竹中平蔵、この人ほど評価が分かれる人はいないような気がする。まぁ、圧倒的に否定的意見が多い気がするが・・・。私は、直近の書評でも書いたように経済についてはほとんど知識が無い。ミクロ経済学の基礎がぎりぎりついていけるかも?というレベル。だから、この人の政策の是非についてはあえて言及しない。

ただ、一大臣として日本の経済政策のかじ取りを行ったという事実はあるわけであり、そのような人間がこれまで、そしてこれからどのように学んでいるのかに興味があり手に取った。

そこで私は、私が勉強をしていく上で大切にする7つのポイントを探すために本書を読了した。

まず、一つ目は、成績表とは関係ない頭の良さがある、というものだ。多くの人が「自分は頭が悪い/良い」というのはあくまで学校での教育における「記憶勉強」のみから見た一視点にすぎないとし、「仕事勉強」「人生勉強」等のほかの視点から見た勉強は数多くあり、そちらで花開く人もいるのだから、たかが学校の勉強の良し悪しで自分の才能を決めつけるなと説く。

二つ目は、勉強したいことが見つかれば成功したも同然、というものだ。勉強といっても今自分には何が必要なのか、何が学びたいかを明確に把握している人は少なく、まずは自分が「何を学びたいのか」をはっきりするよう説く。そして、様々な視点の勉強を行き来しながら人間としての総合力を高めていくべきと説く。

三つ目は、書いて打って捨てる、というものだ。財務省官僚のメモスキルの高さを紹介し、自分も常に何か書けるものを持ち歩き、気になることがあればそれを全てメモしていると紹介する。そして紙に書いたものは一日の終わりにワード等で打ち込みをし、メモは捨てるという方法を実践しているという。

四つ目は、仕事の内容によって「朝型」と「夜型」を使い分ける、というものだ。これはあくまで竹中氏個人の感覚によるものだが、原稿や論文執筆のように、一つのことをじっくりとクリエイトする作業は夜に向くものとし、細々とした作業は朝に行うのが向いている、と紹介している。

この点については、確かに自分も納得した。よくモノの本には午前中こそがすべてだ!という記述があるが、私の場合、午前中は完全に頭が目覚めていないことが多く、どうも深く思考する作業ができないことが多い。この点については今後は竹中式を採用して、やっていこうかと感じた。

五つ目は、本も資料もどんどん捨てる、というものだ。竹中氏はここでは簡潔に「とっておき以外の本は捨てる」としている。

六つ目は、パラフレーズで立体的に物事を記憶する、というものだ。これは以下のように紹介されている。

「AからBができた」という文章を、「Bになる前はAだった」と主語と述語を入れ替えること、と説く。

これを具体的にやってみると、次のようになる(合ってるかな?)。

「関ヶ原の合戦では、徳川家康が勝った」→「徳川家康が勝ったのは、関ヶ原の合戦だった」

これは、初めて知ったが意外と使い勝手がよさそうなので、今後使ってみることとする。

七つ目は、先々の損得など分からない、というものだ。

先のことなど誰にもわからないのだから、「今自分が興味のある仕事を選びなさい」というものだ。

小泉政権下では大臣として、とにかく批判され続けた。格差社会を作った、インチキ経済学者等・・・、ほとんど評価される声は聞いたことがない。

ただ、冒頭にも書いたがここで竹中氏の政策についてどうこう言うことはしない。そもそもできないが。ただ、本書をまっさらな1冊の本として呼んだ場合、本書は非常にまとまりがあり、実行もしやすいかなりの良書だという印象を受ける。実際に実践しようというヒントも得られたし、記述も平易である。

ぜひ、今後勉強を始めたいという方であれば、仮に竹中平蔵アレルギーがあるにしても、それは抜いて1度読んでみるとよいだろう。

私の場合、本書を通じて少しだけ竹中氏の見方が変わったような気もする。

子供のころ、山一証券の社長が涙を流しながら「社員は悪くありません、私らが悪いんです」と叫んでいたのを覚えている。その辺りから、ドッと景気が悪い、というような雰囲気に日本がなっていたようなことを覚えている。当時はまだ子供だったので「なんかそんな時期があったような・・・」という感じだが。

