子供のころの中国と言うと「キョンシー」「中国4000年の歴史」というキーワードが出てくる。どちらかというと、それほど悪い感情は持っていなかったのではないかと思う。しかし、自分が大人になっていくにつれて中国に関する様々な報道を目にするにつけ、何を考えているか分からない国というイメージが出てきて、そして国家間としてもそれほど良い関係ではないように見えてくる。
そうはいっても、この国と今後付き合わなくてもよいということは絶対にありえなく、経済的な面では必要不可欠な存在であると言える。
今は、実際に中国(人)と接するという機会は無いものの、いつかは中国と接することが避けられないであろう状況において、単に嫌いだからとか、そういう理由でさけることは決して得策ではないと考える。そのため、私は今回本書を読了することとした。
私が、中国という国について、一面的な見方だけではない知識を得るための3つのポイントについて知るために本書を読了した。
1つ目は、「共産党員でなければ「話語権」はないのか?」というものだ。
とにかく自分のことばかり話す、これが中国人のイメージだ。人の話はお構いなく、とにかく自分が言いたいことをまくしたてる、そんなイメージしかもっていなかった。
しかし、それが職場では少し違うという。職場などでは、上司等に対してその部下が単独で何かを主張するということは少なく、もしも何か意見などがあるときには、あらかじめ裏で部下は集団となりまとまった上で、上司に意見するということが多いという。一人で上司に楯ついたとしても、それは認められないばかりではなく、後でひどいしっぺ返しを食らうことが当たり前だという。
これは意外であった。中国人と言うと誰が相手でもいつでもどこでもお構いなしに好き勝手にモノを言い、その場をかき回すというイメージしかなかったが、これは想いもよらないものであった。
2つ目は、「政治批判は中国人の特権?」というものだ。
中国には言論の自由がない、これもよく言われるものだ。一時、グーグルが中国からそれを理由に撤退を考えていたというが、インターネットですら監視されているというのが中国の印象であった。
筆者は、中国には言論の自由は全くないわけではなく、次の範囲において認められているものだとする。それは、「体制や政権を批判しないレベルで大衆に保障された発言の自由~」としている。つまり、あくまで言論の自由とは為政者が逐次チェックをしており、自身を揺るがすようなものについては、それを脅かすものとして認めないというものである。
3つ目は、「プロパガンダの限界」というものだ。
中国政府が発表する映像等を見ることがあるが、正直それは何か無理に何かを押し込めようとしており、違和感を感じることが多い。これについては確かにプロパガンダと分かり切っているので、「そういうもの」とみておけば特に腹も立たないし、かえっておかしさも感じる。
それについて、近年中国は世界的に注目を集める国家であり、それが世界的に多くの注目を集めることで、対内向きと対外向きとでそのバランスに苦慮するようになってきたと言われている。
本書では尖閣諸島沖での中国漁船衝突を紹介し、国内の反発を抑えるために強気の発表をしたものの、国際社会からはそれに対する非難が起こる、というジレンマに陥っていると紹介し、政府自身のパフォーマンスには少しずつ限界が近付いているとしている。
中国も少しずつ変わってきている。それを感じたのは、本書を読み終えた後に列車の脱線事故だった。本書の考え方?、今までの中国であれば、こういうものはさっさと何事もなかったかのように処理しようとしたが、この後は遺族等の激しい抗議、インターネット上での書き込み等により、政府は全てを闇に葬り去ろうとした当初の方針を覆えざるをえなくなった。今までであれば関係者を力で黙らせようとしていたであろうが、もはやそれが通用しないところまで来ているのではないかということを感じた事件であった。
今後いきなり民主化するとは到底思えないが、少なくとも今のような状況は継続することは不可能であると思う。そして、今よりはもう少し分かりやすい、透明な国家に近づくのではないだろうかと感じている。そうした時のために少しずつ、そんな国家に住む人たちのメンタリティーを知るという意味においても本書を読むことは決して損にはならないであろう。
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