自分は職場ストレスなどは関係ないと思っていた。少なくとも就職するまでは。なぜなら職場では正しいことであればそれをまっすぐに進めればそれがそのまま進んでいくと本気で思っていたからだ。

 それが甘い考えであったことはすぐに分かったわけだが、職場では余りにも他人の目を伺ってばかりのことが多い。「あの人は気にするから・・・」「うちの所管ではない・・」等、行政学で言うところのインフォーマルな部分での負の側面が強く出てくるため、一つの意思決定にものすごく時間がかかる。

 また、これは後の書評の際にも書くことになると思うが、直属の上司はいわゆる「自由の名のもとに管理をしない」管理職である。しかも自由にさせると表面では言うものの何か起こると自分は責任を取らない人間のため、余計にストレスがたまってしまう(今は自分はこの人間を完全に見限っているのであまり気にならないが)。

 ほかにもくだらないことに異様に執着する等率直に言ってくだらないことにこだわる「バカ」が多く、疲れてしまうことがたびたびある。

 そこで、私は私が仕事の人間関係で疲れることのないための5つのポイントを探すために本書を読了した。

 1つ目は、「別の考え方を探せたら一歩前進できる」というものだ。

 これは、何か悪い考え方にとらわれた場合、まずはその考えを一度冷静に思いなおすということが大切である。そして、さらには最初に解釈したのではない違う考え方を見つけられるようになればなお良いというものだ。

 例えば、友達にメールをしたが返信がないという場合、いつもならば「嫌われた」と考えてしまうところを、まずは「「嫌われた」と思うことはやめよう」というところからスタートしようというものである。そして可能ならば、「単に忙しくてつい忘れてしまっている」「そもそもメールの不具合で届いていないのではないか」などと別の考え方をすることでそれまでの偏った考え方以外の選択肢を知るきっかけにもなり、無駄にストレスと抱えることは無い、というものだ。

 2つ目は、「自分に課した決まり事を吟味してみる」というものだ。

 仕事をする上ではたとえ同じ仕事でも人によって進め方に差異があることはあると思う。仕事のスタイルともいわれるものだが、それが逆にあることで自分の効率的な働き方を阻害していないだろうかということをここでは提唱している。

 「自分の中の決まりごと」を一度洗い出し、その上で「その理由・信念」を確認する。そしてその上で、それが本当に仕事に必要なことなのか、自分の自己満足に陥っていないかを見直すことが大切だと紹介している。

 これは、まだ自分では試してはいないが、もしかしたら大きな効果が出るのではと勝手に考えている。自分はどちらかというとかなり頑固な方なので、これと決めたことは意地でも曲げない癖がある。そのため、これは折を見つけて試してみたいと思う。

 3つ目は、「表現技術をアップする」というものだ。

 無駄な時間を過ごさないためにもすだな会話をしないように簡潔に回答しようとするとそれが冷たい、突き放したような言い方になり相手の気持ちを害してしまうことがある。そうならないようにここではアサーティブな言い方を紹介する。

 そのポイントとしては次の5つがある。

状況をそのまま描写する

気持ちを表す

相手の気持ちや立場の理解

考えや希望を明示する

提案

となる。

 こうすることで相手への共感と同時に自己主張を無理なくすることができ、バランス良く話ができることにつながるという。また、毎回5つもポイントはない!というのであれば最低限上記の①・③・⑤ができるだけでも十分だとする。

 4つ目は、「怒りを表現する」というものだ。

 どれだけ、感情をコントロールしても頭にくることはいくらでもあるだろうし、それを相手にぶつけないことにはおさまりがつかないことがあるだろう。そんな時は相手に怒りの感情をぶつけてしまいたいこともあるだろうが、それでは相手も売り言葉に買い言葉的になってしまい冷静に解決できなくなるリスクがある。そうならないように相手にくぎを刺すような言い方を憶えておく必要がある。

 その方法は、3つ目のアサーションと似ており、次の3つのステップが有効となる。

客観的事実を明確にする

「I(私は)」を主語にするアイメッセージで気持ちを伝える

提案

というものだ。

 頭にくるとその思いのたけをそのまま相手にぶつけることが時折あるのでここはぜひともマスターしたいと思う。

 最近は仕事でイライラすることも少なくなってきたが、やはりまだ馬鹿げた人間関係・セクショナリズムを見るにつけ、イライラすることがある。こういう時には自分の気持ちをどこにぶつけていいか分からずにもやもやしていることがあったが、本書で紹介されているコントロール法で少しずつでも良いので言うべきことは言いつつ、ストレスレスな毎日を送っていければと思う。

