ふ
12月23日、羽田空港を出発。

広島空港へ着。
2泊3日の広島旅。
旅行会社のツアーだが、コース内容は行き帰りの航空券とホテル宿泊+朝2食のみ。
広島空港からホテルまでの移動のみならず、3日間すべて自由行動。
羽田空港で航空券を受け取ったらそこで解散。
実質的には「3日間の一人旅」です。
2日目にオプションで安芸の宮島ツアーの案内があるが、自分は不参加。

山の中の高速を移動して、

エアポートリムジンで中筋バスターミナルで途中下車。

中筋駅からアストラムライン(ゆりかもめ みたいな鉄道)で不動院前駅で下車。

駅のすぐ東側にある 安国寺不動院 へ。
http://www.megaegg.ne.jp/~fudouin/

楼門

楼門はポケストップになっている。
国宝・・と書かれていのは誤り。この楼門は国宝ではなく重要文化財です。



横から

境内には国宝の金堂があります。
でもこの日の目的地は図の左上に並んだお墓。

金堂(国宝)
原爆で屋根の一部が吹き飛んだが、何とか持ちこたえた被爆建物です。



鐘楼堂(重要文化財)

不動堂 本堂ですね。
常に参拝者がおりました。

金堂の左へ回り込み、

石段を上がります。

現代のお墓とは別に、古いお墓が並ぶ。

ありました。 安国寺恵瓊の墓。

安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)は戦国時代の僧侶。
元は安芸武田氏の子孫だったが、幼少期に一族が毛利元就に滅ぼされる。
安国寺恵瓊は子供の時から身を守るためにこの安国寺不動院へ預けられ僧の道へ。
そのため一般には安国寺恵瓊と呼ばれる。
僧侶時代の師匠が毛利氏と親交があり、安国寺恵瓊も仇であったはずの毛利氏に仕えることになる。
単なる僧ではなく、外交、軍師としても活躍し、国や配下の武士を持つ大名にもなった。

外交僧としては、備中高松城の戦いで毛利方代表として豊臣秀吉と交渉をまとめたことで有名。

豊臣方と交渉する安国寺恵瓊(上)
関ヶ原の戦いでは石田三成の西軍についてしまったが、西軍だった毛利輝元、吉川広家、小早川秀秋ら毛利家がそろって東軍に味方し、西軍敗北。
安国寺恵瓊は捕えられて石田三成らと共に処刑されました。


安国寺恵瓊の右にあるのは、

豊臣秀吉の遺髪塔

安国寺恵瓊の墓より大きいですね。

福島正則の墓もあります。
1600年の関ヶ原の戦いで東軍だった福島正則は安芸広島へ移って西軍大将だった毛利輝元の代わりに広島城へ入り、城を大改修。その後1619年まで広島城主でした。
ちなみに福島正則の墓は臨終の地であった長野県高井村にもあります。

安芸武田氏の墓も。
広島城ができる前までは、安芸の中心は安芸武田氏が広島城の北にある銀山城(かなやまじょう)を拠点として治めていました。

墓地から見た金堂と楼門。
この日から3日間、毛利氏に関わりのある地を巡ります。