マインドマップは一時期かなり使用していた。しかし、ある時期から止めてしまっていた。別に効果がないとは思わない。単にマインドマップはA3用紙などが必要になるため、準備が面倒で止めてしまった。そして、資格試験の勉強もやめてしまった。最後に受けた資格試験は簿記だった。とにかくこれも大変だった。簿記の場合、実際に書かないと分からないのでどうしても机で勉強しなければならないため、早起きしたり睡眠時間を削ったりしていたが、それが良くなかった。ちょっと体が限界に達してしまい挫折した。

 今は、資格試験とかには正直全く目を向けていない(資格を取れば直ちに安泰というものではないことが分かってきた、というのもあるが)が、またいつか必要に迫られたときにスムーズにその勉強に入れるようにする準備だけは整えておきたいと思い、本書を読了した。

 私は、「私が資格試験の勉強をするときにマインドマップを使って学ぶため」の7つのポイントを探すため、本書を読了した。

 1つ目は、「合格の先にある、さらに大きな目標も考えてみよう」というものだ。試験に合格したいということは、そこに何かしらの願望が隠されている。しかし、それだけでは長い期間はもたない。つまり、その先には何かもっと大きなその人なりの思いが隠されているはず、そしてそれを見つけることこそがその人の人生にとっても大切なことであると説明する。

 2つ目は、「デシラ」というものだ。デシラ、と聞いて何を言っているかよく分からないと反応する人は多いだろう。それもそのはずで、これは著者の造語であるから。これは、試験に合格するためにどこを勉強することが大切かということを説明するときに出てきており、本書ではマトリクス図で説明されている。試験は、大きく分けて4つの分類がなされるとしており、それらは、

1:試験によく出題されるが、自分は知らないもの

2:試験によく出題され、自分は知っているもの

3:試験にあまり出題されず、自分は知らないもの

4:試験にあまり出題されず、自分は知っているもの

の4つに分けられるが、試験に合格するためには、「1→2→3→4」の順番で問題を解かなければならないとし、無駄なものに力を注ぎすぎないよう注意すべきであるとしている。

 3つ目は、「理解力をつける勉強法」というものだ。ここでは、具体的にどのように物事を理解していくかということを説明している。人が何かを理解するときには大きく分けて3つの段階があるとされ、「知る→なじむ→分かる」という段階を踏むとされている。

 4つ目は、「分かるための勉強法」というものだ。ここでは具体的にどのような勉強をすることが必要かということについて紹介しているが、具体的に過去問説く際のポイントとして、「肢式問題の場合は、選択肢全てに対して回答が出せることが正解の目安になる」ということを忘れてはならない、ということだ。

5つ目は、「教えることこそ最大の学び―ティーチング勉強法―」というものだ。勉強というとどうしても頭に叩き込むということに意識が向いてしまいがちだが、それを他人に教えることこそが一番の近道になると説明する。そこでは、主に次の方法があるとしており、「その制度や目的を一言で説明する」「具体的な事例で説明する」「法律や判例などの根拠を説明する」「過去の試験では、どのような問題が出題されているか説明する」と紹介されている。

6つ目は、「理解度のモノサシは他人に説明できるかどうか」ということだ。これも、5つ目のものと被るが、やはりある知識についてそれを自分が本当に理解しているかどうかということについては、他人にそれを説明ができるかどうかということが目安になるという。仮にそれが伝えられなかった、または相手が理解できなければそれは自分が理解していないということであり、その部分については要復習ということになる。

7つ目は、「脳はイメージと現実の区別をしない」というものだ。これはイメージトレーニングに連なるところだが、要は頭に明確なイメージを持つことこそが大切だ、とする。

 本書は、タイトルにマインドマップとあるため、それに終始した内容かと思われるが、資格試験の合格のための勉強法が丁寧に説明されている。そのため、本書はマインドマップというよりは資格試験合格法に重点が置かれている内容だともいえる。しかし、そのように見たとしても、本書での勉強法は安易な根性論や、やや怪しげな○脳~、等には触れておらず、非常に科学的なかつ論理的な内容となっており、これから何か資格試験を目指そうという人は読んでおいて損のない内容であると思われる。

