ツイッターで発見。あまりに心に衝撃を受けたので備忘的に残しとく。

"超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ

もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。

この世は空しいモンだ、
痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。

この世は変わり行くモンだ。
苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある
だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。

この世がどれだけいい加減か分ったか?
苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。

聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ?
何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。
それが『無』ってやつさ。

生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。

でも、そんなもんその場に置いていけよ。
先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。
見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。

正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。

菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな
適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。

非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、それができりゃ涅槃はどこにだってある。

生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。

心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。

この般若を覚えとけ。短い言葉だ。

意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。

嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。

今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。
気が向いたら呟いてみろ。
心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?

『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』

『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』

心配すんな。大丈夫だ。
"

 ロジカルシンキングが流行り始めて数年が経過している。このことにより、以前よりはなんだかよく分からないところでのなぁなぁな決まり方が少なくなり、属人的な意思決定等が減り、良い傾向ではなかったかと思う。しかし、この副作用としては何を決めるにも「それは論理的に正しいか」ということが厳密に求められ、言葉では説明のしようのないものについては否定的な見解が取られることが多くなった。このことを、費用対効果などという言い方をする人間もいる。

 私見だが、私は費用対効果ということを言いだす人間は基本的に信用しない。要は「はっきりとした数字では分からない。定性的なものでしかはかりようがないので結果が出なかったときに責任追及されるのを避けたい」という逃げ腰の姿勢しか感じることができない。結果については正直どう出るかは分からないけれど、まず試してみよう、それでだめなら止めるなりすればいいではないか、というもう少し軽い気持ちで物事に取り組むことこそがまずは大切なのではないだろうか、と個人的には思う。だからこそ、何かの提案に対して、「費用対効果がはっきりしないから」という人間には「ではお前の感性ではどう思うのか。少なくともこれまで働いてきた感性があるのではないか。それに照らし合わせてみて率直にどう思うのか」という風にいうことが多かった。

 そして、これはいわゆる本書で紹介されている「ノリ」なのではないだろうか、という風に感じている。まぁ、とりあえずやってみようよ、という軽い気持ち、ノリこそが自分の根底にはあったのではないだろうかと。そして、このことにより、今まで先のような発言を繰り返し続けて、衝突が絶えなく、さすがに自分はまずいのか、という気持ちになっていたが、少しだけではあるが、そんなに方向性自体は間違っていなかったのではないか、という風に変な自信を取り戻しつつはある。

 そこで、私は、私がよりノリよく毎日を過ごすための3つのポイントを探すために本書を読了した。

 1つ目は「仕事を祭りにする」というものだ。

これは、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーの発言だが、「アニメ制作を仕事だと思ったらやってられない。それを仕事ではなく祭りと捉え、皆で作り上げていく。」というものだ。

 景気も良くないし、仕事のスピードも速まり、多くの人が余裕など持てず、仕事を楽しんでやっているとはとても思えない。しかし、それでは決して「ノリ」は良くならない。仕事を祭りのようにとらえさせノリよく働かせ、よい成果を引き出していくことこそが大切である、とする。

 2つ目は、「みんなで認め合う、褒め合う」というものだ。

これもスタジオジブリの例だが、ノリの良い組織は「ほめ上手」であるという。お互いがお互いに関心を持ち、良いと思ったことには素直に「いいね!」、と褒め合う。このことで自分自身の努力や貢献が認められ、心理的に充実し、よりやってやろうという気持ちが継続的に育まれていくとしている。

 どれだけ、大きい仕事をしても、それが誰からも評価されなければ虚しくなる。たった一言、「よく出来たな」と言ってもらえるだけでもすごく気持ちが晴れやかにうれしくなる。これは誰しも共通のことだから、どこでの組織でも、誰とでも利用できることであろうかと思う。

 3つ目は、「過去形ではなく、未来形で話す」というものだ。

 ノリを良くするには具体的にはどのようにするべきかというところで紹介されているものだが、単純に「私は●●すればよかった」ではなく、「これからわたしは●●する」とつねに前を見た形で話すようにするということがノリを良くするためには大切であるとしている。これも単純な話であるし、また実践も簡単なものなので、これも本書にならい、まぁ、とりあえずやっていこう、という軽い「ノリ」で進めていけばよいのではないかと考えている。

 ここでは記載しなかったが、本書ではノリのメカニズムについても紹介されておりノリとは何かというものについても分かりやすく理解することができるものとなっている。いきなり周り全員をノリよく変えるのは難しいかもしれないがまずは自分からノリよくなろう、という気持ちで変わっていければよいのではないだろうか。

 時折不可思議な事件などが発生すると「これは「何か」に消された」等と言われることがある。そういった際、その真偽のほどは定かではないにせよ、なんとなく世の中には明らかにされない「何か」があるのではないだろうかという思いは抱いていた。

