多摩川スピードウェイ へ。
ただの多摩川河川敷じゃないlか!
向こうに見えるのは東急東横線の丸子橋。
インディアナポリス スピードウェイみたいな名前だけど、
えっ? 多摩川にカーレースのサーキットが?
多摩川競艇の間違いじゃないの?
いやいや、多摩川の川崎側にサーキットがあったのです。
日本初のみならず、アジア初のサーキットです。
川崎市の中原区、多摩川に架かる東急東横線 丸子橋鉄橋の上流側。 赤い矢印の場所。
最寄り駅は東横線の新丸子駅。
昨年あたりの衛星写真では野球の練習場所が写っています。 上は多摩川。
右半分の部分は、以前は札幌移転前の日本ハムファイターズの練習グラウンドでした。
でも戦前の空撮だと、楕円形のオーバルコースが写っています。
前の写真と見比べると、前の写真にも最終コーナー(コースの左下のカーブ)がうっすら確認できます。
1936年にオープン。 1938年までは自動車やオートバイのレースが開催されたが、
戦争勃発から戦後は有志による草レースに使われました。
戦後の1950年頃の写真。
草レースが行われていたのでオーバルコースは残っているが、コース内側には畑が作られるなど、サーキットとしては風前の灯火。
このため、1950年代初めに廃止となりました。
戦前の公式レースの様子。
舗装はされていないダートコース。 でもグランドスタンドがある。
フォーミュラカーが走っています。
当時の世界のカーレースと同じ車が走っていたんですね。
戦前、HONDAの創始者、故 本田宗一郎氏も出場していました。
これは本田氏がクラッシュしたシーン。
投げ出されて宙を舞う本田氏。 バンザイしている訳ではありません、
骨折や視力低下などの重傷を負ったそうです。
その後、本田技研を創業し、F1でホンダエンジン搭載マシンでネルソン・ピケ、アラン・プロスト、アイルトン・セナのチャンピオンを排出した本田氏。 重傷から生還してくれてよかった。
そして今は丸子橋第3広場 と呼ばれているらしい。
東急東横線の上流側。
日本ハムの練習場跡も無いどころか、現在は工事中。
川崎側の堤防には階段状の物体。
多摩川スピードウェイのグランドスタンド跡地です。
写真中央のやや右、座り込んでいる人のすぐ手前の地面に白い部分が。
多摩川スピードウェイ 80周年を記念したパネルが埋め込まれているのです。
サーキットがあった部分の多くが改修工事中。
2019年の台風19号で大ダメージを受けたので、整地などを行っているんだ。
工事を行っていない部分は少年たちのサッカー練習場所。
ここがグランドスタンドの一番端。(上流に近い部分)
正面がオーバルコースの最終コーナー。
空撮や衛星写真と違い、低い目線からではコース跡はわかりませんね。
改修工事でコース跡は完全に無くなってしまうんでしょう。仕方ない。
ここが最終コーナーなんだろうな。
戦前、ここで多くの観衆がレースに酔いしれていたんですね。
兵どもが夢の跡?
いやいや、これをきっかけに日本のモータースポーツが発展したのです。