公安、名前は良く知っているが具体的には何をしているかよく分からない、という人も多いだろう。自分もその一人だ。表舞台には出てこないけれど裏で暗躍する組織、という感じで。
だんだんと社会全体がキナ臭くなってきたところからも、公安のような組織に対する意識も高まってきたのではないだろうか。
しかし、公安のことを調べようと思ってもなかなかその情報にはたどり着けない。そんなときに実際に公安とぶつかりつつ生きてきた、鈴木氏の本書に出会った。
そこで私は、私が仮に公安からマークされているのでは?と思った時にでも必要以上にビビらないで済むための7つのポイントを探すため本書を読了した。
1つ目は、「容疑をでっちあげる」というものだ。ここでは著者が捜索令状を見ているときに公安に無理に令状を戻されるときに、たまたま令状が破れてしまったことを「公文書毀棄」として、そのまま23日間も拘留されたというものを紹介している。これは、別件逮捕も不当逮捕もいいところだ。つまり公安は「こいつがクサい」と思ったらどんな手を使ってでも、その人間を囲い込もうとする集団なのだということだ。
2つ目は、「国家公安委員会のシステム」というものだ。本書を読むまでは、公安とは政府直結の機関でそこから公安の兵隊が選定されているのかと考えていたが、実際には「国家公安委員会」と「都道府県公安委員会」という組織に分けられているということを知った。当然、書面上は国家公安委員会が公安という組織の中では最高権力なのだろうが、それが都道府県公安委員会を飛び越えて、実際の公安の動きにまで口を出すとは考えにくい。
3つ目は、「右翼と公安の関係」というものだ。右翼と言えば休日に繁華街に繰り出し、軍歌等を流し、威勢のいいことをいう集団だが、それと公安は非常に蜜月関係を築いているということだ。本書では右翼団体を作った際の手続きの指導等や、機関誌をまとめて購入したりまでしてくれるというから驚きだ。しかし、もっとも驚きなのは一度このような形であれ公安にマークされた場合は、たとえ右翼団体を抜けて一般市民に戻ったとしても、ずっと公安にはマークされ続けるということだ。いったいなぜ、一度堅気の世界に戻ったというのに、いつまでも追い続けねばならないのだろうか。
4つ目は、「潜在右翼の出現」というものだ。これは直前の堅気に戻った右翼対策というものの理由になるのかもしれないが、最近は今までの右翼は異なる新しい右翼、「潜在右翼」が現れてきているということだ。名前を名乗らず、事件後は逃げるというこれまでの右翼とは異なる存在が問題になっていることだ。これまでの右翼であれば、何か起きても潔く捕まえることができており、苦労はなかったが、このような右翼対策には手を打てていないということを、公安内部でも気にかけている。
5つ目は、「曖昧な潜在右翼の基準」というものだ。ここでは、普段の何気ない行動をもとにその人間が「潜在右翼」認定されてしまったことを紹介している。しかも、一度潜在右翼認定されてしまったら死ぬまで、それからは離れることができない、というものだ。ここで、著者が問題にしているのは、単にその関連の行動や発言があったとしても、それをどのように認定するかの基準があいまいなため、その個々人の恣意的な裁量にゆだねられているということだ。
以下私見だが、ここはたしかにそう感じる。犯罪であれば実際に逮捕された後にでもいくらでもその正当性を争う場面はできるが、これではおそれありと一度見なされれば、いつまでも公安の呪縛から逃れられない、という恐ろしさがあるように感じる。
6つ目は、「共産党vs公安」というものだ。著者は現在の公安のターゲットは共産党だと説く。公安はその半分を共産党対策に向けていることを挙げ、なぜ主要政党の一つとして認識されている、合法的な政党に対して公安は力を注ぐのか、その点を指摘している。
7つ目は、「持ちつ持たれつの関係」というものだ。ここでは、現在の革マル派(まだこんな存在がいたことに驚きを隠せないが)のトップはいつまでも捕まえずに、すでに引退?をしているような著者等を拘束したりすることのおかしさを説く。著者はこうも説明する。公安の存在目的とはつまり、「過激派を監視し、何かあったら逮捕する。そして、公共の安全を守る」ということだ。しかし、これで過激派をせん滅させてしまったら自分たちの存在意義が失われてしまう。だからこそ、せん滅させない程度にある程度は自由に泳がせ、自分たちがいつまでも残っていられるように、追いかけっこをしているという。
本書は、反公安派の著者によるものであり、多少内容には盛られたものもあるのだろうが、公安には不気味さが残る。いったいいつ、どこで、何をきっかけに公安にマークされるのかもわからないのであれば、どのように対応をしてよいかも分からない。
本当にこのような存在が今でも必要なのかどうかは正直分からないが、仮に必要であったとしても、私たちの生活のどこに入り込むか分からない公安という存在に対して私たちは注意していなければならない。そうでないと監視社会を生み出してしまうだろう。