 そして、近年フェイスブックやツイッター等の「所属にとらわれない個人」により、これまでであればメディアでは取り上げられることのないようなことが分かるようになってきた。そして、その中にはそのこれまでであれば存在をほのめかされることはあっても、それが何かまで追求はされなかったようなものについても少しずつ明らかになるような気配は見えてきている。そして、そのような中で今までは噂レベルにすぎなかった陰謀説の信憑性も少しずつではあれ自分の中では高まってきているような気がする。世の中には隠された何かがあるのではないだろうか、というレベルだが。

 そこで、私は、私が本当の社会の真実を知るきっかけになる3つのポイントを学ぶために本書を読了した。

 1つ目は、「誰が郵政民営化を望んでいるのか?」というものだ。

 これは言うまでもなく、小泉内閣による郵政総選挙の結果として行われた郵政民営化というものである。「官から民へ」移行すれば郵政は良くなる、というもっともだがよく分からない理屈が独り歩きし、郵便事業などが民営化されたというものだ。これについても当時から郵政の職員の給与等の費用は全て郵政内部で賄われており、郵政事業=税金の無駄遣い、というロジックからは外れる、などの主張は一部あったものの「官から民へ」という曖昧な言葉に社会が流されていったという風に感じている。

 なぜやたらに小泉元首相は郵政にこだわったのか、というのは正直不思議ではあったが、その理由の一側面について本書では次のように紹介されている。200410月に発表された「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書」(年次改革要望書)に、郵政民営化に対するアメリカからの強い要望が明確に見られるというものである。これは、日米両国がお互いの改善点を話し合うという名目に作成されているものだが、これは実質的にはアメリカから日本へのお達しにしかなっていないとも紹介されている。

 郵政民営化については小泉自身も関心があったかもしれない、しかし、それをやり遂げる大きな動機づけになったのはこのアメリカからの要望書であり、結局これは日本国民のためというよりもアメリカのために動いた結果ではないかとここでは紹介されている。

 2つ目は、「りそな問題にかかわる人は不審死を遂げ、微罪逮捕されている!?」というものだ。

 りそな銀行の国有化、というと少し前に話題になった出来事だ。ある日、国がりそなを実質国有化して保護した、というニュースだったくらいにしか当時は考えてはいなかったが、本書ではりそな国有化の裏には大きな事情が隠されているとのことだ。そして、このりそな問題に絡んで逮捕された人として名前が挙がるのが植草一秀教授だ。植草教授と言えば、手鏡で痴漢というイメージばかりが目につき、実質的には社会的に抹殺されてしまった人だと言えるだろう。当時は、実は単なる痴漢男、というくらいにしか認識できていなかったが、本書を読むと彼も実は消された一人だったことが明らかになる。

 植草教授は、当時りそな問題をめぐる小泉・竹中の行動を丹念に調べ、彼らの行動の本当の意味を明らかにする書籍を発表する直前だったという。その直前にこの痴漢騒動が起き、彼は表舞台から引きずりおろされた、ということだ。

 また、手鏡によるのぞき事件に関しても「鉄道警察隊員が目撃していたこと」、それのみが逮捕のきっかけとなっており、エスカレーターに設置されていた防犯カメラの映像の公開を拒否し、さらには当時の映像を削除する等といったことを挙げながら、そもそもこれが何の根拠もない冤罪であるということについてもここでは紹介されている。

 また、植草教授以外にもりそな問題に絡んだ新聞記者は突然の「自殺」、公認会計士も「自殺」、国税調査官も「手鏡で」電車内でのぞき、という不可解な事件が続いているという。

 最初は、いくらなんでも・・・、とは思っていたものの、今般のウィキリークスのアサンジ氏のレイプ疑惑、IMF専務理事のレイプ疑惑、ライブドアの元役員の沖縄での謎の自殺等、確かにこのようにいかがわしい事件が平然と起こっているということをみれば、あながちこの主張も間違いではないのではないかとまで感じてしまう。

 3つ目は「FRBは単なる民間企業にすぎない」というものだ。

 これは最初に読んだときに素直に驚いたのだが、実はそういうことらしい。FRBはてっきりアメリカ版日銀と思っていたのだが、本書では「FRBはJPモルガン・チェース銀行やシティ・バンク等の資本が半分以上を占める私的法人である」と紹介されている。

 日本では、いかにもFRBの意向がアメリカ政府の政策に反映されていき、FRBはアメリカ国家に所属する公の組織だと思っていたが、実はこれらはいわゆる金融機関の資本が注入された組織にすぎず、所詮彼らの都合のよいようにしか進んでいかないとここでは主張されている。

 今までであれば、このような陰謀論系の本は手に取ることは無かったと思うが、新聞・テレビをもちろん、政府の発表すら信じることすらできなくなってきた今、頼れるのは自分で見分ける力、ということを考え始めているからこそ、今回はこのような書籍を読むことにつながったのだろうと思う。

 当然、この本自体も何かしらのバイアスがかかっているとは思われるのでこれをうのみにすることもできないが、自分の感性・考えでうまく取捨選択をすることで正しく本質を選びとっていくことができるようになっていければよいと思う。