 人と比べて生きる、これは意識しないように努めてもこれを実践していくのはすごく難しいことだと思う。少なくとも自分には。

 振り返れば自分は常に他人の目を気にしてきたようだ。大学を選ぶとき、就活をするとき、全て自分の本当の気持ちを優先させてきたのかと問われると、最後の最後は「他人からの目」を気にしていたのかもしれない。だからこそ、何をしても常に自分を戒めることはあっても、褒めてやることができずにいた。そして、自身を追い詰めていたのではないだろうか。

 こんな風に自分をたとえ少しでも客観的に見ようとする姿勢が生まれたことは自分にとって大きな一歩であるし、ようやく少しずつ「他人の目」ではなく、「自分がどうか」という気持ちを大切にすることができつつある。

 ようやく、自分は自分のために生きることができるようになってきたのでは?と思い始めた時に本書を手に取った。

 私は、私がもう無暗に何かにおびえて生きなくてよくなるための5つのポイントを見つけるために本書を読了した。

1つ目は「「責めず」「比べず」「思い出さず」」ということだ。

他人と比較することはそもそも意味がないし、比較を始めることで苦しみ始めるのだから、そもそも比べるなどということはする必要はない、と紹介する。しかし、そう頭では理解していても嫌でも比べるための思考のスイッチが入ってしまうことを防止するため、著者は「人と自分を比べることを始めそうになったら頭の中で、まずは「比べない」と言い聞かせ、今の自分でよいのだと周りと劣っている等「責めてはいけない」とする。そして、そういったこと自体を思い出さないようにする」ということが大切だ、とする。

これはすごく単純だが、これを頭の片隅に置いておくだけで十分に違う。これまで何か失敗をしてしまった時はすぐに他人と比べて必要以上に落ち込んでしまうことが多かったが、「失敗をした自分」と「他人と比べて劣る」というものは別の次元のものであると理解することができ、反省する以上に自分を責め、苦しむということは減ってきたと感じている。

2つ目は「苦しみの原因」というものだ。

本書は、仏教の禅思想をバックボーンにしているため、本部分も禅思想をベースにしているが、仏教ではできるだけ欲望を減らしなさい、と説く。そして達磨大師の「求むるところにあるは皆苦なり」、つまり求めれば必ず苦しい思いをする、という言葉を紹介し、求めることの意義を紹介する。

3つ目は「自分を愛せない不幸」というものだ。

本来は自分を愛することができるからこそ、他人を愛することができるのに、利己主義という言葉により過剰に自分自身を責める、自責が強くなり過ぎ、自分を自分でとことんまで傷つけ、追い込まれてしまう、とし、まずは自分を愛することが第一歩だと説く。

そのためには、まずはいきなり自分を愛する、ということができないのであれば「自分を嫌わない」ところから始めよう、と紹介する。愛さなくてもいい、でも決して嫌いではないところから始めていく。これが継続していくことで自然に自分をいとおしく思う気持ちが育つ、と紹介する。

4つ目は「過去の自分にも分を認めてやる」というものだ。

他人と比べないためには今の自分を認めてやれ、とする。そして、過去の自分も同じように認めてやらなければ、それを思い出してまた苦しむだけだとする。今の自分を認め、それをよしとするのならば、過去の自分についてもそれを認めてやり、そのときはその時の自分なりによく頑張れたと褒めてやるべきだとする。

5つ目は「分が大事」ということだ。

堀口大學の作品を紹介し、心安らかに、気楽に生きるためには自分の程度を認めることこそが大切だとする。自分と他人を比較せず、自分の程度でよしとすることが大事、とする。

「やってやれないことは無い」「君たちには無限の可能性が広がっている」「本当の自分と出会うため」という、ある種オカルト的な言説がここ近年社会全体にはびこっていた気がする。そして、それに踊らされた若者も多かったと思う。

しかし、人間の能力には限界がある。上を見れば、記憶力のいい人、頭の回転が速い人などいくらでもいる。同じように、腕力が強い人、手先が器用な人もいくらでもいる。みんながみんなてっぺんを目指してもそれは終わりのないものであり、いつかはみんな疲れてしまう。