 仕事中にイライラする理由を考えてみた。愚痴や不満はいくらでも出てくるが、それらの根っこにあるものは果たして何なんだろうと考えてみると、「オトナでいる」ことがどうしようもなく嫌だということなのかもしれないと感じるようになってきた。

 嫌なことがあっても、顔に出さず、態度に出さない。自分の本音とは違うことをさも信じているかのように話す。こういうことができることが「オトナ」だという(少なくとも自分はそう言われている)。しかし、そんなの糞くらえだ、と思う。自分を殺して、別の、誰だかわからないような人間になり済まして行動するなんて何のためなのか。お互いが何を考えているか分からないから、表面的なことを小出しにして探り合う。そして、それで時間を食われる。馬鹿らしい。こんな風に考えているから、自分はしょっちゅう周りと衝突する。だからこそ、疲れる。無用な時間を取られる。イライラする。これは体にもよくないと分かっていてもついついやってしまう。悪い癖だ。

 だからこそ、自分は健康に気をつけなければならないのだろう。

 そんな風に私は、「私がコンスタントに体調良くONもOFFも楽しく生きていく」ための6つのポイントを探すため、本書を読了した。

 1つ目は、「人は新しいことを嫌がる」というものだ。ここでは、経営・人事労務の世界ではよく知られた「2:6:2の法則」というものを紹介し、多くの人は基本的には新しいものには消極的であるということを説明している。これは個人の資質の問題ではなく、人間がそもそも持つ特徴であるという。そのため、「新しいことに取り組むことが得意なひとはごく少数である」ということを、自分自身のために、まずは頭に入れておくべきであるとする。

 2つ目は、「遅すぎる夕食の弊害」というものだ。多くのビジネスパーソンの夕食の時間が遅いことを挙げ、本来は、夕食は寝るかなり前に取り、かつ夕食は炭水化物中心にし、脂肪分は極力控えることが望ましい、とする。これは、自分もよくあてはまるものなので、今後は注意したい。夜にかつ丼とかはやめるようにします。

 3つ目は、「カフェインの摂り過ぎ」というものだ。どうも眠気が取れずにコーヒーを飲んでしまうことが多いが、健康のためには、1日コーヒーは2杯までにするようにしないとカフェイン過多になってしまうと警告する。しかし、コーヒーのうまい取り方は昼食後にコーヒーを一杯取りそのまま20分程度昼寝をするようにすることだという。このようにすることでうまく昼寝から覚醒することができ、午後の仕事にもスムーズに取り組むことができるとしている。これもまた、自分には大きくあてはまることだ。どうもコーヒーを飲むことが多く、3杯飲んでしまうことがある。気をつけなければならないと分かってはいるものの、どうしてもついつい手が伸びてしまう・・・。

 4つ目は、「深夜のパソコン」というものだ。深夜にパソコンをすることの弊害は色々なところで聞くが、やはり夜遅くまでパソコンをするのは健康には良くなく、可能なら夜は早い時間にパソコンをシャットダウンするようにすべきとしている。本書では紹介されていないが、仕事柄パソコンに向かうことが多いので、例えば夜は、パソコンを使った慮類整理ではなく、何かノートへの書き物、資料整理などに充てるようにするようにできればより良いのではないだろうかと感じている。

 5つ目は、「間違った休日の過ごし方」というものだ。どうも平日は仕事で限界まで働き、週末は泥のように眠る、ゴロゴロするということが多いが、それは決して良いことではなく、本来は週末は仕事とは異なることで体を動かす等することが大切だという。そしてその上で、ただ、そうはいっても平日にあまりにも疲れ切ってしまっては、週末に動きたくなくなるのももっともだとし、平日の注意点として次のようなことをポイントとして紹介している。

1:適切な時間に帰宅して、効果的な睡眠をとる

2:とことん空腹にならないよう適度に間食をする

3:夕食をとり過ぎない

というものだ。

 6つ目は、「問題解決手法」というものだ。具体的に仕事で何か問題にぶち当たった時にそれをどのように解決するかということで、例えば言いたいことを言おうと思っているときは、自分の我を通すのではなく、建設的な結果を目指すようにするべきだとする。建設的な結果を目指して相手と話し合う姿勢こそがお互いにとってそれは必要だとする。これも、個人的には変えなければならないポイントだと思う・・・。自分が理不尽だと感じたことについてはどうしてもそれをはっきりと伝えてしまう癖があるので、それはどうにかしないといけない・・・・。

