就職氷河期と言われる時代である。私はいわゆる少し前の超売り手市場の時に企業に入った人間なので、彼らのことをとやかく言う筋合いはないと考えている(それでも50社以上は受けていたのだが)。正直、今の大学生を見ていると他人事とは思えない。たまたま、数年生まれるのが遅いか早いかで、人生の重要な選択肢の門戸の幅が変わるというのは正直納得がいかない。就活のシステムがもはや限界にきているのか、大学の在り方が限界にきているのか、企業の採用の仕組みがもはや限界なのか、ここではそれをいうことはできないが、一つ言えるのは、また、ここ近年の若者が近い将来の「ロスジェネ」世代の候補になりうるということだ。

そして、また仮に職につけたとしても必ずしもそれが幸せになるという保証もない。「ワープア」「ブラック企業」等、働く人の環境もより悪化しているように感じられる。

今回は、これらとは直接の関係はないものの、なにがしかの相関はあるであろう、若者の貧困を特集した本書を読了した、決して他人事ではないという不安もこめて。

私は、現在の若者世代の問題・救済を考える6つのポイントを探すため、本書を読了した。

1つ目は、路上に巣くう貧困ビジネス、というものだ。

生活保護を申請し、受給が決定したとしても、ホームレスの場合アパートへの入居は難しくNPO等が運営する宿泊所に案内されることが多い。しかし、そこで待っているのが、生活保護費を巻き上げるという事実である。近年、この存在は注目され少しずつ取り締まりは始まっているとのことだが、本書で紹介されているケースは行政から紹介されているNPOでもこのようなところがあるということだ。

2つ目は、若者ホームレスと犯罪、というものだ。

あまりの空腹に耐えかねて、あえて犯罪をして捕まる、というケースだ。刑務所であれば少なくとも「食住」は保障される。ならば、仮に自分の経歴に傷がつこうとも生き延びるためには選択肢の一つとなるということだ。

3つ目は、強い抑うつ傾向というものだ。

飯場から逃げ出し、何十キロも歩き行政の窓口にたどり着いたときに「もう締切りました。明日来て下さい」というけんもほろろな対応で、何かが切れ、そのまま救急車で運ばれるまで路上にうずくまっていた事例を紹介し、路上生活者ほど抑うつ傾向の割合が高くなることを紹介する。

4つ目は、助けてと言えない若者たち、というものだ。

自分自身の現状について「自分の責任、自己責任」と言い、社会への不満は口にせず、そのまま一人で溜めこんでしまう、という若者ホームレスが多いということだ。

5つ目は、借金の果てに、というものだ。

若者で路上生活を強いられる中には、元々は正社員であった人も多い。そのようなある種「守られた」地位にいたはずの人が路上生活を強いられるきっかけとしてあげられるのが、パチンコなどをはじめとするギャンブル依存、そしてそれによる借金である。

本書でもパチンコ依存で借金をし、そこから逃げるため全てを捨ててきた、という若者が紹介されている。

6つ目は、生活保護制度、というものだ。

生活保護を申請に行ったとしても、窓口で「若い人は無理」「職が無いと無理」「住居が無いと無理」という嘘をつかれ申請を諦めさせられる事例が多いということだ。

本書は正直、読み進めることがつらかった。これまでホームレスというと、新宿や池袋の地下街で昼間からカップ酒を飲んでいる中高年をイメージしていたが、本書によりそのイメージは大きく変わった。また、その多くがまじめな一面をもっており、これまでのホームレス=怠け者のなれの果て、というものとは大きく違うということも認識できた。

ただ、本書に出てくる若者についてあえて苦言を言えば、やや我慢が足りなかった、ギャンブルに依存した、(くだらない意味での)プライドがある等の落ち度はある。しかし、それが、住むところも食べるところも、果ては生命の保証すらされずに路上生活をしなければならないほどの失点とは到底思えない。

中国に抜かれたとはいえ、以前世界第3位のGDPである国家において、このような人たちが出てきてしまう、というのはやはりどこか社会にひずみがあるのではないかと思わざるを得ない。

これが近年の経済発展、合理化、進歩の副作用として生まれざるを得ないものなのか。それが許容されるのか。こんな若者を生みだすためにこの国の先人たちは戦後がむしゃらに働いてきたのか。

