「善の研究」は、西洋哲学を踏まえた日本初の哲学書として有名ですが、その核心の「純粋経験」により、個も世界も無く、在るものは経験のみというのは理解しやすい。このアイデアは、すでに高校生の時から構想されていたと記述されていますが、さらに禅体験および思考を深め、意志、感情、知性の善を磨き、絶対無に到達するという流れには圧倒されます。
 第二章の「意識現象が唯一の実在である」の章も、意識が身体の中にあるのでは無く、身体が意識の中にあるという主張であり、深い思考の過程が伝わって来て哲学の醍醐味です。最後の宗教的要求、神の章で、神を「宇宙を包括する純粋経験の統一者」としていますが、ヘーゲルの「絶対精神の自己実現」と同じ表現と思われます。西洋と東洋の思想は、同一点に辿り着いたと思えてなりません。
 題名の「善の研究」の善ですが、善は唯意識の内面的要求より説明すべきものであるとし、外部にある規則ではないとし、倫理学の根本を捉えているように思われます。再読して、自分=宇宙であることを示し、真の善はこの真の自己(宇宙の本体)を知ることとし、哲学の書は、本書で尽きているように思われます。最後に、我々はあるがままの純粋な自己に気付き、過去から未来への時間の流れはなく、あるのは永遠の今のみという地点に連れて行き圧巻といえます。