西部分には、建物の柱の跡が石柱で示されています。
建物2棟分かな。
①の主郭と、②の郭の間にある空堀。これは西側の堀。
東側の空堀。
②の郭
②の郭の東部分は花の広場。
春はいろいろな花が咲くらしい。
②の郭の北東部には土塁があります。
その土塁の裏側には空堀。 この先で左に折れ曲がっているのが特徴的。
大庭城址の解説パネルがあった。
ここは平安時代に大庭景親の拠点だった場所。
室町時代に扇谷上杉定正の家臣だった太田道灌により本格的に築城。
戦国時代初期に、後北条氏の北条早雲の軍により攻め落とされ、北条氏(後北条氏)の拠点となった。
ただ北条氏のメインの城は玉縄城(鎌倉市)や小田原城であり、この大庭城は合戦の際などの臨時拠点だったらしい。
このため、小田原城、小机城、鉢形城などと比べ、空堀や土塁の規模が小ぶりなのでしょう。
③の郭に入ると、石碑がありました。
③の郭の東端には足型モニュメントがあります。
1990年、藤沢市制50周年を記念して造られたもの。
足型の近くには、城址公園の東入口。
東入口の近くには、③の郭と ④の郭を仕切る空堀。
④の郭。 この郭より北側は完全に切り崩され、宅地化されています。
城址公園の北端には古代の集落があったそうです。
古墳、神社やお寺、そして城に改変される土地が多いですね。
平山城あるあるです。
水が入手しやすい、でも水害には遭わない、食料があるなどの点で、古代から人々にとって便利な場所だったのでしょう。
さくらの国 春は人気のスポットなんでしょう。
③の郭の西には滑り台などがあります。
この地点、少しくぼんでいるのは②と③の郭の間にあった空堀の跡。
おそらく遊びやすいようにかなり埋め立てたのでしょう。
空堀の延長上は竪堀になって落ち込んでいます。
中央の高くなった場所は物見櫓かな。 ③の郭の西端にあります。
西端にあるということは、扇谷上杉氏が西から攻めてくる北条氏を見張るためか。
城址公園の北西にある公園への上り道。
空堀の跡であり、虎口でもあったのかな。
下りた場所は大庭城址公園のメイン入口。
城址としての解説は少ないが、安全に整備されており、城入門に良い城址です。
大庭城の攻略に成功。