多摩川スピードウェイ | ルアーマンのブログ

ルアーマンのブログ

飲みと釣りの日々。
自分で釣った魚でやる一杯は最高!

多摩川スピードウェイ へ。

ただの多摩川河川敷じゃないlか!

向こうに見えるのは東急東横線の丸子橋。

 

インディアナポリス スピードウェイみたいな名前だけど、

えっ? 多摩川にカーレースのサーキットが?

多摩川競艇の間違いじゃないの?

 

いやいや、多摩川の川崎側にサーキットがあったのです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E6%91%A9%E5%B7%9D%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4

 

日本初のみならず、アジア初のサーキットです。

 

川崎市の中原区、多摩川に架かる東急東横線 丸子橋鉄橋の上流側。 赤い矢印の場所。

最寄り駅は東横線の新丸子駅。

 

昨年あたりの衛星写真では野球の練習場所が写っています。 上は多摩川。

右半分の部分は、以前は札幌移転前の日本ハムファイターズの練習グラウンドでした。

 

でも戦前の空撮だと、楕円形のオーバルコースが写っています。

前の写真と見比べると、前の写真にも最終コーナー(コースの左下のカーブ)がうっすら確認できます。

 

1936年にオープン。 1938年までは自動車やオートバイのレースが開催されたが、

戦争勃発から戦後は有志による草レースに使われました。

 

戦後の1950年頃の写真。 

草レースが行われていたのでオーバルコースは残っているが、コース内側には畑が作られるなど、サーキットとしては風前の灯火。

このため、1950年代初めに廃止となりました。

 

戦前の公式レースの様子。

舗装はされていないダートコース。 でもグランドスタンドがある。

フォーミュラカーが走っています。

当時の世界のカーレースと同じ車が走っていたんですね。

 

 

戦前、HONDAの創始者、故 本田宗一郎氏も出場していました。

これは本田氏がクラッシュしたシーン。

 

投げ出されて宙を舞う本田氏。 バンザイしている訳ではありません、

骨折や視力低下などの重傷を負ったそうです。

 

その後、本田技研を創業し、F1でホンダエンジン搭載マシンでネルソン・ピケ、アラン・プロスト、アイルトン・セナのチャンピオンを排出した本田氏。 重傷から生還してくれてよかった。

 

そして今は丸子橋第3広場 と呼ばれているらしい。

 

東急東横線の上流側。

日本ハムの練習場跡も無いどころか、現在は工事中。

 

川崎側の堤防には階段状の物体。

多摩川スピードウェイのグランドスタンド跡地です。

写真中央のやや右、座り込んでいる人のすぐ手前の地面に白い部分が。

 

多摩川スピードウェイ 80周年を記念したパネルが埋め込まれているのです。

 

サーキットがあった部分の多くが改修工事中。

2019年の台風19号で大ダメージを受けたので、整地などを行っているんだ。

 

工事を行っていない部分は少年たちのサッカー練習場所。

 

ここがグランドスタンドの一番端。(上流に近い部分)

正面がオーバルコースの最終コーナー。

空撮や衛星写真と違い、低い目線からではコース跡はわかりませんね。

改修工事でコース跡は完全に無くなってしまうんでしょう。仕方ない。

 

ここが最終コーナーなんだろうな。

 

戦前、ここで多くの観衆がレースに酔いしれていたんですね。

 

兵どもが夢の跡?

いやいや、これをきっかけに日本のモータースポーツが発展したのです。