そんな風に少し社会全体が自己の能力イメージに対するバブルが続いていており、そのバブルがはじけかけてきた今だからこそ、何か燃え尽きたように感じている人はぜひ一読してもよいのかもしれない。

 生きていれば嫌になることなんかいくらでもある。そう思っている。当然私生活でも嫌なことはたくさんあるが、仕事中に嫌なことがとにかく多い。表と裏の顔で人に接する、メンツにこだわる等瑣末なことで時間や労力を費やす。馬鹿みたいだ、というとまるでタブーを侵したかのように糾弾される。それでまた時間を食われるのも馬鹿らしいので、適当に謝罪の言葉を述べてやり過ごす。しかし、それでは自分の気持ち自体は解消されたわけではないのでなんとなく嫌な気持ちが残ったままとなる。こんな風にしてイヤなことを積み重ね、ストレスをためてきた。

 そこで、本書では私が「私が無駄なことに気疲れしないようになるための4つのポイント」を探すために本書を読了した。

 1つ目は「職場ではビジネスライクに「演技」する」というものだ。

 本書では仕事をボクシングの試合にたとえているが、「仕事とはポーズ。仕事は割り切って演技するくらいの気持ちが必要」と解説し、職場は友情関係を育む場ではなく、家族を守り、友人・恋人との楽しい時間を持つために成果を上げる場である、と割り切る気持ちも必要、とする。その上で、ただそうはいっても仕事を通じて本当に親しくなれる人も出てくるだろうから、それ自体は否定しないが、それでも職場を通じて形成された人間関係と、プライベートで培われた人間関係は別物と切り分けて考えるべきである、とここでは解説している。

 この点は、個人的にも思うところがある。どちらかというと自分は仕事は仕事、プライベートはプライベートという考え方ではあったが、仕事を進める上では、自分自身の考えを本音でぶつけて、そこで腹を割って議論するなどしなければ本当に実のある議論は生まれない、と考えてきた。しかし、少なくともこれまでの経験だけでいけば、それはあまり功を奏してこなかった。それが、自分の伝え方の問題によるのか、社風によるものかは分からないが。どうも、ある意見に対して、それとは反対であるという意見をいうことは許容されず、それを遠回しに否定をしないといけないという風土のようで、真っ向から迎撃してきた自分はいつも撃ち落とされてきた。それは、仕事に対してどのように臨むかということの違いであり、自分が「自分として」おかしいと思うことと、「一人の従業員として」おかしいと思うことは別に分けて考え、発言が求められているのである、と考えるようになってきた。個人としては、こう思えど、それをそのまま伝えるということは望ましくない。ならば多少時間をかけてでも遠回しに気がつくように説明しなければならない、ということを意識するようになった。

 2つ目は、「致命傷を受けないための距離をとる」ということだ。

仕事の中でミスをした際は当然上司や周りから指摘を受けるが、その際に「自分自身の生き方」や「親の育て方」などにまで言及されたとしても、それは仕事を進める上では何ら関係のないものであり、それらを言われたとしても、気にせずにやっていけばよい、としている。

 3つ目は、「むやみにトラブルの渦中に突っ込まない」というものだ。

 町中におけるマナー違反を例に挙げ、目の前で違反行為を目にしたとしても、その行為が違反である、と必ずしも共通に認識されているかは不明であるため、直接それが自分に影響を与えるようなもの以外はむやみにそれに顔を突っ込まない方が良い、とする。また、さらに町中におけるルール違反に対して、それを見てイライラするのは自分が相手に対しても「ここでは、●●であるべき」という理想を相手に期待しているがために起こることであり、今のような世の中においてそれを期待することはもはや無理であると割り切る姿勢も、過度にイライラしないためには必要であると説明している。

 4つ目は、「一日一いやなこと」運動で達成感を味わう、ということだ。

 これは、文字通り、一日に一つ、自分自身が嫌だなぁ、と感じていることを行う、ということだ。

 嫌なことだからといってもそれはいつかはやらなければならないのではあるが、なかなかやるふんぎりがつかないのも事実である。そんな時にはこの言葉を思い出すのも大切なことではないだろうか。

 本書に書かれていることはどれもが小さい心がけ、行動であるがどれもが実践的でかつすぐに行えるものが多い。嫌なことはなくならないかもしれないが、嫌なことでずっとイライラさせられることは少しは期待できると思う。