政権交代から約1年、最近は「公務員叩きは止めよ」という論調が出始めたが、所詮これも談合相手の御用聞きメディアからの発信にすぎない。まだまだ、腐った公務員、行政は存在し、これらの問題に目を向けないようにしている。

金儲けだけを追求してきた企業、そしてそれに合わせた日本人。

行政の腐敗、家族の崩壊、経済の発展、これらが相まって彼らのような弱者を生んだのではないだろうか。

経済、経済といわれるが、本当に経済発展すればみんなが幸せになれるのか、彼らは救われるのか?多少生活水準を全体として落としたほうが実は幸せになれるのではないか?そんな風に色々な思いが駆け巡った1冊である。

正直、私にはまだ、これらの答えは出ていない。

時折、自分の感情をうまく伝えられないことがある。そういう時はどうしていいか分からず、ただただ困ってしまう。

どうすればうまく自分の気持ちを伝えられるのだろう、どうすれば自分の真意が伝わるのだろうと、悩んでいる。多少、というかかなり自分はドライなところがあるのでそれが関係しているのかもしれないが。

そんな風にもやもやとしている中で、本書を手に取った。

私が、周りの人とうまくコミュニケーションをとっていくための5つのポイントを探すため本書を読了した。

1つ目は、「イヤ」と伝えたほうが仲良くなれる、という点だ。

「イヤだ」というマイナスの感情を伝えることは相手のことを傷つけてしまうのではないかと考えることを挙げ、人間はプラスの感情もマイナスの感情も両方持ち合わせているのだからそれを正直に伝えることこそがその人とより深くなるためのコツだと説く。

2つ目は、「一番伝えたい気持ちをしっかりつかむ」という点だ。

時には、いくつかの思いがいくつも頭をよぎり、何を言っていいか分からなくなることもあるかもしれない、しかし、そんな時こそ頭に浮かんだ言葉をあれもこれもと伝えるのではなく、「できる限り一番伝えたい気持ちをしっかりとつかみそれを正確に伝えるようにする」ことがまずは大切だと説く。

3つ目は、心を開いて自分から話しかけてみよう、という点だ。

それにはまずは自分をオープンにすることこそが大事だとする。「自分をオープンにしてバカにされたりすることが不安だ」という疑問には、バカにされる可能性は認めつつも「でも仮にその人にばかにされたといってもそれで自分のすべての評価が決まるわけではない」とし、まずは自分の気持ちを伝えることこそが大切だと説く。

4つ目は、「ノー」と言ったら、嫌われる?、という点だ。

ノー、ということが相手を傷つけることにならないか考えてしまう人について、それは「考えすぎ」と説く。ノー、ということで相手が傷つくか否かは、相手の受け取り方であり、自分が責任を持つことではない、と説く。逆に、自分の気持ちを押し殺してまで相手に同調することは、自分の気持ちが分からなくなることにつながると指摘する。

5つ目は、違いを恐れずに気持ちを伝えあおう、という点だ。

ここでは「アサーティブ」という言葉を使い、「アサーティブな人は、自分の気持ちを伝えたときに、賛成されることも、反対されることも、半分半分の確率であると分かっている」とし、たとえ意見が反対であっても、相手の気持ちをくみ、そして自分の気持ちを明確に伝えることで相手とより深く分かりあおうと説く。

本書を通じて、今までの自分は他人に対してノー、を言うことができていなかったということに気がつくことができた。そのため、どうしても自分の気持ちを殺して相手に同調して結局一人でイライラいてしまうことが多かった。

相手に自分の提案を否定されることは少し不安になる、しかし、それは人格否定ではなくあくまで意見それ自体の否定であり自分自身とは何らの関係がないということを肝に銘じていきたいと感じた。

自分はかなりの完璧主義だった(今もそうかも?)。少しでも妥協することが嫌いで、とことんまで自分を追い詰めないと気が済まないところがあった。そんな性格も色々あり、少しずつ脱完璧主義的になりつつあるが、やはり時折完璧主義の一面が私の表面に顔を出してくる。