その後成長し、政治経済などを学んでいくうちにあの頃はかなり危険な時期であったということを知り、率直に驚いた。そして、それがアジア危機という名前であることも。

本書はタイトルにあるように、その世界が変わった年は1997年であるとして、一体その年に何が起こったのかを解説し、経済学者フランク・ナイトの「不確実性」理論を軸に今後の経済の流れを検討している。

本書は良書として紹介され、その経済解説としての完成度も高いようだが、いかんせん私自身の経済学についての知識水準が低いため、その検討内容についてあれこれ批評することは行わない。

そこで今回私は、私が1997年におこった出来事を理解するための5つのポイントを探すために本書を読了した。

1つ目はIMF(国際通貨基金)の存在である。1997年7月にタイで発生した通貨危機に触れ、IMFは「世界の中央銀行」、「最後の貸し手」としても行動を起こすことがなかったとして、当時批判を受けている(そのバックにはアメリカ財務省の思惑が隠れていると著者は指摘している)。また、当時IMFが批判を受ける原因となったものは「設立当初の目的を履き違えた行動」にあるとする。IMFに本来的に課せられた使命は「為替レートや国際収支の調整」でありながら、通貨危機に際しては「構造・制度改革」に踏み込もうとしていたとする。その理由は、タイにおいて通貨危機が発生したのは、経営が不透明な金融機関による不動産投資がきっかけであるとされており、正論ではあるのであろうが、実質的な効果は出せず、その後ほかのアジア各国へと通貨危機が広がっていく失態となったと説く。

2つ目は、1997年に起きた東アジア全体の通貨危機において、日本で発生した危機と、それ以外の国で起こった通貨危機は性格が異なる、というものだ。当時の日本の金融機関の持つ債務は円建てであったため、その気になれば日本の中央銀行、すなわち日銀で金融機関を救済することは可能であったのに対して、東アジアの場合はその債務がドル建てであった点に違いを指摘する。東アジアの場合、債務がドル建てであったため、取り付け騒ぎが発生した場合、各国は「ドル準備金」でしか対応できず、底をついた場合、国外に救済を求めるしかないという事情があった。

3つ目は、ナイトの不確実性というものだ。グリーンスパン前議長が触れられた言葉でもあり、最近の経済論議によく出る言葉として紹介されるとし、その当初の定義が近年(やや恣意的に)変化しつつあることを説明している。最近の定義としてはナイトの不確実性は「リスク回避のための極度に慎重な態度」として紹介されている。そしてそれをもとに金融業界では様々なリスク判定ツールに応用されていると説く。

4つ目は、この危機を窮地から救ったのはアメリカではなかったか、ということだ。

1997年の通貨危機で「ナイトの不確実性」による悲観主義的な空気が生まれかけた。しかし、そこで世界有数の楽観主義国アメリカのもとでの減税策、金融緩和策により世界全体に不況が広まるのは避けられた、とういうものだ。

5つ目は、サブプライムローンが発生した経緯についてだ。

1997年の通貨危機と、サブプライムローンの崩壊による経済危機とでは、その発生に違いがあるとする。1997年当時は、「新興工業国」「IT関連株」というはっきりとした不安要素が存在したが、2007年は「住宅ローン」というそれまでは堅実とみられていた投資が原因だったという点だ。本来であれば安全性の高い「プライムローン」を受けられない人向けに、抜け道を政治が黙認した結果策定された「サブプライムローン」というものがきっかけで今日現在へと続く世界経済の危機につながっている。

本書は、正直に言ってかなり難しい。大学で経済学を学んだ人でないと読み解くことはできないレベルかもしれない。しかし、だからといって経済は知らなくていい、ということにはならない。