 本書は、いわゆる健康とは、ということを一般化して、とても現実的ではないような提案をするものではなく、多くの働く人の実情を考慮した上で、それでは具体的には何をするかということを説明している。だからこそ、全てがすべてに同意できなくとも、納得できる、これならばできるというものから始めていきやすい良書であると思う。

 世の中なんとなくだけど、うまくいっているとは思えない。一部の人間だけが圧倒的に美味しい思いをして、残りの人間はそのあおりを食っている。そんな印象がある。だからこそ、一部の人の抜け駆け、ズル、失敗をみると一目散に叩いて叩いて叩きまくる。そんな余裕のない社会になっているのではないだろうか。

 このままでは、社会は壊れてしまう。そんな思いは持っているものの、具体的に何をすればよいのかというと、その知恵までは持ち合わせていない。

 ただ、だからといって何もしないというのは、それは暗黙で現状容認になってしまうのでそれはしたくない。

 こうした時に社会活動を主に行っている著者による本書を手に取った。

 私は、これからの社会構造を考えていく上での3つのポイントを探すために本書を読了した。

 1つめは「このまま就職氷河期世代を放っておくと、コスト的にも大変なことが起こる」というものだ。就職氷河期世代はずっと前からその対策の必要性が叫ばれてきてはいるものの、ずっと特に有効な対策は取られていないように思う。その結果、派遣・フリーターという位置からずっと抜け出せていないのが、この世代ではないだろうか。そして、今は派遣・フリーターという形でも仕事ができるからいいものの、仮にこのまま進んでいった場合、将来的には約77万人が生活保護の対象となり、18兆円の費用が増加する、と総合研究開発機構が発表しているということである。今はロスジェネ、とかちょっと聞こえのいい言葉でオブラートに包んではいるものの、これは将来的に大問題になるのではないかとこの数字を聞いて初めて実感した。

2つ目は、「生活が出てこない労働論」というものだ。これはワーキングプア、ワープアとも連なるが、ここでは、非正規雇用の問題をめぐって「失業より、非正規雇用の方が仕事があってまだよいではないか」という主張に対して「食える失業と、食えない非正規雇用どちらがましなのか」という風に、単に「仕事がある=幸せ、仕事がない=不幸せ」としてしまう図式に対して疑問を呈し、そもそもそれで「人として」生きていくことができるのか、という点を基準に考えないようでは、多くの人は幸せになれない、とここでは主張している。

そして、3つ目は「技能の社会的評価」というものだ。ここでは日本の労働組合の形について取り上げ、ヨーロッパの各国では企業別の労働組合ではなく、産業別の労働組合が主流であり、各産業として自身の技術を企業に認めさせるという形を紹介している。そしてこのことが、技術としての評価を安易に貶めさせることを食い止めることにつながっていると紹介している。

 日本は、戦後はとにかく復興しなければならないという目標のもと、とにかく突き進んできた。具体的にそのときどのような状況であったのかは正直分からないが、これは今の宮城を想像するとすれば、それは大きな苦労だったと思う。その一心不乱な努力によって世界を驚かすような発展を遂げ、この国はここまで発展できた、これはまぎれもない事実であると思う。このこと自体は否定しない。しかし、この国ができなかったことは「途中で路線を変えること」ではなかったのだろうか。とにかく「経済発展」の道に突き進み、その結果、今の日本を作ってきたわけだから、一つの道を突き進むことの成功体験は立派に持っている。そして、このことが逆に途中での方向転換等を妨げているのではないだろうか。途中で方針を変えることが「何かに屈した」「失敗」という風に見なす風潮ができていなかっただろうか。もし、これからの日本が変わっていくためには、変わることをかっこ悪い、だめなことと見なす「空気」を払しょくしていくこと、これこそがまずは大切なことではないのだろうか。