「どうにかならんかなぁ」と思っていた矢先、本書がたまたま目についた。著者は「適当」「いいかげん」の代名詞?で評される高田純次氏だ。彼の経歴・功績?についてはとやかくここでは説明しない(必要に応じてネットをたたけばいくらでも出てくる)。とにかく、適当なことばかり言う。「キミ、クレオパトラに似てるね。まぁ、クレオパトラにあったことはないけど」等、本当にいい加減に適当に話す。しかし、それでいて嫌味でない。テレビ番組の最中に居眠りしたり・・・、それでもどこか憎めない?そんな彼のアイデンティティはどのように育まれたのか、どうすれば少しでもあの領域に達することができるのかを真剣に学びたいということで本書を手にした。

私は、日々の生活をもっと適当に生きていくための5つのポイントを探すために本書を読了した。

1つ目は、力の抜き方、という点だ。

著者は、自分が適度に手を抜けるようになったのは、「俺は挫折、挫折出来ちゃったから」と高校、大学の不合格を挙げて説明している。そしてそれ以降「期待しすぎない」というようになったという。

私見だが、最近はどこでも「やればできる!」的な論調が多く、みんながいい意味でも悪い意味でも自分の可能性を過大に評価しすぎている、させようとしているきらいがあるように感じる。そんな風にここで偉そうに言っている自分もその論調に乗せられた口で、それで少し疲れてしまったのだが・・・。それとは、真っ向から対立するように「期待しすぎない」という、一歩引いた目で自分を見られるということは大切なことではないだろうか。

2つ目は、「会社においてはみな他人。おごってくれる人だけがいい人」という点だ。

説明が遅れたが、本書は高田純次氏が書いたものではなく、医師である和田秀樹氏との共著に近いものであり、この発言については、高田氏が以前に発言したものを和田氏が医師の視点で解説するというくだりで出てくるものである。

「あの人は怖そうだけど、実は優しいんだよ」とかいう発言を耳にすることがあるがそんなのほんとの所は誰にもわかりゃしない、ということであると説く。そんなことを耳にして相手の本当の顔を見抜こうとして苦労するのではなく、その人の実際の行動でその人が自分にとっていい人か悪い人かを判断したほうが楽だよ、としている。

3つ目は、「人生はバランスだね」つまり最終的にはプラスマイナスゼロになるってこと。ホントうまくできてる。だって悩みは次の希望へのステップなんだから。という点だ。

これはネガティブ思考のクセの人には目からうろこ的な発想と思えるが、「悪いことがあった後は、いいことが起きる」と考えられる人は物事を必要以上にくよくよ考えないで済む、というものだ。なかなか難しいかもしれないが、「人生はプラスマイナスゼロ」と考えられれば、今より少しだけ楽に生きられるのではないだろうか。

4つ目は、俺は面白い1週間を過ごしてないんだ。毎日生きていくのがやっとなんだ、というものだ。

お金を持っていようが、有名だろうが、実はそれが当たり前になると幸せに感じられなくなる、周りがどんなに楽しそう、幸せそうに見えても当の本人は楽しくない、ということが多いのだ、と説く。最近の若い人たちは仕事に生きがいを探す、ということがいわば常識になり、夢を追いかけフリーターやニート等を続ける人がいるが、そもそも仕事とは面白いという幻想を抱くことをやめる必要があると説く。そうすることにより、過度になりすぎず楽に生きていけると説く。

5つ目は、俺、実を言うと他の人のことはまったく興味がないんだ、というものだ。結局他人の目線が気になるというのも突き詰めて考えれば他人の目から見た「自分」がどう目に映るかということであり、本当に他人のことを気にしているということはない、と説く。

要は「人は思ったほど他人のことを気にしていない」ということだと説く。

厳しい時代になり、どうしても人間関係、自分自身のことで悩み苦しみ、中には心を痛めてしまう人もいるだろう。しかし、そんなにピリピリして生きてても仕方がない、もっと適当に生きていこうと考えることのきっかけに本書はなるのではないだろうか。私もここにあることを全て自分のものにしたとはとても言えないが、少しずつ意識して実践し、「ま、いっか」と思えるようになってきた。

少し、完璧に生きてきて疲れかけている人にはぜひとも読んでほしい1冊である。