現在もなお、経済的には苦しい状況である。そんな中にあっても、自分がどのようなステージ立っているのかを知るためにはやはり少しずつでもいいから学んでいくしかない、と思わせてくれる1冊であった。

情けない話だが、自分の部屋はめちゃくちゃ汚い。汚いといっても食べ物や飲み物が散乱しているというのではなく、とにかく「モノ」が多い。特に本が多い。昨年末の大掃除の時にいらない本をすべてブックオフに持っていったら100冊を超えていて5000円近くになったばかりだ。それ以外にもなぜか自分の部屋には細々としたものがやたらあり、どうするかこれ?と途方に暮れていたころにこの本を手に取った。元々は「断捨離」の本を探していたら本書にたどり着いたわけだが・・。

本書では、「私がすっきりとした環境の中で生きていくための7つのポイント」を探すため本書を読了した。

1つ目は、「ガラクタとは・・・」というものだ。物を捨てるといっても、何を捨てるべきかがわからなければ意味がない。逆に捨ててはいけないものまで間違えて捨てては大変なことになる。そこで、本書ではガラクタを次の4つに分類している。


l あなたが使わないもの、好きでないもの

l 整理されていない乱雑なもの

l 狭いスペースに無理に押し込まれたもの

l 未完成なもの全て

2つ目は、「「いざという時のために」溜めこんだ」というものである。

「いざという時のために」物を溜めこむのは、自分の未来に信頼を置いていない、と断言し、他人のために物を取っておくことについては、まだ出会ったこともない人のために、決して起きないかもしれない状況のために物を保存している、と核心をついている。

3つ目は、「「ガラクタ」を入れる引き出し」というものだ。

ガラクタを整理するといってもガラクタを何が何でも家から排除するのではなく、ある特定の少スペースに一定期間溜めておくことは必要であると説く。

4つ目は、「紙の「ガラクタ」」というものだ。

ここでは、本が紹介されている。もう何年も手にしていない参考書や資料、読まなくなった児童書、結局読み終えなかった小説、共感できない内容の本、過去に大きな影響を受けたが、それらが自分の血肉になったものは捨てるべきとする。

逆に残す本は、目指す将来の自分を象徴するような本、よく使う本、心から好きな本のみを残し、後は処分すべき、と説く。

5つ目は、「ガラクタ審査」というものだ。実際にガラクタとして処分するときに、自分が納得して捨てることができるかどうかをチェックするポイントが紹介されている。


l これを見たり思い出したりしたら、自分は元気になるか?

l 私は心から、これが好きか?

l 本当に、使っている?

6つ目は、「腎臓」というものだ。本書は途中からガラクタ整理から話が離れていくのだが、そこで気になったことがこの点だ。

毎日2リットルの水を飲む。そして、水分を取るコツとしては、食事前は30分前までに、食後は2時間水分は取らないようにするというものだ。

7つ目は、「心の中で会話をしないこと」だ。

自分の思考の95%は、昨日の自分が考えたことと同じであるとし、生産性がないものばかりで、何の役にも立たないとする。そして、瞑想をする場所と時間を作れと推奨している。

本書は、おそらく昨年からのブームの断捨離の先駆けになるものだけあり、内容も充実しており、分かりやすい。確かに、「物があることはいいことだ」という風に思っていたきらいがある自分からすれば正直目からうろこ的な部分も多くあった。まぁ、正直本は捨てられるかどうかはかなり自信がないが・・・。

ただ、1点本書で気になる点は、本書は「風水」をバックボーンに敷いているため、随所にその記述がみられることだ。ただ、ガラクタを捨てる、という点においてはそのことは影響してこないのであまり気にする必要はないのかもしれないが、やや非科学的なことを言っている記述も見られるのでそのあたりは割り引いて読んでいかないといけないことだけは指摘しておくこととする。

ただ、繰り返しにはなるが、本書は物に埋もれてにっちもさっちもいかない人の片づけ熱を呼び覚ますにはうってつけの1冊である。